第51章:【逮捕・収監 ・公判 ・判決 ・死刑確定 ~ 死刑執行】(5)
1989年10月19日、宮崎は狭山署より、東京拘置所に移された。
逮捕されてから宮崎は、父親宛に10通以上の手紙を書いている。
拘置所から出した4通の手紙には、『週刊現代』によれば、「“恨みつらみ”が、今田勇子流で綿々(めんめん)と綴られていた。」そうだ。
そのタイトルは、
【幼女連続殺人犯宮崎勤容疑者が拘置所から出した「4通の手紙」】。
「宮崎は父親宛の手紙を、警察署に留置されていた頃から書いてます。
“なぜもっとオレに話しかけてくれなかった。いくら相談しても、相手にしてくれなかったじゃないか。
オレは、お前のような人間になりたくない。
一流大学に行きたかった。
一流企業に就職していれば、こんなことにはならなかった。”
と、そんな手紙が多かったようです。(宮崎家の知人)」
最近(= 当時)の手紙の中には、
「このままではオレは死刑になる。死んでもいいのか。私選弁護団を組織しろ。」
という意味内容のものもあったというのだ。
家族は、冬物の下着と上着、それに果物などの差し入れをしている。
しかし彼は、「これまで3ヶ月間で、3度しか差し入れがない。こんなものはいらない。」と、怒りを見せたという。
「結局は、拒否した衣服を身につけ、果物も食べてる。それどころか、拘置所では、朝の食事から麦飯の“おかわり”をしている。
さすがに看守は、女性週刊誌は見せていないが、新聞と午後6時からのテレビは、1時間ほどは見せてるそうです。(司法関係者)」




