第29章:【就職~家業手伝い】(1)
114▼
「父親の紹介で、家業を継ぐための見習いということで、5年の約束で入社した。ところが、印刷機以外の仕事は覚えようとしない。新人研修の時から居眠りをするなど、まったくやる気が見えず、技術もほとんど身につかなかったようだ。3年で退社しました」
(会社関係者)[『文藝春秋』10号【追跡!宮崎勤の「暗い森」】安倍隆典]
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
115▼
「奥さんが“修業に行かしているんだ”って、言ってらっしゃいましたよ。いつも息子さんのことを“兄ちゃん、兄ちゃん”と呼んでねェ。“会社の帰りが遅いときも、夕飯はちゃんと残してあるんだ”って、嬉しそうに話してました」
(近所の老婆)[『週刊ポスト』1989.9.7]
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
会社を休むときは母親が電話してきた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
116▼
「とにかくこちらから話しかけないと何も言わない。昼食も一人だけ離れて隅で食べていましたし、仕事が終われば、まっすぐ家に帰って仲間とつき合うこともなかった。
仕事に対する熱意があるわけでもないし、ヤル気もなかった。ただ言われたことだけはやる。仕事を休むときも“明日、休むよ”と言うだけで、別に私に許可をとるわけではないんだ。仕事中だって二、三時間ふっといなくなる。どこに行ってるんだか全然わからないんです」
(従業員)[『女性自身』1989.9.5]
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
117▼
「会社を辞める前後だったと思います。それまで音信不通だった勤がひょっこり尋ねてきたんですよ。とっつきにくくなったと思いましたね。
彼の部屋にも行ったんですが、何百冊という怪獣の本と、床には20冊くらいのエロ雑誌。それに食い散らかしたミカンの皮が放り出してありました。彼に仕事のことを聞いたら、“仕事は暇だし、だるい。将来、家を継がなくちゃならないから”って言ってました」
(幼なじみ、I氏)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
会社を辞めて、86年春頃から、自宅の工場『秋川新聞社・印刷センター』で働くようになる。就業時間は、8時から5時まで。月給15万円。
オフセット印刷機を操作し、刷り上がったチラシの束を得意先の新聞販売店などに届ける。運転免許を取り、日産ラングレーを親に買ってもらう。二週間に一度は平日にドライブに出た。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
118▼
「三年前から家業の手伝いをするようになって、また僕の家に遊びに来るようになりました。不思議な男で、いつも赤い色の大きなスポーツカバンを持っていました。中には、将棋、トランプ、それから缶ジュース、ビデオテープが数本入ってました」
(A氏)[『文春』1989.9.7]




