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卑怯な温もり  作者: 久遠寺蒼
リエとの出会い
4/25

3:たしか、神奈川だったよね?

 彼女と初めて会ったのは、僕のバイト先だった。

 よくある大型家電量販店で、僕は販売応援員として、彼女はキャンペーンガールとして、ある週の土日の二日間だけ一緒に働いた。

 フロア面積の小さな店舗だった。

 だから、同じフロアで稼動している人は、一時間も仕事をすれば大体顔を覚えてしまう。

 僕はOLYMPUSのコンパクトデジタルカメラの販売を主に担当し、彼女はNikonのデジタル一眼レフカメラの紹介を担当していた。

 彼女と同じフロアで仕事をした。

 彼女はフロアの入り口に立ち、Nikonのデジタル一眼レフカメラに新商品が出たことを、マイクパフォーマンスしながら華やかにアピールしていた。

 何人もいたキャンペーンガールの中で、彼女の姿だけが生き生きとしているように見えた。

 笑顔が、眩しかった。

 片方にだけできるえくぼや、笑うと目を細める表情が、とても微笑ましかったのを覚えている。

 僕は淡々と接客を続けながら、その姿を横目で眺めていた。

 時々、Nikonの新商品について質問をしてくる初老のお客様がいて、彼女の元に案内した。

 彼女もまた、コンパクトデジタルカメラについて質問されたお客様を案内するために、僕の元にきたりした。

 キャンペーンガールは、そのキャンペーン対象商品についての知識しか教えてもらえない場合が多い。

 だから、フロアの前に立つ彼女たちは、必然的に商品知識を僕らに聞きにくるしかなかった。

『すいません、CANONのデジカメについてご質問のあるお客様です』

 僕の方が背が高かったので、必然的に彼女は上目遣いになる。

 その少し戸惑ったような、どこか安心しているような表情に、僕はうっすらと頬を赤らめたのだった。

 お昼になる。

 僕が稼動していた店舗では、事務所の奥にある社員食堂で昼食をとることになっていた。

 サンマの蒲焼定食をカウンターで注文してから座れる席を探す。

 奥の方にNikonと書かれた黄色いジャケットを纏った後ろ姿と、その隣に空いている椅子を見つけた。

『隣、失礼するね』

『あ、はい、どうぞどうぞ』

 その後ろ姿は、彼女だった。

 彼女は入店する前にセブンイレブンで買ってきたのだろうサンドウィッチと海草サラダを食べているところだった。

 僕はいただきますと両手を合わせ、味噌汁を一口啜った。

『……この店でいつも働いているんですか?』

 最初に話しかけてきたのは、彼女の方からだった。

『ううん、僕は派遣バイトだから、いつもここにいるわけじゃないんだ。その前は吉祥寺の方でやってたんだよ』

 サンマの蒲焼を箸でほぐしながら、僕は言った。

 派遣バイトの店舗稼動については大きく二種類ある。

 一つはある特定の店舗に長期間で働く人、もう一つはキャンペーンでいろいろな店舗を週ごとにまわる人。

 僕は前者で、彼女は後者だった。

『あ、そうなんですか! 吉祥寺の方に友達がいて、よく遊びにいったりしてたんですよ』

『じゃあ、もしかしたらその店舗で会っていたかもしれないね』

『そうですね。どれくらい前まで吉祥寺の方にいたんですか?』

『んーと、二週間くらい前かな。人が足りなくなったっていうんで、こっちの店舗に移ってきたんだ』

 僕は蒲焼とご飯を一口ずつ食べてから、彼女に聞いた。

『ここに来る前は、どこの店舗だったの?』

『池袋です。私の家からちょっと遠くて、大変でした』

『遠いんだ……どのあたりに住んでるの?』

『町田ですよ』

 知ってます? と彼女は覗きこむように首を傾げながら、聞いた。

『名前は知ってるよ。たしか、神奈川だったよね?』

『違いますー。よくみんな間違えますけどね。れっきとした東京都民です』

 彼女は少し拗ねてしまったようだ。

『ごめんごめん、僕は埼玉に住んでるから、そっちの地理はよく分からないんだ』

『え、埼玉なんですか? じゃあ吉祥寺とか遠かったでしょ?』

 若干遠いかもしれない。

 埼京線で武蔵浦和まで乗り、武蔵野線に乗り換えて西国分寺まで行って……となると、結構時間がかかる。

『ちょっとね、遠かったかな』

『よくそこで稼動しようって思いましたね』

『なんていうんだろ、宵待草ってカフェー知ってるかな。前に本で読んだんだけどさ。雰囲気のいいカフェーらしいんだ。それが近くにあるらしいから、あんまり気にしなかった』

『どういうことです?』

 彼女はサンドウィッチを咥えながら、今度は先ほどと逆の方向に首を傾けた。

『僕、喫茶店とかカフェーが好きなんだ。煙草が吸えるところだったらもっといいな。クラシックが……例えばショパンとかモーツァルトが流れているこじんまりとした喫茶店の店の隅で、一杯の珈琲を机に置きながら、煙草を左手に、文庫本を右手にしながらゆっくりとした時間を過ごすのって、良くない?』

『煙草を吸うんですね』

 彼女はそう言って、笑った。

『なんか変なの。今どき、そういう人がいるんですね。ちょっとおかしい』

 彼女は、嘲るのではなくて、純粋に楽しそうに笑っていた。

『いいですね、そういうの。私、一回でいいからやってみたいです。煙草を吸いながら、小さな喫茶店で小説を読む、でしたっけ』

『でも煙草は二十歳になってからだよ。未成年の喫煙は警察に捕まっちゃう』

 それなら大丈夫です、と彼女は自信満々に言った。

『私、二十二歳ですから』

『嘘?!』

 僕はすごくすっとんきょうな声を出したと思う。

『年上だったんだ……』

 今度は彼女が驚愕の声を漏らした。

『え、今、いくつなんですか?』

『僕はまだ二十歳だよ。もう少しで二十一歳になるけど』

 彼女は信じられないと目を大きく見開き、右手を口元に添えながら絶句した。

『二十四歳くらいだと思ってました』

『うん、よく言われる』

 一瞬の間をおいて、二人で笑い出した。


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