第12章:【中学時代】(6)
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「昼休みでも一人で背を丸くして自分の椅子に腰掛け、もの思いにふけっているような感じでした」
(五日市中学で同級だった主婦)[『週刊女性』1989.9.5]
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「怪獣の絵を鉛筆で描いていて、それがすごくうまかったんだ。漫画家になったほうがいいやつだった。描きたいときにいつも描くって調子だったよ。ストーリー漫画じゃなくて、一枚だけの絵が多かったんじゃないかな」
(友人)[『現代』10号【幼女惨殺】吉岡忍]
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「ちょうど僕の後ろの席。授業中もノートに『サイボーグ009』などの絵を描いていた。女の子たちは誰も相手にしていなかったし、『マザコンじゃないか』と噂されていた。高校に入って遊んだ、と聞いている」
(五日市中3年同級生、Y君)[『週刊読売』1989.8.27]
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「あいつはロボットみたいな絵もよく描いてた。マジンガーZみたいな絵だった。だけど、あれは自分で考えたキャラクターだったと思うな。うまいと思ったよ。あのまま続けていれば、プロになれるんじゃないかと思うくらいうまかった」
(友人)[『現代』10号【幼女惨殺】吉岡忍]
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「休み時間、勤に“河童の怪獣の絵を描いてみろ”と言ったら、大学ノートに伏せるようにして、黙々と描きはじめた。出来上がったのを見ると、鱗のひとつひとつまで丹念に描き込まれていてみるからに気味が悪かった」
(級友)[『明星』]
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『現代』(10号)にノンフィクション?ライター吉岡忍氏が書き下ろした【幼女惨殺】によると、「宮崎の描く絵に、人間は一人も出てこなかった」というのが、友人共通の証言であるらしい。
しかし、自作の漫画や学校の文集、高校のとき友人にあてた年賀状などには、創作と思われる人物のほかに宮崎自身や友人の絵が描いてある。怪獣を描くのが好きな子どもにとって、人物は描くのが難しい割にはあまり魅力のないもの、と思う。
参考 : 宮崎勤の年賀状。「宮崎の絵に人間が出てこなかった」ということはない。その人が見た絵に、たまたま描かれてなかっただけではなかろうか。




