第37章:【就職~家業手伝い】(9)
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「“ツトム、ツトム”と言って、お祖父さんは勤をずいぶん可愛がっていました。長男の長男だから、一番可愛かったんでしょう。父親に隠れてお祖父さんが小遣いをやっていたと思います。
父親はS吉さんが死んだ後、晴海の見本市(7月)で一台700万もする新しい印刷機械を買ったということです。事業を拡張するつもりだったんでしょう。
勤は無口で、高校の頃からもう親父、お袋と口をきいたことがないそうだけど、父親は最近、秋川市に支店を作ってやるから、結婚して独立しろ、と叱っていたらしい。
それに、上の妹の結婚も昨年はじめに決まっていて、勤もいつまでもブラブラしていられなかったと思いますよ」
( 秋川新聞社の関係者)[『文藝春秋』10号【追跡!宮崎勤の「暗い森」】安倍隆典]
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祖父は去年(1988年)の5月、脳溢血で死亡する。生前、祖父は骨董品収集が趣味で、琵琶や詩吟をたしなみ、飼い犬の「ペス」を大変可愛がっていた。祖父は老人性痴呆症にかかり、数年前から町内の特別擁護老人ホームに入っている。
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「祖父さんは五日市町では指折りの成功者だったね。町会議員を勤めたこともある。詩吟をやったり、いろいろ趣味の広い人だったよ。
女性のほうも発展家で、ばあさんとよくモメていた。町じゅう、知らぬものはない。そのせいか息子は酒も飲まない仕事一本やりの堅物。そんなこともあってか勤は親父より、祖父さんになついてたなあ」
(五日市町の古老人)[『文春』1989.9.7]
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「去年5月におじいちゃんが90歳で亡くなって、勤君を可愛がっていたおばあちゃんも、半身不随で町内の老人ホームにいます。おじいちゃんの葬式の時は、泣きじゃくる両親や妹たちと違って、涙ひとつ見せなかった。まあ、男の子だから、しっかりしてきたと思って見てきたのですが。
なにしろ、道で会っても挨拶もしないし、一度、しっかりせんといかんぞ、と注意したことがあって。その時も、うつむいてうなずくだけで……」
(自治会の役員60歳。)[『週刊読売』1989.8.27]
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親戚の一人は、祖父の葬儀のときの宮崎勤の様子を次のように語る。
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「勤ちゃんはうろうろしてました。ショックをね、相当受けたようでした。あのおじいちゃんは孫を可愛がっていたからね。私、思うんだけど、おじいちゃんが死んで、勤ちゃんの見張り役がいなくなったから、それであんなことをするようになったんではないかって」
(親戚のひとり)[『現代』10号【幼女惨殺】吉岡忍]
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宮崎は幼女殺害やビデオ撮影の動機を「おじいさんを生き返らせるため」等と、メンヘルな理由を語っている。
雑誌「創」編集長の篠田氏などは「祖父の死が事件のきっかけとなったのではないか」と解釈しているが、実際は宮崎は祖父をクソジジイと呼んで暴行したり、祖父は祖父で「勤のそばにいたら殺されてしまう」と語っていたという声もある。
これも宮崎の内面のことで真実は伺い知れないが、どうも筆者個人としては、祖父の死も都合よく動機付けに利用していたのではないか、という疑惑が否めない。
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「臨終の際、祖父が可愛がっていた犬の鳴き声を録音して遺体に聞かせていた。あの時は優しい子だなあと、私もホロリとしたんだが……」
(父親)[『文春』1989.9.7]
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「勤が慕っていた祖父が(去年の)5月16日に亡くなった。祖父が犬好きだったため、臨終の際、勤はテープに録音した犬の鳴き声を遺体にしばらく聞かせていた。この時は『ちょっと変わっているな』と思った。
それから祖父の葬式後、趣味だった骨董品を遺族で分配する相談をしていたところ、勤がなだれこんできて、集まった人々に『出て行け!』と叫んだことがあった。このあとも家族に危害こそ加えないが、窓ガラスをたたき割ったり、とどうも変な行動があった」
(父親)[『東京新聞』]
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父親は150で、遺体に犬の鳴き声のテープを聞かせる勤を「優しい子だなあとホロリとした」と言い、151では「ちょっと変わっているな」と言う。本当に別々の場所でそう発言したなら、父親の方も少々変だ。




