第2章:【幼年時代】(2)
綾子ちゃん殺害の動機を、「手の障害を馬鹿にされた」からだと宮崎は言う。この「手の障害」とは、掌を上に向けるとき、完全に水平にはならないというものだ。
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「彼の手は、両の手のひらを完全に水平に開くことができないんです。あれは、出産のときの酸欠のためになった障害なんです」
(当時の医師)[『女性自身』1989.9.5]
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「父親のことをパパ、母親のことをちゃーちゃんと呼んでいました。木登りしたり、河原で遊んだり……バクチク遊びなんかもやって、ほんと元気な子でしたよ」
(同)[『女性セブン』1989.9.7]
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モノの破壊からカエルやミミズの殺傷まで、バクチク遊びはマイナス生産的な快感の遊戯だ。この頃、既に「2B弾」のような火薬量の多いものは、製造中止となっていたが。
「おふくろは、子供の頃からずっと、勤のことを、“勤ちゃん”と呼んでいた」
(幼なじみ)[『明星』]
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「いつもお母さんと一緒で、道で出会うと母親の背後に隠れてしまう、そんな子でした」
(近所の主婦)[『文春』1989.8.31]
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「彼の靴はずっと母親が買いにきました。いつも白色の運動靴で、値段は4千円くらい。大きくなると、靴ぐらい自分で選ぼうとするのに……。こんなに近所にいるのに、彼の姿を見たことは一度もありません」
( 近所の靴屋さん)[『明星』]
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「勤は、お母さんとはよく話をしていましたね。でも、話をしているときに父親が入ってくると、スーッとその場を離れて自分の部屋に行ってしまう。勤も小さいころから、父親とは遊ぶ子じゃなかった」
(取引先の主人)[『女性自身』1989.9.5]
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「小さい時から頭を刈っているが、何を話しかけても応答しない。時々、小さな声で『ウン』と言うくらいですよ。苦労を知らないボンボンだな、と寛大な目で見ていましたがねぇ。ちょっと気になったのは、平然とした態度が筋金入りだったことだな」
(近所の理髪店主)[サンデー毎日 1989.9.3]
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「生徒数も少なかったので、覚えていてもいいはずなんですが、よく覚えていないんです」
(私立秋川幼稚園、N園長)[『フラッシュ』]




