第六章 第一部:それぞれの受け止めかた
白峰駐屯地中央棟の食堂は、臨時の集会所と化していた。
机はすべて壁際に寄せられ、警邏にあたっている隊員を除き、室内には駐屯地内の全員が詰めかけている。充満する空気には、隠しきれない緊張が色濃く漂っていた。
外山司令は、壇上と呼ぶには些か低い台の上に静かに立った。全員の視線が自分に収束するのを待ち、短く息を整える。
「本日、私は皆に、我々が置かれている状況と今後について、知りうるすべてを開示する」
静寂が落ちた。外山は余計な前置きを省き、単刀直入に事実を告げた。
「すでに感づいている者も多いだろうが、我々が現在いる場所は、現代の自国領内ではない。時空的な移動と考えられる現象に巻き込まれた」
薄々察していた者が多かったからだろう、大きなどよめきは起きなかった。しかし、最高責任者による“正式な言質”は、それまで漂っていた疑念を逃れようのない現実へと変える重さを持っていた。
外山は言葉を重ねる。
「帰還手段は、現状――存在しない。通信手段もない。救援は期待できず、この環境で自存していくほかない」
民間人の一部が息を呑み、隊員の数名が無意識に拳を握りしめた。外山は冷静に視線を巡らせるが、その瞳に個人的な感情は映さない。
「我々が転移したこの時代は――“戦国時代”だ。周囲には現地勢力が存在し、我々はすでに、その勢力の一つから敵意を向けられている」
ここで、室内の空気が大きく揺れた。誰かが震える声で「敵意……?」と呟く。
「近隣の領主勢力だ。この辺りは南を治める領主の領地、“信峰領”という地の北の端にあたる。対して、この地域の北方の“越嶺領”という地の領主が、我々の駐屯地と小谷の村に対して敵意を向けている。 村を襲おうとした隠密も、その領主の手先である可能性が高い。敵は既に我々を調査する段階を終え、実力行使の準備を整えつつあると考えられる」
一人の老婦、安藤はるが、縋るような声を上げた。
「戦争に……なるんですか?」
外山の返答は、突き放すように淡々としていた。
「敵対勢力が大軍を率いて攻めてくる可能性は極めて高い。目的は村の掌握と略奪、そして我々の装備の“鹵獲”だ。避けられない衝突が予想される」
それは、一切の装飾を排した嘘偽りない宣告だった。 希望的観測を混ぜて部下を迷わせないのが、外山という指揮官の流儀だった。
「続いて、こちらにいる日下部氏から皆に話がある」
簡潔に話を区切ると、外山は隣に控えていた一人の男に視線を向けた。“未来人”の日下部だ。 日下部は席から立ち上がり壇上の外山と入れ替わると、集まった人々の顔を一つ一つ見回した。彼は一度だけ深く息を吸い込むと、断腸の思いを込めて頭を下げた。
「……私が、この時間転移に皆さんを巻き込んでしまった一因です。本当に、申し訳ない」
声は震え、言葉には逃げ場のない重さがあった。
「私は、皆さんと同じ時代の人間ではありません。未来の研究施設で起きた実験事故により、皆さんの時代に強制転移した……皆さんより先の未来から来た人間です」
彼は自身の出自を、これまでの経緯を、簡潔に、しかし逃げずに説明した。そして、最後にもう一度深く頭を下げて言った。
「ここにいる皆さんをこの過酷な時代に引きずり込んだ原因の一端は、私にあります。どんな非難も罰も受ける覚悟です。でも、今は……どうか今は、皆で生き残るために、力を貸してください」
日下部は自身の罪から目を背けなかった。隠さなかった。その告白を信じるかどうかは、聞いた者の判断に委ねられる。だが、少なくともその覚悟のこもった声は、居合わせた人々の胸を打った。
「私の持つ未来の端末には、これから起こる未来が記録されています。外山司令の話したことは、この端末に記録された、これから確定しようとしている歴史です。しかし、この先の歴史は、我々の行い次第で変わります。良い方にも、悪い方にも。これを最悪の歴史に確定させないために、どうか、力を貸してください」
外山が静かに頷き、告白の区切りを示した。
「以上が事実関係だ。我々は万能ではない。部隊規模は限定され、装備には消耗がある。補給のあてはなく、地理情報も乏しい。そんな中で現在、敵はこの駐屯地と小谷の村を狙っている」
一度言葉を切ると、外山は改めて全体を見渡し、これからの指針を宣告した。
「ゆえに、これより小谷の村との協議を開始する。状況を共有し、利害を整理しなければならない。我々は歴史を、未来を守る。そのためにも、我々自身も、村も、守り切らねばならない」
続いて、三人の隊員の名を呼ぶ。
「伊藤三佐、橋谷三曹、宮本士長。貴官らに村との交渉を任せる。本日、委細を詰め、明朝準備が整い次第出立せよ」
三人は背筋を伸ばし、迷いのない声で応じた。
「はっ!」
明朝、彼らは村へ向かった。
村の会所に通された三人は、弥吉や年嵩の男たちを先頭に、不安げな村人たちに囲まれていた。 今さら言葉を選び、繕う場ではない。嘘を吐いても信頼を損なうだけだ。
伊藤が、覚悟を決めた面持ちで口を開いた。
「今から話す内容は、信じ難いことかもしれませんが、すべて事実です」
古びた木造の会所に、張り詰めた静寂が満ちる。
「我々は遥か先の世界から来た“防人”です。不慮の事故により、この時代へ迷い込みました。何か目的があって訪れたわけではなく、この地を支配するつもりも、村を保護する義務もありません。そもそも、本来我々は、この時代の営みに干渉することを極力避けるつもりでした」
その言葉に、村人たちの間に戸惑いのざわめきが広がる。
「しかし、我々を敵と見なす領主勢力が現れました。先日の村の近くの痕跡も、その手先の野盗です。彼らは村を蹂躙し、同時に我々の駐屯地をも武力で奪い取ろうと画策しています」
一人の年配の村役が、震える声で訊ねた。
「……それは、本当か? もし本当なら、どうか助けては下さらんか。何でもする、何でも差し出すから!」
伊藤は即答しなかった。安易な救済を約束し、依存させるわけにはいかないからだ。
「我々は防人です。戦を望んでいるわけではありませんし、できるだけこの時代に干渉したくはありません。ですが、こちらに牙を剥く者を成すがままに受け入れるつもりもありません。敵は我々と貴方たちの両方を狙っている。ならば、それを思い通りにさせてやるつもりはありません。その代わり、我々に協力していただけますか」
宮本が、その強ばった空気を和らげるように言葉を継ぐ。
「俺たちはこの時代に戦争をしに来たんじゃない。でも、村も俺たちも同じ敵に狙われてる運命共同体なんだ。村も、あんたたちも、俺たちが全力で守る。だから、信じて協力してほしい。村の皆にも、自分たちの命を、生活を守るために、できることをやってほしい」
橋谷は淡々と、しかし実務的な補足をした。
「我々が戦い抜くためには、村の協力、そして“戦のための準備”が必要不可欠です」
村の空気が一気に凍りついた。 そこには恐怖や服従の気配、神頼みのような期待、そして“余計なことに巻き込むな”という排斥の眼差しも混在していた。
一人の母親が、たまらず泣き崩れた。
若い男が、声を震わせて問いかける。
「わ、わしらはどうすりゃええ……どうすりゃ、助かるんじゃ……」
ここで伊藤は初めて、その声色に柔らかな慈愛を込めた。
「選んでください。我々は強制はしません。我々はこの村を統治する領主ではない。自分たちの未来を選ぶのは、あなたたち自身です」
会所を包む沈黙は、重く、長かった。だが、その沈黙こそが、彼らが自分たちの手で残酷な“真実”を受け取った何よりの証拠であった。
ただ押し寄せる流れに身を任せるだけだった村は、自らの意思で選び、立ち上がろうとしていた。




