コロコロとねこと換毛期
「マスター、猫ちゃん飼ったんですか?」
と、バイトの芽衣子に尋ねられたのは、いわゆる『表側』の喫茶店でのことだ。
モシータを居候にしているのは、いわゆる『裏』でのこと。
あの夜営業のことを『裏稼業』などと呼んでいるが、それはそれでモシータに冷めた目で見られ、「この程度のことで裏稼業とか。マスターも『ちゅーにびょー』が抜けないんだにゃあ」などと言われた。
中二病は知っているんだ……という感想はさておき、いいだろう、本当に裏稼業みたいなもんなんだから。
ともあれ、話を芽衣子に戻そう。
芽衣子は俺が雇っているバイトの女の子だ。近くの大学に通う学生で、明るくて良い子である。
そんな稼ぎがないのに雇って大丈夫かだって? だって、俺がどんなに有能だろうと、ランチタイムなんて、俺のワンオペじゃ詰んじまうからな。そして俺はそんなに有能でもないから、一人でやると悲惨なことになる。
利益を減らしてでも、人手が欲しいので、親戚の芽衣子を雇っているのだ。
そんな芽衣子にいきなり猫を飼っているのか、などと聞かれて驚いた。
「えっ、なんで?」
「だって、お仕事前に念入りにコロコロするようになりましたから」
「ま、まあ、飲食店だからね」
猫の毛。
猫の毛は本当にしつこく、どこからともなく湧いてくる。
いなくなったはずの猫の毛だって、数年間はどこからともなく湧いてくるんだから、本当はあいつらコッソリ帰ってきているのではないかと思うほどだ。
普通の猫だってそうなのだから、でかい化け猫のモシータの毛は大変なことになる。
夏だから良いものの、冬物のセーターなんてぞっとしない。
そんなわけで、仕事に入る前に念入りに粘着ペーパーでコロコロしまくり、毛を取っているのだ。
「前はそこまで念入りじゃなかったですから」
「まあその、迷い猫を拾ってね」
これは嘘じゃないと思う。モシータは迷い込んできた猫ではあるのだから。
「えーっ、やっぱりですか! 見たいなあ」
「いやあー、あいつ、人見知りが激しくてさ」
目を輝かせる芽衣子に慌ててそう言う。モシータのやつは別に普通の猫にもなれるが、そもそも、こっち側に来てくれるかどうかもわからないし、人見知りは本当だ。
「また慣れたら芽衣子ちゃんにも見せるよ」
「そっかあ。楽しみにしていますね!」
芽衣子は良い子なので、あっさり引き下がってくれた。
*
「だからよ、お前も自分でコロコロしてくれよ」
裏側の店。
表の店とほんの少しだけ色味が違うが、違うのは本当にそれだけだ。
客席をロールで掃除しつつ、俺はそうぼやいてみた。
モシータは、相変わらずお気に入りのソファの上でいる。今日は暑いし、客もまだいないから、お腹を見せてごろっとしている。
猫は自由で良いな。
「だって掃除機は嫌がるだろう。できるだけお前がいない時に掃除機当ててるけどさあ、コロコロならいつでもできるわけだから」
「にゃ? ねこにコロコロさせるの?」
普段から猫は労働をしない、がモットーのモシータだが、この時の反応はそれと違うらしかった。
大きなハシバミ色の目を瞬かせ、
「にゃあ? なんで? コロコロなんて、ねこにさせないほうがいいよ」
真顔である。
「えっ、なんでだよ? 猫は働かないからか?」
「違うにゃあ。コロコロはべたべたするやつでしょ。普通に体に巻き込んで、恐ろしいことになるにゃ」
モシータはゾッとしないような顔をする。
世の中にはコロコロを当てられるのを好む猫もいるというが、モシータはダメな猫らしい。
「ぼくみたいなべたべたするの嫌いなねこは、きっとパニックになるにゃ」
「ああー、そういうことか」
剥がそうとして、かえって全身に巻き込んで悪化させるやつか。
確かにそういう猫はいる。暴れた結果、全身に巻き付いて救出が大変なことになるやつ。
「うーん、粘着ペーパーじゃないやつを買ってこようかなあ。猫の毛が取れるブラシとかあったよなあ」
それはそれで手伝ってくれそうにない。面倒だし、コロコロより楽しくないから。
まあでも、何かの拍子に粘着ペーパーに絡まると大変なことになりそうではあるから、検討の余地ありだ。
「でも、マスター、そんなに神経質にならなくていいにゃあ。ここの客はそんなに気にしてないにゃ」
「なんでだよ? 本当はでかい猫のお前が、ソファの上にいるのだって気になるんだぞ」
食品衛生的な意味で。
「だって、ここの客、本当はふさふさな毛のやつ多いんだにゃ? 毛が落ちるのは当たり前だにゃ」
モシータは、さも当たり前、というふうに言った。
そういえば、ここの客は人外かもしれないのだった。とはいえ、俺は、基本人間の姿の客しか見ないのだが。
モシータ曰く、ニンゲンの俺の前ではトラブルを避けるため、あっち側も人の姿をしているのだという。
なので相手の正体はわからないし、おれもわかったことがない。
ただ、客たちはでかいモシータがどかんと座っていようが全く無反応で、思い思いの好きなものを注文し、世間話もあんまりしない。
まあ、普通の人間ではないんだろうな。
「ニンゲンには換毛期がないから、わかんにゃいだろうにゃあ。あんな時なんて、気にしても無駄なくらい抜けるから、もはや諦め半分にゃ」
「そういうものなのか。お前らも大変だな」
おれは素直に感想を述べつつ、
「あ、じゃあ、この店の毛は客のもある?」
「もちろんだにゃ。ほら」
モシータは、おれの粘着ペーパーを指差した。
「ぼくは黒い毛なんかないにゃ」
「あ、ほんとうだ」
確かに色とりどりの毛がある。茶色のや白のはほとんどモシータのだろうが、黒や灰色のはモシータのではなさそうだ。
「うーん、並のコロコロじゃ足りない気がしてきたなあ」
おれはそこまで綺麗好きではないけれど、流石に店は綺麗にしておきたい。
「諦めるにゃあ」
こういう時、猫は冷静かつ現実的だ。モシータがごろごろしながら塩辛い対応をしてくるのを横目にしつつ、俺はつぶやいた。
「ロボット掃除機でも導入しようかな」
「ああ、あれはやめたほうがいいにゃ」
モシータがちょっと顔を上げて、香箱座りになった。
「なんでだよ?」
俺が眉根を寄せると、
「ぼくはやらないけど、絶対に客にあれに乗りたくなるねこがいるにゃ。ああいうのは、ついねこの野生が刺激されるから」
モシータは真面目な顔で言った。
「うっかり営業中に作動したのをみた瞬間、人間サイズに化けてるのを忘れて乗られて、壊れるのが目にみえるにゃあ」
それは、確かに、説得力がある。お高いロボット掃除機を壊されるのは、おれの財布に優しくない。それはだいぶ辛い。
「なかなかお手上げだなあ」
俺はため息をついた。
「普通の掃除機は音がうるさくて嫌だし、粘着ペーパーは巻き込んじゃうし」
「マスターは、顔に似合わず完璧主義ってやつだにゃねえ」
モシータはやや辛辣なことをいいつつ、
「そんなに気にしなくても、大丈夫だにゃあ」
「でも衛生面とか、法律的なこととか」
「それは裏稼業なんだから、平気だにゃあ」
モシータは自信満々に言った。
「多少、よくないことをしてても裏稼業なら許されるってもんだにゃあー」
それは、そうかも。
いやいや、ダメだろ。
一瞬、納得しかけたが、やっぱり気にはなるので、おれは毛が取れるブラシの購入を考えるのだった。




