第18章:【高校時代】(2)
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「宮崎が綾子ちゃん殺しを自供した翌々日、刑事さんがみえました。その時、逮捕後の宮崎の写真を見せられたんですが、そこに写っている宮崎は私の知っている宮崎とは別人のようでした。卒業して8年の歳月があったとはいえ、人間の顔がああまで変わるのかとショックでしたね。
宮崎は、手の障害をバカにされて綾子ちゃん殺しを自供したそうですが、それは嘘です。手の障害なんてありません。だって体育などは相当いい点を取っているんですから」
(明大中野の3学年の担任だったK氏)[『文春』1989.8.31]
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「長閑な田舎で育った彼は都会の高校に入って、一種のカルチャーショックを受けたんだと思います。そして、スピンアウトされてしまったんです。
入学してからまもなく、先輩から五日市町から入学した宮崎のことを聞き、電話をして“一緒に通学しよう”と誘いました。武蔵五日市は、始発駅。だから彼は座っていけるんですが、僕の乗る秋川駅ではもう満席。座れないんです。それを気にしたのか、彼は座席に座らず、立ったままでやってきて、僕を迎えるんです。
クラスが違うのに一緒に行こうと声をかけたのが、彼にはよほど嬉しかったでしょうね。そこまで気を使ってくれました。
約1時間半の電車内で、彼にいろいろ話しかけるんですが、ただ“ああ”とか“うん”と言うだけで、会話にならないんです。それで、一緒にいてもつまらなくなって、僕のほうから避けるようになってしまったんです。
二年になった頃には、もう諦めたのか、彼は座って眠ってるか、マンガ本を読んでいた。
あれは二年の時だったか、久しぶりに彼と一緒に帰ったことがあったんです。その時、拝島駅で、彼の中学時代の同級生が電車に乗り込んできた。
そしたら、彼はすごく楽しそうに同級生と話をするんです。ああ、宮崎も普通に話が出来るんだなあ、と驚いたのをおぼえています。
毎日、重いカバンを下げて、立ちながら、僕を待っていてくれた宮崎。そんな気持ちに応える我慢強さが、あの時の僕にあったなら、彼の高校生活も、少し変わったかもしれない……」
(五日市町の隣町、秋川市から、同じ明大中野高校に通った友人)[『文春』1989.9.7]
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『朝日ジャーナル』(1989.8.25)では、宮崎の父親が知人を介して彼の両親に「一緒に通学してくれないか」と頼んだ、となっている。
もし本当に父親が「一緒に通学してくれないか」と頼んだとしたら、少々“痛い”エピソードだ。父親の勤に対する妙な過保護ぶりは随所にうかがえる。唯一の長男として大事にしていたのであろうが。




