第三章 第六部:ちらつく影
夜は、静かだった。
山の稜線に月はなく、低い雲が重苦しく垂れ込めている。
村も基地も灯火を落とし、ただそれぞれの静寂の中に沈んでいた。
最初に異常を知らせたのは、無機質なセンサーの反応だった。 基地北西、山道に設置された赤外線センサーが、断続的な熱源を感知した。弥吉の話を受けて、小谷の村に向かう山道に仕掛けたセンサーだ。
あのあと、隊員数名で山道を調査すると、確かに人のいた痕跡はあるが姿は見えなかった。夜まで待っても姿を見せなかったため、山道にセンサーとカメラを設置していた。
「……来たか」
作戦指令室のモニターを確認した伊藤が、低く呟いた。 画面には、漆黒の森を縫うように進む熱の影が映し出されている。隊列は粗く、足並みも揃っていない。
「数は?」
「十二、いや……十三。村の方向へ向かっています」
宮本は、無言で拳を握りしめた。 野盗だ。やはり、弥吉の予感は当たったのだ。
「予定通りだ」
伊藤の声には、一切の感情が混じらない。
「村には近づけさせるな。我々の姿を“見せる”な。存在を“知られる”な」
「――了解」
待機していた小隊が、闇に溶け込むように静かに行動を開始する。 灯りは一切使用せず、無線連絡も最小限。 夜の山に、文明の影は残さない。
野盗たちは、獲物を狙う獣のように村を目指す。
あの大木の脇を抜ければ、いよいよ村の全景が見える。そう確信した次の瞬間だった。
『ダンッ』
闇の中で、何かが“弾けた”。
先頭の一人がその場に崩れ落ちる。
「伏せ――」
叫びは、最後まで続かなかった。
次なる影が倒れ、さらにもう一つが地に沈む。
前回と同じだ。敵の姿も、数も、距離さえも掴めない。何が起きているのか、彼らには理解すら及ばなかった。
「退け! 退け!」
虚しい命令だけが、夜の森に響く。 野盗たちは、正体の見えない恐怖から逃れるように四散した。 伊藤は即座に状況を判断する。
「現地班、三名編成し追跡。目的は拠点の確認だ。引き続き姿は見せるな、深追いは厳禁とする」
野盗のうち、負傷した三名が本隊から遅れて必死に逃走していく。隊員たちは暗視装置越しに、その無防備な背中を冷徹に追った。
――同じ頃。 基地の反対側、東の尾根にも、三人の接近反応があった。 動きは驚くほど速くそれでいてしなやかで、一切の無駄がない。足取りも姿勢も、先ほどの野盗共とは明らかに別種のものだった。
「……あれは」
暗視スコープ越しに、橋谷が不審そうに眉を寄せる。
「野盗じゃありませんね」
「ああ。明らかに専門の訓練を受けている。……ひょっとしたら、俗に言う“忍者”というやつかもしれないな」
索敵センサー、赤外線カメラ、サーモグラフィー、そして暗視スコープ。
肉眼では捉えきれない隠密性は見事だが、現代の探知技術の前には、その身は丸裸も同然だった。
「警告放送!」
『そこの黒ずくめの三人、止まりなさい。これ以上接近すれば攻撃する』
指向性スピーカーから、大音量で警告メッセージが流れる。 三人は一瞬だけ足を止めると、ごく短いやり取りを交わしたようだった。直後、彼らは散開し、さらに速度を上げてこちらへ接近する。
「……聞く耳は持たないか」
伊藤が、淡々と言った。
照準レーザーが、境界のフェンスを越えて夜の空気を鋭く切り裂く。
「撃てっ!」
最初の一発が、一人の肩口を掠めた。致命傷ではないが、確実な衝撃を与える。それでも彼らは止まらない。
「撃てっ!」
二発目がもう一人の腿を貫通した。膝から崩れ落ちる仲間を見て、隠密たちは即座に撤退へと転じる。
「A、B、C班、それぞれ追跡を開始しろ!ただし、気取られるな」
追跡に向かう隊員たちの背を見送りながら、橋谷は確信していた。
(野盗の襲撃と隠密の接近が同時……
これは、偶然ではない
試している。
探っている。
この駐屯地を。村との関係を。)
――隠密追跡班
無傷の者と肩を負傷した者を追っていたB班・C班は、追跡開始から間もなく、相手の姿を完全に見失った。
「やはり、並の人間ではないな」
報告を受けた伊藤が、苦々しく呟く。
一方、足を負傷した隠密を追っていたA班は、追跡を気付かれないよう一定の距離を保って執拗な追跡を続けていた。
4~50分ほど追跡を続けたころ、隠密がふと足を止め、振り返った。その顔は目元以外を隠しているにもかかわらず、不敵に笑っているようにも見えた。直後、隠密の姿が掻き消える。 驚いた隊員たちが慌てて駆け寄ると、そこで地面が途切れていた。
そこは断崖の縁だった。 暗視スコープで確認すれば、その先は深い谷になっている。谷底を流れる清らかな小川は濁り、頭部を激しく打ちつけた隠密が、動かぬ塊となって浮かんでいた。
――野盗追跡班
山道を越え、沢を渡り、四時間ほど追跡を続けていた。空が白み始めたころ、負傷した野盗たちは、山中の崖下にある古びた小屋の前で足を止めた。
崩れかけた壁。
古い柵。
生い茂る草には低い木も混じる。
人の住む気配はないが、今は小屋の周囲に三人、中にも数人いるようだ。先行していた仲間だろうか。負傷者たちは緊張を解いて中へ入っていく。
「中継点、か」
常駐の拠点ではないだろう。遠征の際の休憩や補給、手当て、集合のための“仮宿”だ。
『ガサッ、ガサッ』
遠くで落ち葉を踏みしめる音が響く。少し先に、巡回警備をする野盗の影が見えた。
(ここからどうする……?)
いくつかの選択肢が脳裏をよぎるが、ここで交戦に至った際の影響が未知数だ。隊員は無線で伊藤に指示を仰いだ。
「そこまででいい、深入りはするな」
息を殺し身を潜めて巡回をやり過ごし、静かに撤退する。 仮拠点は闇夜のなか負傷者の足で四時間、駐屯地からまっすぐ普通に歩けば2時間もかからない距離。その位置は、座標とともに頭に叩き込んだ。今夜の収穫はここまでだ。
夜が明ける頃。
村は、何事もなかったかのように穏やかな朝を迎えた。
畑に出る者。
水を汲む者。
そして、子供たちの眠そうな声。
基地を訪れた弥吉も、普段通りの様子だった。
「……おはようございます」
宮本に向かって、深く頭を下げる。
「昨夜は、何もございませんでした」
「そうか……よかった」
宮本は、答えながら村人たちの姿を眺めた。
誰も、何も知らない。
知らされていない。
自分たちが“守られた”という事実すら。
胸の奥に、得体の知れない重苦しさが沈んでいく。
(――次は......
次も、同じように対処できるのだろうか。 誰にも知られず。 誰も傷つけず。 それとも――。)
「宮本」
思考から打ち切られる。背後から、伊藤の静かな声がした。
「深入りするな」
「……分かっています。でも、次は……」
返事はなかった。
その沈黙の中で、宮本は自問自答を繰り返す。
助けられる力があると、分かっている。 それなのに、何もしない――
それが本当に正しいのか。
その問いは、まだ言葉にならないまま、
静かに、胸の奥に沈んでいった。




