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この家の、あかり  作者: めこねこ
第二章 この家に、あかり

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第十五話 特等席の、攻防

<おはぎとかぐやとチャトラン>


 洗面台の横に、小さな窓がある。


 ちょうど、わたしたちが一匹、体を丸めて収まるくらいの出窓になっている。洗濯機の裏側にあって、ちょっと人の手からも遠く、でも、離れすぎない場所。

 その窓は日中、よく開け放たれている。風が通って気持ちが良い場所。その窓には網のついた戸がついていて外には出られないのだが、いつも見える日当たりの良い窓とは違う景色がすぐそばに感じられる。

 ベランダの大きな窓とは違う。あの窓は、ガラス一枚が大きい分、外が遠い。外を遠くまで眺めるのには適しているが、なんとなく外の風が部屋全体に流れてきて、部屋の空気と混ざって感じられる。

 でも、この小窓の出窓に座ると、外を薄い網ひとつだけしか隔たれずに外の空気を感じる。風を、そのまま体で受け止められる。外のにおいが、そのまま感じられる。鳥の声も、葉っぱの揺れる音も、なんにも隔てるものがなく、すぐそばにある。

 この家で、一番、外を近くに感じられる場所。


 特等席だ。


 わたしは、それが分かっているけど、あの小窓を取りに行ったりはしない。少し離れた冷蔵庫の上から、眺めるだけ。だって、たいてい、先客がいるから。


 かぐやさんか、チャトランさんだ。


 あの二匹は、この小窓を、とっても気に入っている。


――――――


 今朝のカリカリも美味しいなと、冷蔵庫の上でのんびりとしていた。


 冷蔵庫の上から、お母さんのいるキッチン、おチビちゃんたちが座るテーブル、そしてキッチンの先にある洗面所の様子が良く見える。いつもそこでのんびりと、皆の様子を眺めるのがわたしの最近の趣味だ。


 お母さんが洗面所の小窓を開けるためにカチャンと鍵を上げる。


 まだ小窓には誰も来ていない。この時間は、朝の光がちょうど窓にかかる。程よく陽の光を感じられる。あったかそうだ。あそこに丸まったら、さぞ気持ちがいいだろうな。

 そう思っていたら、鍵を開ける音に誘われて、かぐやさんが、トコトコとやってきた。

 ピーンと背筋が伸びて、尻尾まで上を向いている。品よく歩いてくる。でも、その目が、ちらりと小窓を確認したのを、わたしは見逃さなかった。狙っている。今日はかぐやさんが先手を取ってあそこに座るつもりだ。


 ところが。


 そのすぐ後ろから、チャトランさんが続いていた。

 チャトランさんは、トテトテと歩いている。独特の、少し後ろ足をクネクネと動かして、ゆったりと歩いてくる。わたしが食べ残したご飯も食べていたから、出遅れたのかしら。

 かぐやさんが、チャトランさんが後ろから来ていることに気がついた。ちらりと、後ろを振り返る。

 二匹の目が、合った。

 どちらも表情一つ変えていないけど、空気が、ぴりっと変わった。

 どちらも、何も言わない。でも、わかる。これは、勝負が始まる。どちらが先に、あの特等席に座るか。特等席をかけた攻防戦が始まった。


 かぐやさんは、すぐには小窓に向かわなかった。さりげなく、洗面台の縁に飛び乗って、ウロウロとしながら、「ニャー」とお母さんに声をかけた。いつもの、水が飲みたいの鳴き声だ。お母さんが「はいはい、ちょっと待ってね〜」と洗面台の蛇口を少しだけ開けて、細い糸のような水を出してくれる。それをペロペロと飲み始める。水を飲みに来ただけよ、小窓なんかに興味なんてないわ、という顔をしてる。


 でも、あれは作戦だ。小窓に上がるためには、洗面台にまず登らなきゃいけない。あそこにかぐやさんがいる限り、チャトランさんは小窓にあがれない。チャトランさんが諦めるか、隙を見せたところで、さっと小窓に滑り込むつもりなんだ。かぐやさんは、ああいうところが、賢い。


 チャトランさんも、すぐには動かなかった。少し手前のキッチンに立つお母さんの後ろの床に座って、のんびりと前足を舐めて、洗顔に勤しんでいる。こちらも、興味なんてないわ、という顔。


 普段なら、ここまで来たら、わたしのいる冷蔵庫の上に上がってくる。なのに上がって来ないってことは、やっぱり小窓を狙っているのだろう。

 二匹とも、知らんぷりをしながら、お互いの出方を、うかがっている。


 静かな戦いだった。


 でも、わたしには分かる。二匹の間には、すごい緊張が走っている。

 わたしは、息を止めて、見ていた。どっちが、先に動くんだろう。


――――――


 しばらく、そのままだった。


 かぐやさんは、水飲みを終えて、少しウロウロとしている。真っ直ぐには小窓に上がらず、蓋の開いた洗濯機の上を、右に左にと歩いている。バランス遊びをしているのよ、って感じかな。でも、一センチ、また一センチ。素知らぬ顔で、小窓に近づいている。


 チャトランさんは、念入りに洗顔をしながら、ちらりとそれを横目で見ている。ように、見えた。

 かぐやさんの体が、小窓の方を向いた。


 あ、行く。


 そう思った、その時だった。 チャトランさんが、ふと、顔を上げてお母さんの方を向いた。


 そして、一声、とても甘えた声で鳴いた。


 いつも唐揚げとか、焼き魚とか、美味しそうな匂いの料理をお母さんが作っているときに「あたいも食べたいわ」と甘える、あの声を。


 その声に、一瞬、かぐやさんの動きが止まる。


 そして、ドタドタと、遠くから足音が聞こえる。マロン兄さんの走ってくる足音だ。

 食いしん坊のマロン兄さん。チャトランさんが美味しそうなものをねだるときには、すかさず飛んできて、オレもオレもと催促する。マロン兄さんは自分の鼻で感じるのではなく、いつもチャトランさんの声で、ご馳走に反応するのだ。


「チャー、これはお味噌汁。今はチャーが食べられるものはないのよ」


 お母さんがそう言って、チャトランさんをなだめる。食いしん坊のチャトランさんが、お味噌汁の出汁の香りに反応してご飯をねだった、という感じか。


 その時には、マロン兄さんはチャトランさんのすぐそばに来ていた。


 お母さんとチャトランさんのやり取りを見て、「チェッ」とした顔になる。ご馳走がないのなら、ここには用はない。ふと、洗面台に顔が向く。ご馳走じゃなかったってことね、と立ち止まっていたかぐやさんと、目が合う。

 マロン兄さんは、何かのスイッチが入ったみたいに、まっすぐかぐやさんに突進した。


「うわっ、ちょっと、なによ!」


 かぐやさんが、飛び上がって洗面台を降りた。


「マロン!あんた、いきなり何なのよ!」

「え、遊ぼうと思って」

「遊ばないわよ!もう、うるさいわね!」


 かぐやさんは、毛を逆立てて、ぷりぷりしながら、洗面所からキッチン、そして二階へと一気に走り抜ける。マロン兄さんは一瞬きょとんとした顔になったあと、遊んでもらえると思ったのか、嬉しそうにドタドタとその後を追っていく。かぐやさんの気持ちなんて、全然わかっていない顔。


 洗面所が、急に静かになった。 小窓には、誰もいなくなった。


――――――


 チャトランさんが、ゆっくりと立ち上がった。


 「あら、空いたわね」


 ぽつりと、そう言った。

 そして、何事もなかったように、すっと小窓に飛び乗った。ちょうどいい四角の光の中に、ふわりと丸まる。網戸の向こうの外を、目を細めて、眺め始めた。


「いい眺めだこと」


 うっとりと、そう言った。

 風が、網戸から入ってくる。チャトランさんの毛が、少しだけ揺れる。すごく、気持ちよさそうだった。世界で一番いい場所を、独り占めしている、という顔だった。 わたしは、その様子を、冷蔵庫の上から、じっと見ていた。


 ……今の、なんだったんだろう。


 かぐやさんが、もう少しで小窓に座ろうとしていた。そこでチャトランさんがご飯の催促をした。マロン兄さんが誘われてやってきた。ご馳走がないから、じゃぁ遊ぼうとかぐやさんに突進した。そして、かぐやさんが出ていって、チャトランさんが座った。


 全部、すごく、自然だった。


 偶然、と言われたら、偶然だ。わたしも、お母さんの作るお味噌汁の香りはお腹の空く香りだから、チャトランさんがおねだりする気持ちは分かるし、マロン兄さんの食い意地はいつものとおり。ご馳走が無いのなら、別のことに興味が移って、かぐやさんに突進するのも、よくあることだ。何も、おかしくない。


 でも。 チャトランさんは、なぜ、いつもはおねだりしないお味噌汁で、甘えた声を出したのか。

 唐揚げでも、焼き魚でもない、お味噌汁で。


 ……まさか、ね。


 チャトランさんが、マロン兄さんを呼び寄せた?そして、ご馳走がないと知ったマロン兄さんが、次に興味を持つのがかぐやさんだった?そんなこと、計算できる?マロン兄さんが来るかどうかも分からないし、かぐやさんに興味が移るかどうかも分からない。


 いやいや。


 まさか、そんな。考えすぎだ。チャトランさんは、たまたまお腹が空いていて、たまたまねだっただけだ。そして、巡り巡って、ただ、空いた席に座っただけ。マロン兄さんは、ただ、遊びたかっただけ。かぐやさんは、ただ、うるさくて逃げただけ。それだけのことだ。


 うん。それだけ。


 そう思いながら、わたしは、もう一度、チャトランさんを見た。

 チャトランさんは、外を眺めながら、ゆっくりと、目を細めている。満足そうに。穏やかに。まるで、何も、企んでなんかいませんよ、という顔で。

 その横顔が、なんだか、いつもより、ちょっとだけ、得意げに見えた。


 ……気のせいかな。


 うん、きっと、気のせいだ。


――――――


 わたしは、洗面所から視線を戻して、お母さんたちがご飯を食べている姿を、のんびりと眺めていた。


 二階では、まだマロン兄さんがかぐやさんを追いかけ回している足音が聞こえる。声までは聞こえないが、多分、かぐやさんは「もう、ついてこないでよ!」と怒っていて、マロン兄さんは、かぐやさんが本気で嫌がっていることに気が付かず「遊ぼうよ〜」と、楽しそうに追っかけているのだろう。


 二匹とも、何も、気づいていない。 かぐやさんは、自分が特等席を逃したことすら、わかっていない。マロン兄さんに邪魔された、としか思っていない。マロン兄さんは、自分が何かに使われたかもしれない、なんて、これっぽっちも思っていない。ただ、遊びたかっただけ。


 知っているのは、わたしだけ。


 ううん。 知っている、なんて言えない。わたしだって、確証はない。ただ、なんとなく、そう見えただけ。本当のところは、わからない。チャトランさんに聞いたって、きっと、教えてくれない。「あら、なんのことかしら」って、とぼけるに決まっている。


 だから、言わない。


 もともと、言うつもりもないけど。

 わたしは、お母さん達からも視線を外して、丸くなって、目を閉じる。

 チャトランさんは、すごいなぁ、と思った。

 外で、長いこと生きてきた猫は、ああいう知恵が、あるのかもしれない。争わないで、勝つ。手を汚さないで、欲しいものを手に入れる。かぐやさんみたいに正面からやり合わないで、もっと、静かに。 わたしには、まだ、できない。


 でも、いつか、できるようになるのかな。

 ……なりたいような、なりたくないような。

 まあ、いいや。

 わたしは、それより、お昼寝だ。今日も、いい天気。冷蔵庫の上は、あったかい。 チャトランさんは、まだ、あの特等席にいるんだろう。

 しばらくは、誰にも、譲らないんだろうな。


 そう思いながら、わたしは、眠りに落ちていった。

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