第1章:【幼年時代】(1)
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「私は勤くんが生まれる以前から、宮崎社長のところで印刷の仕事をしてきました。ですから、勤くんが幼い頃のことは、今でも鮮明に記憶しています。
四歳ぐらいまでは、よく工場へ遊びにやってきたものでした。工場の床に腹ばいになって、ひとり黙々とマルや四角の絵を描いて遊んでいました。
笑ったときの顔は、それはかわいらしい笑顔で、恵比寿さまのようななんともいえないやさしい表情の幼な子だったんです。
工場で遊びながらお昼になると、私の弁当を分けて一緒に食べたりしたこともありました」
(秋川新聞工場長、K・M氏。『文春』1989.8.31)
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「おれが弁当食っていると、中身を覗きこんだりするから、卵かなんか食べさせてやったね。ほんとにかわいい子でしたね。丸顔で。社長も奥さんも、しょっちゅう工場で遊ばせていましたよ。自動車なんかブーッとやってね。
ああ、そうだ。絵をよく描いてたな、腹ばいになって。そうだそうだ、思い出した。だから俺が言ったんだ。印刷所だから、インクがあって、真っ黒になって汚いんだよって。そんなことはかまわないで、腹ばいになって、夢中になってね、絵を描いてた。三歳か四歳の頃かな」
(M工場長)[『現代』10号【幼女惨殺】吉岡忍]
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「ただ、勤くんは、未熟児で生まれたんです。その後遺症か、生まれた時から、手の動きにちょっと障害があった。両親は大変気にしてたんですが、でも成長するにつれ、目立たなくなって、いつしか周囲も忘れていたくらいでしたけどね」
(“秋川新聞”工場長・M氏)[『文春』1989.8.31]




