第19章:【高校時代】(3)
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「精神的な転機があったとすれば高校時代ではないか。都心の付属高校に通うウチの息子も、五日市の子供は、純粋で、都心の高校に行くと文化ショックを受け、劣等感を感じるという」
(中学の担任教諭)[『朝日ジャーナル』1989.8.25]
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「宮崎君は英語が得意で80点ぐらいは取っていたと思います。国語も70点くらいで、中程度の成績でした。一学期では、五十数人のクラスで二十番くらいだったのですが、二学期の中間評価で突然、四十二、三番まで落ちたんです。
夏休み中にクラブ活動に夢中になって成績が落ちるということはあるんですが、彼には当てはまらない。原因は、結局分かりませんでした」
(高校1年の時の担任教師、M氏)[『現代』10号【幼女惨殺】吉岡忍]
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同教師は個別面談で、「このままでは明大に推薦入学できない(同校から推薦入学できるのは上位六割まで)と、きつくいったことがある。
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「普通なら、『がんばります』とか『余計なお世話だ』とか、反応が返ってくるのに、彼からは何も返ってこない。二者択一の設問を用意してやって、はじめてイエスかノーかの反応がある。そんな感じの生徒でした」
(高校1年の時の担任教師、M氏)[『現代』10号【幼女惨殺】吉岡忍]
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「通学の電車で一緒でした。でも、グループの中にいるでもなし、いないでもなし、そんな存在だったですね。車中で、皆の話題といえば、バイクの話、同じ中央線で通学する女子高生の話ですが、僕らがワイワイ話しているのを、横でじっと聞いているだけ、妙な奴でしたね」
(高二の同級生、N氏)
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「休み時間は、寝るか、一人で漫画を読んでいるかで、通学することだけに体力を使っているようでした」
(同級生)[『朝日ジャーナル』1989.8.25]




