雨とモシータ
こちらはネプリ企画ペーパーウェル16『テーマ:天気、天候』の参加作品です。
しとしとしと。
ぱたぱたぱた。
この家は古いから、屋根に雨の当たる音がする。
「よく降るなあ」
「雨って、ぼくは言っていたにゃ」
そんな声がするので、客の入っていない喫茶店の定位置を見ると、ソファに座ったでかい猫が顔を洗っていた。
人間大のでかい猫。猫又だというモシータは、茶白の猫で多分もとから巨猫だったが、猫又になってからは人間の大きさに化けていることが多く、時々邪魔なくらいでかい。
「ねこは、雨の気配がわかるからにゃあ。マスターにあらかじめ、雨がふるよ、って教えたのに」
モシータは顔を洗い終えると、榛色の瞳を俺の方に向けた。
「雨の日はお客さんなんてこないにゃあ。お店は閉めたらどう?」
「まあそうだけどさ」
今日はなんとなく店を開けたい気分だったのだ。というのは、表の本業も雨のせいで客がほとんどこなかったからである。
退屈すぎて早めに店を閉めた後、こちらのお店はどうだろうと、こっちに来たのだった。
「人間は労働が好きじゃないのに、マスターは仕事熱心だにゃあ」
モシータは呆れたように言った。
「ねこみたいに、寝ちゃえば良いのに」
*
俺の店舗兼住宅は借家なのだが、俺が入居した時にはすでにその不思議な部屋があった。二階が住居なのだけど、倉庫として使われていた部屋に入ると、宇宙空間のような星空が透けてみえるようになる。やがて周りがなんとなく異世界めいたところで、非常口だという反対側のドアを開けると、全く同じ間取りの「裏側」の家に来られる。
そこは「表側」と少し色味が違ったりするけれど、ほとんど同じだが、たぶん別の世界なのだろう。俺の見知った人間はいない。
モシータは、俺が裏に迷い込むようになってから現れた猫だった。
モシータ曰く、裏の世界は人外もたくさんいるのだという。そんな中、モシータは十七年くらい猫として生きてきて、猫又になってここにきたのだと言った。
モシータのいうことだから本当かわからないが、猫は長く生きると猫又になる。でも、人間には秘密にして、猫又として自立する。だから人の世界では死んだことにして、新しい体に転生するのだとか。
「古い体を脱ぎ捨てるのは、人間の仙人と同じにゃあ」
モシータはそういう。
ともあれ、猫又として自立しないといけないが、箱入りで甘やかされて育てられた室内飼いのモシータには突然の自立など無理である。行き先に困ったところで、モシータが目をつけたのが裏に迷い込んできた俺だった。
行くところがないなどといわれると、猫を飼っていた俺としては断れない。
ついでに新しい名前もいるというから、元の名前のモカからもじって、モシータとつけてやった。
スペイン語で小さい、かわいいとかそういう意味をつけたが、改めてみるとこいつはジジイの巨猫だったんだよな。顔だけ見れば可愛いんだが。
どちらにしろ、子猫の頃からカフェオレ色でそのうちオレンジになったこいつには、珈琲関連の名前も似合うだろう。モシータは、もう少しかっこいい名前が良かったと文句を言ってはいたが、満更ではなさそうだ。
ともあれ、そんな経緯でモシータは、「裏側」での俺の喫茶店の営業を手伝うということで、居候しているのだった。
だが、猫に労働なんて無理だ。モシータは、珈琲を飲んでお気に入りの席でまったりしていることの方が多く、てんで力になりやしない。
「ねこに労働させるとか」
モシータは信じられないと言わんばかり、肩をすくめた。
「人間がするものだにゃ、労働なんて」
モシータはテーブルに新聞を広げながら言う。毛繕いしながら、読んではいるらしい。
「人間は、飼っているぼくらねこのご飯を稼ぐために、労働しなきゃならないんでしょ。かわいそうだけど、それがねこを飼う人間の宿命だよね」
「お前なあ」
モシータはわがままだ。
まあ、猫なんて往々にしてそうだけど。
そんな猫様で良いよ、と思ってなきゃあ、猫と生活なんてできやしない。そしてそう言うふうに受け入れている俺は、だからこそ選ばれてしまったんだろう。
「ぼくの飼い主のおねえちゃんは、仕事が嫌いで休みが好きだったものだにゃ。でも、休みの日に何日も家にいると、ぼくが不安になったものだにゃあ。こいつ、仕事クビになったのかなって」
「おいおい、そんなことないだろう」
「それか、仕事が嫌でやめちゃったかと思ったんだにゃあ。となると一大事」
「一大事なのか?」
「当たり前だにゃあ。飼い主が労働しないと、ぼくのごはんはどうなるにゃ。飼い主はごはんを節約しても自己責任だけど、ぼくのごはんは稼いでもらわないとね」
ちらっとモシータはこちらをみた。
「だから、マスターも、ぼくのごはんの食い扶持はかせいでよね。ちゃんと労働するんだにゃ」
「お前は居候なんだから、でかい顔しないの」
モシータは一般家庭の猫のくせに、甘やかされてきたから、謎に貴族みたいな性格をしている。
外は雨だ。
表の世界も裏の世界も、それは何も変わらない。
「裏の世界の住人は人外が多いんだろ」
「そうだにゃぁあ」
モシータはあくびまじりだ。
「といっても、あからさまに人以外の姿で、マスターみたいな人間の前に出るやつはいないけどね」
「そうなのか?」
「そりゃあそうだにゃ。あっちだって、警戒してるにゃ。人外って言っても、人間より強いとは限らないにゃから。それに、なによりも、無益な争いはしたくないものだにゃ」
モシータは目を細める。
「問題を起こしたがるやつは、どこの世界でも困りものだにゃあ」
「うーん、説得力がある」
俺は呟いて。
「まあそれはそれで良いんだ。ただ、そう言う人外って、人間のイメージだと、雨の日が好きそうじゃないかなって」
「じめじめしてるのを好きなのもいるけど」
モシータは、ピンクの舌でざりざり、爪のお手入れをしながら言った。
肉球の間の細やかな毛がふさふさだ。
「普通の動物から進化したやつは、濡れるのが好きじゃないにゃ。当たり前にゃあ。特にねこは」
「まあそうだな」
俺は肩をすくめた。
「それじゃあ、裏で店を開けててもやっぱりお客さん来ないかなあ」
「それはそうにゃあ。まあでも、明日は晴れるかも。マスターは今日は寝て、明日稼ぐとよいんだにゃ」
「なんでわかるんだよ」
「ねこは湿気に敏感だから」
モシータは当たり前だと言わんばかりだ。
「それなら、天気予報士になればいいのに」
「なんで? ねこは労働なんてしないにゃあ。なんでわざわざ、明日の天気を教えてあげないといけないにゃ。自分で調べたら良いだけなのに」
モシータは、今度はざりざりと肉球を手入れをしているらしい。そして、ふと、俺をみた。
「マスター、そんなに暇なんだったら、ぼくにフレンチトーストでも焼いて欲しいにゃあ。しっっとりたっぷり、牛乳吸わせたやつ。クリームものせて、蜂蜜は出し惜しみせず」
「はいはい」
「お皿はブランド品の綺麗なのがいいにゃ。百均のはダメ」
「お前、贅沢だなあ。まったく、甘やかされすぎる」
「ぼくはちゃんとしているだけ。ぼくはちゃんとしたねこだから、やっすい食器とか受け付けないの」
モシータは、ヒゲにまとわりつく湿気を厭うように手でそれを拭った。
まったく、自由なやつだ。
とはいえ、フレンチトーストは良いかもしれないな。このじっとりとした雨の気配を振り払うには、とびきり甘いものが良い。
まあでも、俺だってモシータを見ているとちょっと和む。
こいつを見ていたら、猫はみんなそうなのかなとおもえる。
俺の家にいた歴代の猫たちも、もしかしたら、天寿を全うしたんじゃなくて猫又かなんかになって、こっちの世界を闊歩してるかもしれないのだ。
いつかはこっそり俺の店にきて、珈琲でも飲んでくれるかもしれない。それもあって、俺は雨の日にでも、裏の店を開けてしまうのかもしれない。
「マスター、ぼくはお腹すいたから、早く作る」
モシータが急かしてきた。
「わかったって」
「ぼくがねこだったころなら、ちょっとだけ爪をだして、マスターのほっぺたとかを軽めに猫パンチしているところだにゃ」
「お前、えげつないから、それはやめろよ」
それは絶対に痛い。なおかつ、怒られない程度の痛みを相手に与える方法を、この猫は熟知しているということだ。
さすがは、猫生十七年。人間の扱いに手慣れている。
また神経質に顔を洗うモシータを見ながら、俺は言った。
「明日はぽかぽかの晴れだといいよな。お前の自慢の毛並みもふわふわだ」
「明日は晴れだにゃあ」
モシータはそう言った。
「本当か? 顔洗ってたぞ」
「お日様の気配がした気がするにゃ。でも、半分はぼくの願望だにゃねえ」
モシータはそう言ってあくびを一つ。
ああだめだ。猫の天気予報なんて当てにならない。だって、こいつらは、あまりにも適当なんだから。




