第三話の終わり ―おチビちゃんは、思った
新聞はむずかしい言葉がいっぱい並んでいるから、私はほとんど読まない。
お父さんが読み終わったあとの新聞は、インクの匂いがして、少しだけ大人びた空気を持っている。それでも、私にはどうしても楽しみにしているページが二つだけある。
ひとつは四コママンガ。
少ない絵と短い言葉だけで、誰かをクスッと笑わせたり、心を通わせたりできるなんて、魔法みたいだと思う。いつか自分でもマンガを描いてみたいと密かに思っているから、どんなマンガも面白い。
読んで、考えて、「私なら、この次にどんな事件を起こすかな」って想像するのが好き。将来、私が描くマンガには、絶対に猫が登場する。それも、お喋りする猫。
もうひとつが、読者からの募集のコーナーだ。
そこには、誰かの「探しています」や「譲ります」という、切実で温かい言葉が詰まっている。
時々、保護猫の譲渡の広告が載る。
写真を見て「かわいいね、この子。いいお家が見つかるといいね」ってお母さんと話す時間が、私はすっごく楽しみだった。
ある日、二匹の子猫が載っていた。
地域猫が子供を産んだので、心優しい人が保護をしているという。きょうだいたちはもう新しい家族のもとへ引き取られていったけれど、最後に二匹の兄妹だけが残っている。
『できれば二匹一緒に引き取って欲しい』
その一行に、私は目を止めた。離ればなれにするのは可哀想だという、保護主さんの愛情が伝わってきたから。
写真は少しぼやけていたけれど、特徴ははっきりと分かった。とても可愛らしい、茶色の虎柄。そして、真っ黒な黒猫。
茶虎の男の子は、なんだか生意気な顔立ちをしている。ちょっぴり鼻が上を向いていて、シュッとしたイケメンの諭吉に比べれば、正直……ちょっと残念な見た目。だけど、なんだか目が離せない愛嬌がある。
「今はまだおチビさんだけど、大きくなったら、きっと誰よりも凛々しくなるよ」
私は写真の中の彼に、そっと話しかけた。
黒猫の女の子は、対照的に静かだった。目をまんまるにして、レンズをじっと見つめている。怖がっているというよりは、相手がどんな人間かを見極めようとする、賢い観察者のような目。新聞のざらついた紙の上からでも、彼女の毛並みが諭吉みたいにツヤツヤで綺麗そうなのが伝わってきた。
気づけば、私は口に出していた。
「ねぇ、お母さん。この子たち、二匹とも一緒に引き取ろうよ」
最初はお母さんも驚いた顔をして、「三匹もいるのに、五匹になっちゃうのよ?」って迷っていた。けれど、私の真剣な目が通じたのか、夜にお父さんに相談してくれた。
お父さんは、しばらく新聞の切り抜きを見つめてから、
「とりあえず会ってみて、相性が悪そうならやめてもいいんじゃないか。うちには先住猫もいることだしな」
と言った。慎重な言い方だったけれど、お父さんの手はもう受話器に伸びていた。その日のうちに保護団体に連絡をしてくれたお父さんの背中は、なんだかとても頼もしかった。
――二匹に会う日が決まった。
――――
当日、お父さんとお母さんが出かけていったあと、私はリビングでずっと落ち着かなかった。これまで新聞で「かわいい」と言ったことは何度もあった。でも、「うちで飼おう」と自分から言ったのは初めてだった。
私のたった一言で、歯車が回りだして、新しい命がこの家に来ようとしている。その責任の重さに、ちょっとだけ足が震えた。
でも、それ以上に嬉しかった。
どうなるのかな?会ってみないと分からないってお父さんが言っていた。
でも……
「相性」って、なんだろう。
猫同士にも、人間みたいに「この人とは気が合うな」とか、「ちょっと苦手かも」っていうのが、やっぱりあるんだろうか。うちの猫たちのことを思い浮かべてみる。
諭吉は、私が生まれた時にはもうこの家にいた。
私よりも三歳年上。お兄ちゃんよりもずっと「お兄ちゃん」らしい存在。すごく綺麗な顔をしていて、この近所でも一番のイケメンだと思う。
お母さんは諭吉にベタ惚れだけど、私は知っている。
諭吉が本当にライバル視していて、同時に信頼しているのはお父さんだってこと。夜中、お父さんと一緒にリビングの椅子の定位置であたしたちの様子を見守る時の諭吉の顔は、「この家を守っているのは、お父さんと俺だ」って誇らしげに言っているみたいに見えるから。
かぐやは、私よりもずっと年下だけど、いつもお姉さんみたいに澄ました顔をしている。
でも、私は忘れていない。
初めて竹林で会った時、彼女がどれほど怖くて、小さく震えていたか。触ったら逃げちゃうと思って、私はただじっと目を見つめて、「大丈夫だよ、怖くないよ」って心の中で魔法をかけた。あの時、彼女の瞳の奥の緊張がふっと解けた瞬間を、私は一生忘れない。あれは、言葉を超えた約束だった。
そして、チャトラン。
彼女はとっても食いしん坊で、隙あらば甘えてきてご飯をねだる。でも、私は気づいている。チャトランががっついて食べるのは、ただ卑しいからじゃない。
この子は、「生きる」ということに、誰よりも命をかけているんだ。
甘えるのだって、この家で生きていくための彼女なりの一生懸命な手段。お母さんと同じで、本当はすごく愛情深くて、優しい子。
時々、私を見つめるチャトランの目は、お母さんが私を心配そうに見る目と同じ、深くて優しい色をしている。……もしかして、チャトランには子どもがいたのかな。かぐやが「フンッ」て意地悪をしても、チャトランが穏やかに許してあげているのは、彼女がお母さんだったからかもしれない。
次に来る二匹は、どんな「本当の顔」を持っているんだろう。
写真では、やんちゃな男の子と、慎重そうな女の子。でも、お父さんの言う通り、ちゃんと目を見ないと分からない。あの子達が私たちと匂いを交わしてみないと、家族になれるかは分からない。
――――
玄関のドアが開く音がして、お父さんたちが帰ってきた。
両手に、二つのキャリーバッグ。その網目越しに、二組の瞳がじっとこちらを覗いていた。お父さんとお母さんは、この子たちと会って、私たちの家族になるべきだと感じたんだ。その判断を、私は全面的に信頼している。
――家族が増えるんだ。
二匹から五匹へ。私の世界が、また少し広くなる。
胸の鼓動が、ドキドキと早くなった。
キャリーから出てきた茶虎の子を見てみる。諭吉やかぐやの視線を感じて、最初は低く身をかがめて怯えていた。でも、数分もすると、お父さんの指先をペロリと舐めた。
「あ、この子、強がってるけど、本当は寂しがり屋の甘えん坊さんだ」
私の直感がそう告げた。元気な暴れん坊かと思っていたけれど、この子はきっと、誰かに寄り添っていないと眠れないタイプの子だ。
黒猫の子は、まだキャリーの隅で固まっていた。人間四人と猫三匹。いきなり大所帯の中に放り込まれて、混乱しているんだろう。茶虎のお兄ちゃんに比べれば繊細そうで、慎重派。でも、彼女の目は暗く沈んではいなかった。
じーっと周りのようすをうかがい、どこが安全か、誰が優しいかを分析している。
「大丈夫だよ。ゆっくりでいいからね」
彼女はすぐには心を許さないかもしれない。けれど、一度「この人は味方だ」と決めたら、きっと影のようにお母さんやお父さんにべったり甘えるようになる気がする。
うん、お父さんたちが言っていた「相性」は、ばっちりだ。この二匹は、私たちの家族になるために生まれてきたんだ。
お父さんが、少し照れくさそうに「名前、どうしようか」と聞いてきた。そういえば、迎えることに必死で、名前のことは考えていなかった。
お母さんは「せっかくだから、美味しそうな食べ物の名前がいいわね。呼びやすいし」と言った。
茶色い食べ物……黒い食べ物……。
プリン? チョコ? かりんとう?
私が迷っていると、お父さんがふと、名案を思いついたような顔をした。
「茶虎は、マロン。黒猫は、おはぎはどうだい? どっちも甘くて、みんなに愛される、美味しそうな名前じゃないか」
その瞬間、ただの「子猫」だった二匹に、新しい命の灯火が宿った気がした。
「マロン、おはぎ。これからよろしくね」
私が呼ぶと、マロンは小さく鳴き、おはぎは少しだけ耳をこちらに向けた。
マロンと、おはぎ。
わたしの家族が、また増えた。




