第十四話 爪とぎの、想い出
(おかあさんの想い出)
夕飯の支度をしようと、キッチンに立った。
米を研いで炊飯器にセット、次はお味噌汁のお野菜を切ろうとまな板を出した時、ふと、背中の方に視線を感じた気がした。気のせいかしら、と思いながら、後ろを振り返る。誰もいない。
でも、その時、目に入った。
壁の、爪痕。
いつも私が立っているキッチンの裏の壁。そこに、真新しい爪の跡がついていた。前からある古い跡の上に、新しく、くっきりと。周りの壁の色とは明らかに違う白い真新しい傷。まだささくれが立っていて、つけられたばかりなのがわかる。
あらあら、と思った。
またやったのね。
犯人は、だいたい見当がついている。
リビングの方を覗くと、かぐやが、お気に入りの座布団の上で、素知らぬ顔で丸くなっていた。あんまりにも素知らぬ顔すぎて、かえって怪しい。
「かぐや」
声をかけると、かぐやはゆっくりと顔を上げて、私を見た。なあに、という顔をして、すぐに頭を下げる。その動作に、疑う気持ちが更に増してくる。
「あなたでしょう。また、あそこで爪を研いだのは」
かぐやは、面倒くさそうに頭を上げてもう一度私を見る。ふいっと顔を背けた。私は知らないわよ、とでも言いたげに。そして、しっぽを一度、ぱたんと振った。
まったく、この子は。
でも、私は、それ以上は問い詰めなかった。だって、証拠はないんだもの。それに、なんとなく、この子だろうな、とは思うけれど、確信があるわけでもない。最近は、マロンもおはぎも大きくなって、誰がやってもおかしくない。
仕方がないわねぇ。
まな板に向き直りながら、私は、ふと、昔のことを思い出した。
かぐやが、まだ小さかった頃の話。
あの子は、どうしてか、いつも私のそばにいた。
キッチンに立つと、必ず、すぐ後ろにいた。私が料理をする姿を、じっと見ていた。何をするでもなく、ただ、私の後ろ姿を見ている。包丁の音、お湯の沸く音、油のはねる音。そういうものを、静かに聞きながら、私のことを見ていた。
不思議な子だな、と思っていた。
他の子は、ご飯の時間になると足元に来るけれど、それ以外はそれぞれ好きなところで過ごしている。でも、かぐやだけは違った。ご飯の催促でもないのに、キッチンに私が立つと、なぜか、私のそばにいたがった。少しだけ離れた場所から、私の後ろ姿を、じっと見ていた。
それが、当たり前の毎日だった。
ある日のことだった。
私が料理をしていると、すぐ後ろで、カリッ、と音がした。
振り返ると、かぐやが、壁に前足をかけていた。
あ、と思った。まずい。
その壁は、キッチンの死角になる場所で、私がいつも立っている場所の真後ろ。目立つわけでは無いが、まだ新築の家。そこで爪を研がれたら、壁がぼろぼろになって無惨な状況になる。他の場所ではまだ壁は傷つけられていない。ここで許すと他に波及するのでは?私は慌てて、かぐやを抱き上げた。
「だめよ、壁で爪を研いだら」
そう言って、諭吉のために買った爪とぎのところに連れていった。リビングの隅に置いてある、段ボールの爪とぎ。
「ここで研ぎなさい。ね?」
そう言って、かぐやの前足を、そっと爪とぎに乗せてみた。
でも、かぐやは、研がなかった。
それどころか、私が手を離した途端、するりと爪とぎから降りて、また私のあとをついてきた。そして、キッチンに戻ると、また私の後ろに座って、じっと後ろ姿を見始めた。
私が料理を再開すると、しばらくして、また。
カリッ。
壁を、研ぎ始めた。
私は、また抱き上げて、爪とぎに連れていく。かぐやは、また降りて、私を追いかけてくる。そして、また壁を研ぐ。
その繰り返しだった。
何度連れていっても、かぐやは、私のそばを離れたがらなかった。爪とぎの場所には、私がいない。だから、行きたがらない。私のいるキッチンで研ぎたい。私のそばで、研ぎたい。そういうことだったんだろう。
あの攻防戦は、しばらく続いた。
結局、私が根負けした。
壁の一部が、かぐや専用の爪とぎみたいになってしまった。修繕しようかとも思ったけれど、なんだか、できなかった。あの子が、私のそばにいたくて研いだ跡だと思うと、消してしまうのが惜しくなった。それに、キッチンに立つ者以外からは見えにくい死角になる場所。私さえ納得していればそれほど気にはならない。
だから、そのままにしている。今も。
まな板の上で、玉ねぎを切りながら、私は少し笑ってしまった。
今でも、たまに、思い出したように研ぐ。
最近は、私のそばにべったり、ということは減った。あの子も大人になった。でも、時々、思い出したように、あの壁を研ぐ。きっと、あの頃の気持ちが、ふっと蘇るんだろう。私のそばにいたい、という気持ちが。
今回の新しい傷も、また、あの子がしたのかしら。
リビングのほうを、もう一度見た。
かぐやは、相変わらず、素知らぬ顔で丸くなっている。でも、その丸まり方が、どこか、私の様子をうかがっているようにも見える。叱られないかしら、と思っているのかもしれない。
叱らないわよ。
心の中で、そう言った。
あの壁は、もう、叱る場所じゃない。あの子が、私のそばにいたいと思ってくれた、その気持ちの跡だもの。新しい傷が増えたって、それはそれで、いいじゃない。
かぐやは、いつまでも甘えん坊ね。
そう思いながら、私は、玉ねぎに包丁を入れた。
背中に、また、視線を感じた気がした。
今度は、振り返らなかった。
でも、そこにいることは、ちゃんとわかっていた。
――――――
(でっかい人の想い出)
ある晩、妻から相談を受けた。
「爪とぎのことなんだけどね」
夕飯のあと、ダイニングテーブルで朝刊の読み漏れた記事を読んでいたときだった。妻が、少し困ったような顔で切り出した。
聞けば、こういうことだった。猫たちが使っている段ボールの爪とぎ。あれは、消耗品だ。猫たちが毎日研ぐから、すぐにぼろぼろになる。中の爪とぎ部分は、替えが安価に売っていて、それを買い足す分にはいい。でも、その爪とぎをはめ込む枠もまた段ボール。こちらまで、しょっちゅう買い直すことになる。それが、そこそこの出費になる、ということだった。
「枠だけ丈夫なのがあればいいんだけどね。なかなか、ちょうどいいのが売ってなくて」
なるほど、と思った。
それなら、と私は言った。
「枠くらい、作ってやろうか」
妻が、少し驚いた顔をした。
「作れるの?」
「まあ、やってみないとわからんが」
日曜大工は、嫌いじゃない。むしろ、好きな方だ。棚を作ったり、子どものおもちゃを直したり、そういうことを時々やっている。まあ、たまに失敗もするが。
とにかく、やってみることにした。
翌週末、私はホームセンターに行って、木材を買ってきた。
事前に、中の爪とぎ部分の大きさを測る。長さ、幅、厚み。きっちり測って、メモを取った。爪を研ぐときに中の爪とぎ部分が緩いとしっかりと爪が引っかからない。そうすると猫たちが使ってくれなくなる。この爪とぎがぴったりはまる枠を作るには、寸法が命だ。少しでもきっちりと、そしてガッチリとしたものを作らないと意味がない。
しかし、寸法どおりに木材加工するのは手元の道具だけでは、甚だ心もとない。売っている木材で、この寸法に近いものを探す、そして最小限の切断で加工をし、組み立てることが最善の選択と感じていた。
結局、ホームセンターは三軒はしごすることになった。
でも、理想の材料を手に入れることが出来たので、良しとする。
しかし、ここからが、悪戦苦闘だった。
木を切る。最小限度で良い工夫は試みたが、切らなければならない箇所は出てくる。これが、なかなか思いどおりに切れない。のこぎりの切断面が、どうしても斜めになっている。仕方がない。少し長めに切断したのち、微調整を施す。余計に時間がかかるが仕方がない。
角を合わせる。これも、ぴたっと合わない。少しずつ削って、更に調整する。釘を打つ。上手く打てるときもあれば、調子に乗って強く叩きすぎて曲がることもある。抜いて、打ち直す。
汗が、だらだらと流れた。
夏でもないのに、額からポタリポタリと汗が流れる。その汗は、爪研ぎ枠の底板に小さなシミを作る。途中で、何度か投げ出したくなった。でも、ここで諦めたら、男がすたる。妻に「作ってやる」と言った手前、引っ込みがつかない。
半日かけて、ようやく、枠が完成した。
中の爪とぎを、はめてみる。
ぴったり、となるように作りすぎたのか、ギューギューな感じになる。でも、まあ、はまった。ギューギューなだけに、がたつきもない。上出来だ。
初めて作った爪とぎの枠は、諭吉のために作ったものだった。
諭吉は、最初、警戒していた。新しいものには、いつも慎重だった。中の段ボール部分には見覚えがあるが、どうにも枠が仰々しい。木材で作られた、ある意味高級品。そんな感想を持っているのだろうか。でも、しばらくすると、そっと前足をかけて、カリカリと研ぎ始めた。その姿を見て、私は、なんだか、すごく嬉しかった。半日の苦労が、報われた気がした。
それから、家族が増えるたびに、枠も増えていった。
かぐやが来て、チャトランが来た。猫が増えれば、爪とぎも足りなくなる。だから、二つ目を作った。一つ目で要領を得ていたから、二つ目は、少し早く作れ、中に収まる爪とぎもスムーズに入った。
マロンとおはぎが来た時には、三つ目を作った。
これも、汗をかきながら作った。何度作っても、木を切るのはなかなか上達がしない。だが、最初の頃に比べたら歪さは少なくなった。我ながら成長したものだと自画自賛した。
気がつけば、家の中に、私の手作りの爪とぎが三つ、置かれることになった。
不思議なことに、どの爪とぎを誰が使うか、自然と決まっているらしい。
諭吉はこれ、かぐやはこれ、という風に、なんとなく、住み分けができている。三つとも、同じ大きさで、同じような材料で、同じように作ったのに。見た目は、私が見てもほとんど区別がつかない。なのに、猫たちには、ちゃんとわかるらしい。
どこで判別しているんだろう。
においなのか、置いてある場所なのか、それとも、何か猫にしかわからない印があるのか。聞いても、答えてくれないから、わからない。でも、それぞれが、それぞれの爪とぎを、ちゃんと使っている。
まあ、何にしても、と思う。
ちゃんと使ってくれている。それが、一番だ。
せっかく汗をかいて作ったものを、見向きもされなかったら、寂しい。でも、毎日、カリカリと研いでくれている。ぼろぼろになったら、中身を替えて、また使ってくれる。それだけで、作った甲斐があるというものだ。
ある日、子どもたちが、爪とぎを見ながら言った。
「お父さんのDIYってさ、時々失敗するよね」
息子が、にやにやしながら言った。
まあ、否定はできない。この前作った本立て用の棚は、少し端っこの処理が甘かった。植木鉢を乗せるために作った玄関先のラックは、重いものを乗せると歪んでしまうため、軽い鉢しか乗せられない。失敗作も、確かにある。
「でもさ」
娘が、続けた。
「これは、すごくいいものを作ったよね」
娘が、爪とぎを指さした。
猫たちが、毎日使っている、私の手作りの爪とぎ。三つとも、もう何年も使われて、木の枠は、すっかり手に馴染んだ色になっている。
「うん。これは、最高傑作だと思う」
息子も、うなずいた。
私は、まんざらでもない気持ちになった。
失敗作も多いが、これだけは、胸を張れる。家族が増えるたびに、汗をかいて作った爪とぎ。それを、猫たちが毎日使ってくれて、子どもたちも認めてくれる。
悪くない。
いや、かなり、いい。
ふと見ると、マロンが、カリカリと爪を研いでいた。
最初に作った、あの一つ目の枠で。諭吉がずっと使っていたやつだ。
もう、ずいぶん古くなった。何度も中身を替えた。木の枠は、あちこち傷がついて、角も少し丸くなっている。でも、まだ、しっかりしている。がたつき一つない。
あの時、半日かけて、汗だくで作ったやつだ。
諭吉は、それを、何年もずっと使っていてくれた。
今はマロンが使ってくれている。
なんだか、それだけで、よかったな、と思った。




