03 王城とは王太子を殺す箱庭ですの?
王城とは、王太子殿下を殺すための箱庭ですの?
十回分の記録をめくっていると、本気でそう疑いたくなります。
厩舎の戸は重く、馬車置き場の石畳は雨の日によく滑る。古い階段には、磨かれすぎた段が一つありました。庭園の窓は高く、池は見た目より水際がぬかるみます。涼しい木陰も、人目の少ない回廊も、疲れた王太子がひとりで逃げ込むには、嫌になるほど手頃でした。
王城は、どこまでも美しく整っております。
掃き清められ、磨かれ、花まで飾られている。
それなのに殿下がひとりで入り込むと、ただの景色が、いちいち死因に化けるのです。
美しいだけに、余計に腹立たしい。
本当に迷惑。
「お嬢様」
「何かしら」
「池を埋めますか」
「王城の庭師に恨まれますわ」
「では」
「殿下を埋めるわけにもまいりませんし」
「お嬢様」
「戯れですわ」
わたくしにも公爵令嬢としての品位がありますので。
わたくしは死亡回避記録を開き、赤で引いた欄へ目を落としました。
死因候補。
逃亡経路。
すでに作ったその欄を、今日は埋めていく番です。
最初に確認したのは、池でした。
以前の記録に、殿下が庭園の池で命を落とした周がございます。深くもない場所で沈むなど、普通なら考えにくい。けれど、王城で殿下に関わることは、普通を信じた順から紙の上で赤くなります。
執務室に殿下の姿はなく、机には未決裁の書類だけが残されておりました。
側近に聞けば、「少し風に当たる」と出ていかれたとのこと。
風。
庭園。
池。
水際。
嫌な組み合わせです。
池のほとりでユリウス様を見つけたとき、わたくしはまず殿下の足元を見ました。
「そのまま一歩も動かないでくださいませ」
「ベレニス……なぜ君がここに」
「殿下をお探ししておりました。婚約は破棄されましたが、王太子殿下が池に沈むのを見過ごすほど、わたくしは薄情ではございません」
「……僕は、ただ少し、息を」
「でしたら、息をおつきになる場所をお選びくださいませ。池の縁は、深呼吸より転落に向いております」
「落ちるつもりなどない」
「ええ。落ちるつもりで池に落ちる方は、あまりいらっしゃいませんわ」
わたくしは足元を扇で示しました。
「水際は湿っております。手すりもなく、侍従の目もない。王太子殿下がお一人で物思いに沈まれるには、少々、詩情が過ぎます」
もちろん、庭園で王太子殿下の足元を扇で示し、動くなと申し上げるのは、淑女として褒められた振る舞いではございません。
ですが、池のほとりで「落ちるつもりはない」と言われても、わたくしには安心材料になりません。
落ちるつもりがなくても落ちた記録がございます。逃げるつもりはないと言いながら逃げた記録もございます。そのつもりはなくても、死ぬ。
十回も。
嫌になるほど、実績がございますもの。
「殿下」
「……なんだ」
「執務室で、何がそんなに息を詰まらせますの」
ユリウス様は、水面を見ました。
すぐには答えません。こちらの苛立ちだけが、扇の骨をぎしりと鳴らしました。
「分からない」
少し間がありました。
「机も、書類も、側近たちの顔も、壁の肖像も。全部が、僕を見ている気がする」
あの部屋。
つまり、執務室です。
机の上には未決裁の書類が積まれ、壁には歴代王の肖像。側近たちは黙って判断を待ち、どこを向いても「次の王」としての役目ばかりが目に入る。
ただの部屋が、部屋ではなくなる。
座れば裁きを求められ、黙れば迷いと取られ、息を吐けば弱さと見られる。あそこにいる限り、殿下はユリウス様ではなく、次の王として扱われる。
息が詰まるには、十分すぎる部屋です。
わたくしは扇を握り直しました。
「殿下は、あの部屋だけがお嫌なのではありませんわね」
ユリウス様の指先が、わずかに動きました。
「あの部屋の先にあるものが、お嫌なのですわ」
答えはありません。
けれど、答えないことが答えでした。
わたくしは、それ以上踏み込みませんでした。
責めて強くなる方なら、十一回も逃げておりませんもの。
そこを間違えた周もあります。
叱りつけ、正論を並べ、殿下の顔から血の気が引いていくのを、勝ったと勘違いしたことも。
その末路は、死亡回避記録の赤い欄に、腹立たしいほどはっきり残っております。
腹立たしいほど、はっきりと。
まったく。
ここまで分かりやすいなら、なぜもっと早く気づかなかったのかしら。
王太子が、王になりたくないなどと。
その言葉が喉まで来たところで、周囲は聞く前から塞ぎます。聞かなかったことにし、見なかったことにし、予定どおり王冠を磨く。
その結果、殿下は逃げる。
逃げた先で死ぬ。
王城が乱れる。
国が壊れる。
最後にわたくしまで死ぬ。
たいへん迷惑です。
けれど、少しだけ分かりました。
殿下だけを見張っても駄目。
池を埋めても、階段に絨毯を敷いても、酒を薄めても、別の場所へ逃げるだけです。
この方を王座へ押し込めようとする手が多すぎるのです。押されれば押されるほど、殿下は次の逃げ場所を探す。
ならば。
わたくしは侍従を呼び、殿下を人目のある場所へ丁重に回収させました。
池から離れ、控えの回廊へ戻ったところで、わたくしは口を開きました。
「リーザ」
「はい」
「王位継承候補の一覧を作ります」
「紙は厚手で?」
「もちろん」
「赤のインクは」
「三本」
「増えましたね」
「王冠が絡みますもの」
リーザは一礼し、すぐに踵を返しました。
死因候補を潰すだけでは、足りません。
逃亡経路を塞ぐだけでも、足りません。
殿下が王冠から逃げるのなら、調べるべきは逃げ道ではなく、王冠のほうです。
ユリウス様が王になりたくないというのなら。
王冠を載せられる別の頭を、探して差し上げればよろしいのではなくて?




