第六章 第二部:潜行する要塞
村と白峰駐屯地の往来は、あの日を境に劇的に増加した。
最初に着手されたのは、人員の配置転換だ。話し合いから数日後には、村内の厠掃除に精を出す若者、薪割りに混ざる快活な男、寺子屋の修繕に汗を流す無口な壮年たちの姿があった。 彼らは村人たちと同じ装いで、一見するとただの働き者な村人にしか見えないが、その正体はすべて自衛隊の隊員たちだった。
出発前、伊藤は隊員たちに厳命していた。
「見た目の平穏な日常を崩すな。あくまで生活の延長でいけ。村に自然に溶け込み、根付き、敵に悟らせるな」
今、村に求められているのは、銃を手にした兵士が立つことではない。村の被害を最小限にとどめるためには、敵の戦力配分を駐屯地に傾けさせ、かつ村の防衛を確かなものにしなければならない。そのため、村の戦力を悟らせず、隊員たちが日常の中に深く潜り込み、秘密裏に内側から防衛網を築いていった。
次に、村の外縁部が変貌を遂げた。 村の周囲は山と深い林に囲まれており、隠密や夜襲には絶好の地形といえた。 橋谷は数人の隊員を引き連れ、林の湿った土を踏みしめながら、黙々と赤外線センサーを設置し、その表面に剥ぎ取った木の皮や湿った苔を巧妙に貼り付け、周囲の情景に完全に溶け込ませていく。
「ここが東側からの侵入経路になる。これで侵入は感知できるはずだ」
隣にいた隊員が頷く。
「罠はどうしますか?」
「必要最低限だ。殺傷用の罠は仕掛けない。誤って領民を傷つけるのは最悪の“愚策”だ。足止めができればそれで十分だ」
その後、罠の設置には弥吉たち村の若者も協力した。静まり返った林の中には、原始的な落とし穴や括り罠と、現代のハイテクセンサーが奇妙に共存していた。
駐屯地の山側から村へと続く“裏道”の確保も急ピッチで進められた。 もとはまさに“獣道”というべき、山の中の険しい小道だ。 裏道構築班の相談役を任された地元民環境コンサルタントの滝口が細かいルートを選定し、若い隊員たちが手際よく枝を払い、村人たちと力を合わせて岩をどかし、土を踏み固め、車両が通過できる最低限の道幅へと整えられていった。
「これだけ整えれば、通れるでしょう」
滝口が顎で道を示した。
伊藤は入念に観察し、短く応じた。
「ああ。今夜、車両を搬入する」
月のない深夜。 村の裏手に位置する大きな納屋に、巨大な黒い影が滑り込んだ。 輸送用トラックが二台。夜の冷気にディーゼル油の鋭い匂いが混じり、エンジンが吐き出す排熱が周囲の空気を不自然に震わせる。それは村の誰も見たことのない、異質な威圧感を放つ “鉄の塊” だった。
橋谷が腕時計のバックライトを点灯させ、低く呟く。
「予定通りだ」
トラックには拠点構築用の資材や通信機材、予備の弾薬が満載されていた。これらはすべてこのまま納屋に隠され、有事の際にはこの車両を村民の避難に用いる手はずだ。 隊員たちは車両の周囲に村人たちから借りた藁や薪を積み上げ、外見からは単なる古い納屋にしか見えないよう“偽装”を施した。
さらに、村の内部には“見えない軍事施設”が次々と誕生していった。 畑の端には伏せ撃ち用の窪地が巧妙に掘られ、寺の裏手には通信本部となる小さな小屋がひっそりと建てられた。 納屋を転用した車庫には武器弾薬が厳重に保管され、麓の小さな蔵は隊員の荷物や資材の集積場へと変わった。 村の中央には、以前の倍はあろうかという物見櫓が建ち、その頂上に置かれた一見ただの古びた荷物入れに見える木箱の中には、最新鋭の観測機器と無線装置が隠されている。
夜、小谷の村で、囲炉裏の火を囲みながら、幼子を抱く女がポツリと漏らした。
「戦に、なるのかね」
隣で、一人の老人が震える声で答える。
「なったとしても、あの人らが力を貸してくれる。きっと守ってくださる。わしらの村じゃ、わしらもわしらにできることをやるだけじゃ」
この先どうなるか、確かなことを言える者はいなかった。
ただ一つ確かな事実は、平和に見えるこの小谷の村が、静寂の中で刻一刻と“武装化された要塞”へと変貌を遂げているということだった。




