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ねこのモシータ —夜の喫茶錨亭—  作者: 渡来亜輝彦


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夏へのじゅんび

「やれやれあついな」

 オンボロのエアコンの点検をしながら、おれはぼやいていた。


 俺の純喫茶錨亭にも、夏は来てしまう。

 普通の世界でももう暑いが、俺が夕方から通っている裏の世界の錨亭にも同じように夏がくる。

 まだ五月なのに、エアコンが必要なんて、春を感じているいとまもなかったものだ。

 そう、暑い、あつーい夏が、きてしまうのだ。

 それまでにエアコンの冷房がつくかどうかを試さねばならない。なんせ、ここのエアコンは古い。俺はこういう古い機械には慣れている方だが、それでも調整は難しい。

 ここの店は賃貸なんだが、変な裏の世界への入り口はあるし、一体どうなってるんだろうな。まあ、大家に尋ねる気はないんだけれど。

 それはともあれ、昨今は、毎年暑い。

 猛暑の最中、故障したら命に関わる。事前の点検は命綱だ。

 しかも、裏側の店をもって夜間営業を始めた俺としては、エアコンは二台調整しなければならなかったりする。

 表の店のエアコンは動いた。

 こっちも同じだと良いんだが。

 こっちの機械設備の故障については、ちょっと頭が痛い。

 この裏側の店の周囲は、俺の知る限りは人気があまりになく、俺も外にはあまり出歩いていない。一見、同じ街に見えるが、隣人は不在そうだった。

 通りすがるひとはいるが、それは人間ではないかもしれない。

 そんな環境だ。

 設備が故障していたら電気屋に頼めるだろうか。どうなる?

 深刻な問題だ。


 とりあえず、まずはフィルター掃除。やれることは自分でやろう。

「エアコン、つくにゃ?」

 モシータが、俺の背後からにゅっと姿を現して言った。

「ぼくはいやにゃ。エアコンのない生活なんて。夏のエアコンは従業員の当然の福利厚生だにゃ」

 首を振るモシータに、おれはやれやれと肩をすくめた。

「おれだって嫌だね。今年はお前みたいな毛玉がいるのに」

「毛玉とは失礼な」

 むう、とモシータがほんの少し険しい顔になる。

 猫は表情が犬ほどわかりやすくはない、が、嫌な感情はすぐわかる。そう、喜びの感情はわからないが、嫌な顔と怪訝な顔はわりとわかるし、怒っていてもわかる。

「換毛すれば、ぼくだってスリムになるにゃ」

「本当かよ」

 その前に抜け毛が多くなって、掃除する俺が大変になる未来が見えるし、たいしてスリムにもならないと思う。

「そもそもお前、従業員ってほど働いてないだろ」

「ぼくはここにいるだけで、働いていることになってるにゃあ」

「猫は良いよなあ」

 おれはため息をつきつつ、

「まあいいから、このフィルター持っててくれよ」

「もう! 何言ってるにゃ。ねこを手伝わせようなんて」

 モシータは文句を言いつつも近寄ってくる。

 猫にはつるみぐせというやつがあって、何か作業をしていると、妙に寄ってくるのだ。

 ふんふん匂いをかいでみたり、手伝いもしないのに手伝いますよ、みたいな顔をして邪魔な場所にやってくる。

 とはいえ、今のモシータなら手伝えるわけだから、フィルターぐらい持ってもらう。

「あとでご褒美やるからさ」

「むー、とびきり美味しいカリカリを用意するなら考えるにゃ」

 モシータは不平をいったが、持つだけならとフィルターを受け取る役はしてくれた。



 なんとかエアコンの調整と試運転が終わり、ひとまずは今年の夏も乗り越えられそうとわかったところで、休憩に入った。

「あれ、ほこりだらけだったにゃ」

 モシータはぶつぶついいつつ、くしゅんとくしゃみをした。

「フィルターなんだから埃だらけに決まってるだろ。まあでも、無事エアコンは動いたんだから機嫌直せよ」

 俺は空調が入って涼しくなった室内で、お茶を飲みつつ言った。

 モシータは綺麗好きだ。猫の多くがそうだが、身綺麗にしていないと気が済まない。

 さっき毛繕いを散々していたが、それでも何か気に入らないらしい。ほこりのにおいでもするのか?

「ほら、機嫌直せって。これやるからさ」

 俺はそう言って、グラスをモシータの前に置いた。

「クリームソーダだぞ」

「くりーむそーだ?」

 モシータはキョトンとした。

「お? まだ飲んだことなかったか? アイスは食ってるよな?」

「あ、わかったにゃあ。このふつふつ液体に泡が立つのは、"たんさん"ってやつだにゃあ」

 モシータはまじまじとグラスを見ていた。

 モシータの前に置いたのは、俺の自慢のクリームソーダだ。

 懐かしい昭和感のある味わいをめざしたもので、涼しげな緑の液体に炭酸水と氷を入れ、アイボリーの色が食欲をそそるバニラアイスを乗せてさくらんぼを乗せたもの。オーソドックスかつ最強の布陣だと思う。

「たんさんは、ぱちぱちするんだにゃ。飼い主のおねえちゃんはたんさんがすきだったから知ってるにゃあ。ぼくは昔は普通のねこだったから、飲んだことないけど」

「そうかなーと思ったよ。普通の水多めに割ってあるから、お前でも大丈夫だろ」

 そういうと、モシータはちょっとそろそろと用心深く、まずアイスから舐めた。

 ねこまたの今では珈琲はよく飲んでいるが、そういえば炭酸飲料は初めてかもしれない。ただの猫だった頃と違って、人間の食べ物も大丈夫らしいが、やはり猫は猫。まだまだ知らないことは多いらしい。

「アイスは好きだにゃ。甘いし、ミルクの味がする」

 そういって、今度はちろっと炭酸も舐めてみる。一瞬びくっとしたが、その後、慣れてきたのかちまちまと舐めていた。

「甘い飲み物だにゃ。夏には美味しい」

 モシータが溶けて濁り始めた、淡い白と緑を眺める。

「きれいだにゃあ」

 モシータが目を細める。

 モシータがそういうので、俺はちょっと機嫌が良くなる。

「気に入ったか?」

「まあまあにゃ」

 さっきはあんなに感動していたのに、モシータはすげなくそういう。

「ちぇっ、かわいくないなあ」

 猫はつれない生き物で、なおかつ素直ではない。こういうのを真に受けると、猫と付き合いきれない。

 しかし、モシータは気に入ったらしく、改めて俺の方をじっと見上げてきた。

「ぱちぱちするのも美味しかったにゃあ。マスターはこれを夏のお店に出す?」

「もちろんそのつもりだ。でも、ここにくるのは人間じゃない客なんだろ? 見かけは人だけど、猫とか犬とかそういうのもいるって」

 俺はモシータを見て、ちょっと心配になっていった。

「もしかして、クリームソーダの炭酸飲料、お客さんたちも苦手かな?」

「そんなことないにゃ」

 モシータが言った。

「初めはびっくりするけど、なれたら美味しいと思うにゃ。客もそのうちなれるもんだにゃあ」

 モシータはそう言って、アイスをぱくりと口に入れた。さらにスプーンで混ぜている。

 色が混ざるのを見て遊んでいるらしい。

「ぼくも、次はもっとぱちぱちしたのでも平気だと思う」

「本当か?」

「本当にゃ。ぼくは大人のねこで、なおかつねこまただから、こねこみたいな扱いしないで欲しいにゃあ」

 俺は半信半疑になりつつ、モシータが遊びながらクリームソーダを飲んでいるのを眺めていた。

 案外飽きないものだ。


 今年の夏はまた暑くなるだろうか。

 できたら、オンボロのエアコンとクリームソーダで乗り切れる程度の暑さであって欲しい。

 毛玉のようなモシータをみながら、俺はちょっと思ったものだった。

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