第5章:【少年時代】(3)
五日市小学校2年のとき、学級文庫集『ざりがに』に載った宮崎勤の文。
遠足の途中、洞穴に入ったときの様子を書いたもの。
《……くらいなあ。ぽちゃ。うう。ひゃっけえ。こつこつ。あっ、なにかたってるわい。》
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水中メガネが割れ、破片が目に刺さって全治一ヶ月の大怪我をした友人は、クラスで唯一人、宮崎から励ましの手紙をもらってうれしかったことをよく覚えている。
23▼「小学校3年のときでした。ボクが入院したとき、宮崎は“頑張れよ”って手紙をくれたんです。“学校が始まるまでに退院できるか”って。やさしいやつだったんだけどなあ……」
(小学校時代の同級生A・B君)[『女性自身』1989.9.5]
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24▼
「僕の知っている彼は、手紙をくれた優しい友人です。幼女殺しの犯人という現在の彼ではない」
(宮崎から励ましの手紙をもらったことのある五日市町の会社員)[『週刊朝日』1989.8.25]
凶悪犯が逮捕された後としては、このような善良な面を伝えるエピソードが掲載されるのは珍しい。
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3年2組の文集『おもいで』に載っている宮崎の文。
「しょうらいやってみたいこと」。
《大きくなったら自動車をかって、ドライブへいって、しょくどうでカレーライスをたべる。それで、しんせきにもいったりする。》
実際には、自動車を買って“やってみた”のは、幼女の誘拐であったのだが。
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25▼
「幼い頃の写真を見る限り、病的なカゲはありません。中流以上の家庭で育った子供の顔ですよ。髪を七三にきちっと分け、利発そうな、おしゃれな優等生に見えますよ」
(東京家政大教授〈精神医学〉H氏)[『サンデー毎日』1989.9.10]
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26▼
「マンガを描くのも好きでね。よくノートに描いていた。ネクラじゃなかったし、いじめられるような子でもない。目立たなかったけど普通の小学生だった」
(同級生)[『フラッシュ』]




