第14章:【中学時代】(8)
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「中学一年の時、給食の時間にスプーンの使い方がおかしいので、“どうしたんだ”と聞くと、“生まれつきなんだ”と、勤はポツリと一言答えたことがありました。
勤とは小学校の頃から秋川で泳いだり、木登りや野球をしたりして遊んでたけど、それまでは全く気がつきませんでした。だから、ほとんどの同級生は手のことは知らなかったと思います」
(同)[『文春』1989.8.31]
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「ある新聞には、表情のない能面みたいな顔なんて書いてあったけど、そうじゃなかった。カッとなるということも、ほとんどなかったです。ただ、今年の正月に遊びに行ったら、『今日はダメだ。』と厳しい口調で言われた。あれには驚いた。
確かに宮崎を嫌っている同級生は多かった。同窓会などで、『アイツが来るなら、オレは行かない』という者もいた」
(同)[『週刊読売』1989.8.27]
この意見が本当だとすれば、宮崎勤の感情の起伏は常人のそれと変わらず、子供の時から“異常に印象に残らなかった”というのが定説のようにあちこちに書かれているが、実は“嫌う”という形でも意識している同級生が多くおり、同窓会に『アイツが来るなら、オレは行かない。』とまでいわれるほど、一部には目立った存在であったということになる。
宮崎勤の中学3年の時の英語の偏差値は72、五日市中学校から、明大中野高校へ進学した同学年の中で唯一の生徒だ。そんな優秀な生徒が、人並みはずれて“意識されなかった”ということがあるのだろうか?
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「一見鈍そうだけど、運動神経がいいんですよ。中学生の頃、学校の土手からよく空中前転してました。また正月にトランプ遊びで“ウスノロマヌケ”(同じカードがそろったら素早くマッチ棒を取るゲーム)をしたことがあるのですが、いつも一番か二番でした」
(小・中学校を通じての友人、I氏)[『週刊読売』1989.8.27]




