第17章:【高校時代】(1)
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「五日市中学から初めて明大中野へ合格した、と校長先生も喜んでくださった」
(宮崎の母親)[『週刊朝日』1989.8.25]
(※)「旧・五日市町」は、令和8年現在、合併し・・・「東京都・あきる野市」の一部になっておりますね。
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「私が国語教師だったせいか、彼の書く文章は、非常に特徴のあるものだったのが、印象に残っています。美文とか名文というのではなく、おもしろい文章を書く生徒でした。
折句というのか、頭の文字を取ってゆくと、ある単語、言葉になる、そんな文章を細かい文字で、びっしり学級日誌に書いたりするんです。
“あくまで”という単語を“悪魔で”と書いたり、そんな文章遊びもよくしていました。文章の中の宮崎は、饒舌で明るい生徒なんですが、実際に本人に接すると無口で暗い生徒なんですね。そんなことが、今思い出されます」
(高校1学年の担任だったM氏)[『文春』1989.8.31]
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「クラブ活動もせずに、目立たなかった」
(同校教頭)[『サンデー毎日』1989.9.3]
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「印象がまったくといっていいほどありません。宮崎勤についてと言われても、どの宮崎なんだか――。それほど印象の薄い子でした。
成績も中の下。1、2年の頃からそんな成績だったようです。
遠くから通ってきているのに、遅刻早退がないという意味で問題の無い生徒だったように思っていた気もします。教師に逆らうわけでもないし、自己主張するわけでもなかった」
(高校3年時担任のI先生)[『女性自身』1989.9.5]




