第三章 エピローグ:傷だらけの駒
空がやや白み始めた頃。野盗の一団がようやく辿り着いたのは、谷を越えた先――巨大な岩陰に隠れるように佇む場所だった。
崩れかけた小屋と、点在する古い焚き火の跡。彼らがこれまで幾度となく利用してきた中継点の一つである。
「……三人、戻らなかったな」
誰かが低く呟いたが、応える者は誰もいなかった。 それを数えること自体、無意味であることを皆が理解している。帰り道で野盗を抜ける者が出るのは”いつもの”ことだった。そして、その欠員が、いずれ補充されるのもまた、“いつもの”ことでしかなかった。
“いつもの”......
そう。この野盗集団は、少し前にこの村を襲った集団だ。頭領の源蔵の脳裏に、あの忌々しい夜の記憶が苦い汁のように滲み出す。あの日も同じだった。闇を切り裂く正体不明の雷鳴と、姿なき敵。這う這うの体で逃げ帰った後、欠けた頭数を埋めるように“上”から送られてきたのは、何か脛に傷を持つ、死臭の漂う連中ばかりだった。
源蔵は、あの夜受けた攻撃は村の者ではないと確信していた。この村を攻略するため、まずはその正体を探ることを心に決めていた。あの夜のことを“上”に報告し、並行して日中、手下を使ってあの村の調査を続けた。ある日、山道を歩く数人の村人の後をつけた。すると村人たちは、村の南東にある広大で見たこともない屋敷に到着した。そこには、奇妙な斑模様の衣に身を包んだ者たちがうごめき、その脇では、地を這う巨大な箱が、低く唸り声を上げながら動いていた。村の連中は、そこで何やら物々交換をしているようだった。
その後も村人はその奇妙な屋敷に通い続けていた。しかし、そこで村人がもらっているのは肉や魚などの食料ばかりで、あの攻撃の謎は分からなかった。それでも、あれはこの謎の集団によるものだろうと確信めいたものがあった。
これらも逐一“上”に報告を上げた。
後日、“上”から、再度村を襲うように命令が下った。源蔵は反対だった。まだあの攻撃への対策はおろか、敵の正体も、その攻撃方法も、その手掛かりすら全くつかめていない。前回の二の舞になるのは火を見るより明らかだ。だが“上”の言い草は冷酷だった。その攻撃方法を探るためにも今回の襲撃が必要だ、死ぬ気で探ってこい、という。略奪など二の次だ。その見えざる攻撃の正体が何か、敵は誰か、あるいはそのとき村に何かおかしな点はないか。何でもいいから情報を持ち帰れ、そのための肉の礫になれ、と。それが源蔵たちに与えられた、真の役目だった。
“上”の命令は絶対だ。源蔵は覚悟を決め、今回の襲撃を実行した。
結果が、これだった。
肩を撃ち抜かれた男が、苦悶に満ちた表情で壁に背を預けて座り込む。脚をやられた若い男は、血の止まらぬ傷口を冷や水で洗い、代えの布を強く巻きつけていた。その傍らでは、別の男が負傷者の背丈に合う丈夫な杖を黙々と探している。
「村を、“見た”者はいるか。あるいは、攻撃してきた者や、攻撃手段が見えたものは」
源蔵は、重苦しい声で問いかけた。 皆、一様に首を横に振る。
「見えなかった。何も。村にも、近づく前に、やられた」
重い沈黙が、その場に降り積もる。
「あれは……普通の村の戦じゃねえ」
別の男が言葉を継いだ。
「矢でもねえ。姿も見えねえ。人間の動く音も、気配もありゃしねえ。どこからどんな攻撃を受けたのか、最後まで分からなかった」
「はっ!じゃあ、何だってんだ」
さらに別の男が、自嘲気味な乾いた笑いを漏らしながら言った。
「騒ぐな!!最初から言われてただろ。今回は奪えなくてもいい。――“何が起きているか確かめてこい”ってな」
源蔵は、ゆっくりと、深く頷いた。
「そうだ。村そのものが、俺たちの知らぬ力を隠し持っているのか。それとも――」
言葉を切り、小屋の中央の、窓の向こうを見据える。
「何者かに守られているのか。それはやはり、あの山向こうにある“妙な屋敷”の連中なのか」
その場を、刺すような沈黙が支配した。
日中、村を遠巻きに偵察した限りでは、不審な点は何一つなかった。畑を耕す農夫、水を汲む女、泥にまみれて遊ぶ子供たち。どこにでもある、貧しく平穏な山村にしか見えなかった。だが……。村人が、日々あの屋敷へ通っている。行きには大荷物を背負い、帰りはまた別の荷を運んでいる。それは明らかな違和感だった。
「……それだけの“価値”があるってことか」
誰かが、ぽつりと漏らす。
「あんな、さびれた村にか?」
答えは出ない。だが、やることは変わらない。“上”に命じられた通り襲撃し、“上”に命じられた通り事実だけを報告する、それだけだ。
「戻ったら、ありのまま話す」
源蔵は、静かに断を下した。
「日中の偵察では、村に異常はなかったこと。そして昨夜、もうすぐで村に着くというところで、一方的に何者かの不可視の攻撃を受け、襲撃は失敗したこと。その際の村の様子は確認できなかったこと。敵の人数も、武器も、正体も、攻撃手段も――何一つ掴めなかったということをな」
この情報にどれほどの価値があるのか、彼らには分からない。それを判断するのは、彼らを動かしている“上”の人間だ。
夜明け前、負傷者の応急処置と短い休息を終え、野盗たちは再び動き出す。
誰も、「次はどうなる」とは口にしなかった。
(次があることは、分かっている。 そして……俺たちがただの“捨て駒”であることもな)
山は何も語らず、ただ去りゆく彼らを、その懐に呑み込んでいった。




