第五章 第四部:因果の臨界点
日下部は、端末の表示を一つずつ切り替えていった。
文字の配列、年表、地名、それらの説明――
「これが――改変前の歴史です」
示された項は、簡潔な記録だった。 小谷の名も持たぬ一集落。山間の寒村。戦国期に入り、戦役による若者の徴発が続き、人口は緩やかに減少。数十年をかけて耕作地は荒れ果て、家々は朽ち、やがて住民は近隣の村へ移転・吸収される。
そこから先は、戦国時代は終結し、安土桃山時代、江戸時代、江戸幕府が討幕され現代へと至る、誰もが知る大きな歴史の流れを辿る。
「村では争いも、虐殺もありません。ただ、静かに歴史から消えていくはずの場所でした」
それが、本来辿るべき未来だった。
次に、日下部は端末の別の履歴を開いた。わずかに震える指先が、更新された歴史を示す。
「そして――これが、現在の歴史です」
場の空気が凍りついた。 病による死者や冬季死亡率の低下。農作業効率の異常な向上。設備の更新・拡張。人口は徐々に増加。さらに、そこには本来あり得ないはずの“注記”が書き加えられていた。
・正体不明の軍事勢力の影響圏にある可能性
・周辺地域が衰退するなか、不可思議な速度で繁栄
・周辺勢力による威力偵察の頻発
伊藤が、重苦しく息を吐いた。
「……野盗に何度も狙われた理由は、これか」
「はい」
日下部は静かに頷いた。
「ただの寒村が、何者かに守られている。守られている理由が不明。だがそれだけでなく、周囲が衰退する中で、この村だけが突出して繁栄してしまった。周囲の目に余るほどに......」
それは、戦国という弱肉強食の時代において、非常に分かりやすい“異常”として周囲の目に映ったのだ。
「最初は探りです。野盗、隠密。偵察がやがて威力偵察へと変わる」
これまでに起きた出来事が、パズルのピースが埋まるように繋がっていく。
「次に、背後関係のある領主が動く。その異常な繁栄に秘められた、謎の軍事勢力が守る“価値”を奪うために」
日下部は、歴史を動かした要因を歴史変動のログを追いつつ切り分けていった。
「当初、薬草の知識を共有した段階では、影響は限定的でした。あの時点では、未来の歴史は変わりませんでした。この土地に元々存在した民間薬や療法の延長線に過ぎず、その効果、回復も穏やかで、周囲との格差は誤差の範囲内だった。それが偵察で見えてきた。加えて、軍を消耗してまでそれ以上探る必要はないと判断したからでしょう」
次に示されたのは、別のログだった。現代医薬。防寒具。そして、現代の工具類。
「ここです」
断定するような響きが、室内に響いた。
「これらの供与が始まってから、歴史が大きく塗り替えられました」
死亡率の急低下。作業能率の爆発的な増大。周辺村落との絶対的な格差。
「これらは、戦国期の技術水準では決して説明がつきません。未来の調査記録には、決定的な事実が記されています」
・樹脂部品を伴う異質な金属工具の出土
・化学繊維製防寒具の痕跡
・合成樹脂製の小瓶
「後の時代、敵対領主の蔵跡からこれらが発掘されています」
日下部の声は、どこまでも淡々としていた。
「“この時代に確かに存在した、時代錯誤の遺物”として」
誰も、宮本の名を口にしなかった。だが、その場にいる全員が同じ顔を思い浮かべていた。
「そして、時代を追うにつれ影響は拡大します。それは、歴史の本流にまで。」
端末に表示された歴史の記述を追う……『長篠の戦い:長篠城にて、竹田軍を従えた上松軍が織田・徳川連合軍を下す。最新式のライフル銃で射程と精度の劣る火縄銃を圧倒。徳川家康、交戦中にライフルで撃たれ討死。織田信長、敗走中に討死』その後も上松軍は資源のほとんどを軍事力に注いで各地に戦線を広げた。結果、内政は荒れ、資源は減り、戦線は停滞。やがて天下統一を果たすも国民は疲弊しきり、資源も尽きる。そこにポルトガルが攻めてきてその植民地となり、日本という国は滅びる。以降、この地を狙うイギリス、フランス、アメリカなど欧米列強に翻弄される植民地時代が現代まで続く。
「なんだ、これは……」
橋谷が、唇を震わせ愕然と呟く。
「これが、今後待ち受ける歴史です。些細と思われるきっかけが、ついに臨界点を超え、歴史を大きく変えてしまうことになります。」
日下部は真剣な眼差しで端末に映る文字列を見つめる。
「断罪することは、誰にもできません。意図したことではなく、悪意もなかった。目の前の命を救いたいという善意の行動を、罪に問うことはできないでしょう」
外山が、搾り出すような声で問いを投げた。
「……だが、その因果は?」
「否定できません」
それは、残酷な肯定だった。
「宮本さんの行動が、歴史改変の“臨界点”となりました。村は、もはや“取るに足らない存在”ではなくなった。“見逃される存在”ではなくなった。この時代に濁流を巻き起こす、最初に水源になってしまったのです」
深い沈黙が落ちた。
誰も、すぐに言葉を発することはできなかった。
ただ、純粋な善意が時代の流れを変えてしまったという結末だけが、端末の冷ややかな光の中に、刻まれていた。




