第六章 第三部:北領主の画策
その頃。
小谷の村より北、平原を抜ける寒風に囲まれた広大な館の奥で、この地の支配者である北の領、“越嶺領”の領主は、机上に積み上げられた報告書と地図を睨みつけ、独り思案に耽っていた。
小谷の村……。表向きは山中の寂れた小村に過ぎぬが、その背後には不可解極まる集団と施設が存在する。調査を重ねるたび、謎は深まるばかりだ。
我らが放った隠密の報告によれば、村の山向こうに陣取るその集団は、常人の技では看破しえぬ隠密を新月の闇の中でも容易く探知するという。そればかりか、聞いたこともない大音響や、夜を昼に変えるほどの強烈な光を浴びせて追い払い、時には目に見えぬ謎の攻撃を加えてくる。しかも奴らの攻撃は漆黒の闇のなかにあってなお、驚くべき精度を誇る。
だが、奇妙な点もあった。奴らの攻撃はそれほどまでに驚異的でありながら、いまだ一人として死者を出しておらず、広域殲滅力を示すような攻撃手段も見られない。せいぜいが追い払うだけで、捕虜を取る能力すらないようだ。少なくとも、大軍を正面から制圧するための“武威”は示されていないのだ。
小谷の村は、その謎の集団に守られている。ならば、あの村には保護するに値する相応の価値があるに違いない。
その疑念は、手を変え品を変え散らせた間諜からの情報で、徐々に確信へと変わっていった。
まず、小谷の村を抱える南の領主についてだが、これはやはり救いようのない“阿呆”であった。 自領の管理を放棄し、館で怠惰に溺れている。村々に足を運ぶことはおろか、まともに状況を把握する気概すらない。村からの切実な申し入れも捨て置き、ましてや援助の手を差し伸べることなど皆無だ。そのため周辺の村々は寂れ、作物の収量も目に見えて落ち込んでいるという。しかし、あの阿呆はそれすら気付かず、毎年決まった分量の年貢を代官に回収させているだけだ。その代官が年貢を増やしてそれをくすねていることも、袖の下を受け取っていることも把握していない。まともな領地経営など欠片も行われていない。
一方で、興味深いのが小谷の村だ。そのような状況下で小谷の村だけは活気を取り戻し、作物の収量も増えている。逆に、収量が増えているにも関わらず年貢が据え置きのまま黙認されているという点は、同じ領主として聞くに堪えぬ体たらくだが、我らにとっては好都合。南がこれほどの阿呆で、領地が疲弊したままならば、南領の侵攻は赤子の手をひねるより容易い。
問題は、変化の渦中にある小谷の村そのものだ。
長らく放置されていた休耕地が耕され、作付けは増え、村人たちの顔には生気が戻っている。それどころか、近頃は笑い声すら聞こえるという。寂れ果てたはずの山村において、この急激な変貌は明らかに“異常”であった。
さらに、間諜からは見過ごせぬ報告が届いている。 老人と女子供ばかりだったはずの村に、武家育ちのように鍛え抜かれた、背丈の高い若者が増えているというのだ。痩せ細った飢民とは一線を画す、強靭な骨格と体格。その言葉遣いも村民とはいささか異なっている。
加えて、例の謎の施設から村へ来訪する者の数も増えていた。
ある夜には、聞いたことのない“重低音”が村に近づくのを耳にした者がいる。 音は村のなかで突如として途絶えたが、翌朝の調査で、村から細い轍が伸びているのが確認された。その先には、昨日まで存在しなかったはずの細道が切り拓かれ、やはりあの謎の施設へと繋がっていたのである。
村と施設の結びつきは、もはや疑いようがない......問題は、奴らの目的だ。
しかし、肝心の施設そのものに関する情報は、依然として手詰まりであった。 隠密は接近した途端に警告を受け、間諜は門前で追い返され、内部には一歩たりとも踏み込めない。攻撃されることもなく、死者も出ないが、情報は一切増えず、こちらが仕掛けた挑発にも一切反応しない。
(事を構える能力がないのか。あるいは、我らを取るに足らぬ存在と見なしているのか。……判断がつかぬ。これ以上の真実を剥ぎ取るには、もはや強硬策しかあるまい)
残された時間は、それほど多くはない。 季節はすでに秋。冬になればこの地は深い豪雪に閉ざされ、大規模な進軍は補給も消耗も常軌を逸することになる。時間が経てば、いかに阿呆の南方領主といえど、村の異変や謎の施設に目を向ける日が来るやもしれぬ。
(冬が来る前に、総攻撃を仕掛ける)
私は決断した。
本格的な侵攻の前に、一度だけ“威力偵察”を執り行う。 大軍を動かすのではない。小規模な兵力を村と施設の双方にぶつけ、その反応を極限まで引き出す。狙いは撃滅ではなく、飽くまで“観察”だ。反撃の射程、武装の特性、その威力、対応の速さ。これらをすべて計測する。
もしその結果、
・大軍を受け止める能力がない。
・殺傷能力を持たない。
・領地全体を焼き尽くすような広域殲滅の術も持たない。
と判明すれば、雪が降りはじめる前に総力戦へと移行する。
(未知を恐れることは弱さではない、情報不足への警鐘だ。情報は資源だ。あの集団が我が軍を打倒する力を持っているのか。多少の損害を払ってでも、我が領にそれ以上の富をもたらす価値があるのか。それらを見極めるため……最後の探りを入れる時が来たのだ)
こうして、北の領主による静かなる侵攻計画は、密かに、しかし確実に始動した。




