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この家の、あかり  作者: めこねこ
第二章 この家に、あかり

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第十二話 人も、一緒

<お母さん>


 最近、起床時間が遅くなっている。


 二度寝してしまうからだ。


 有能な目覚ましくんが居なくなったからだ。


 あの、気だるくまどろむ気持ちの中、現実に引き戻してくれる二度寝防止の諭吉のちょいちょいと前足でわたしのおでこをつついてきて、クンクンと顔に鼻先を近づけてくる気配がない。「もう、わかったわよ」と言える相手がいない。それがない……否が応でも現実に気付かされる。


 覚悟をしていたけど、やっぱり毎日が寂しい。

 諭吉の背中に鼻を押し当て、猫吸いをするのが大好きだった。何とも言えないにおい。他の子で試してみたが、諭吉のにおいが一番だった。どの子にもない、自分の好みと言える香りを嗅ぐことが出来た。このにおいを感じることが出来ない。


 ソファーに座りテレビを見ていると、膝の上が空いていることに寂しさを感じる。いつもなら諭吉を膝に乗せ、ビロードのような毛並みを撫でながらテレビを見ていた。たまに夫が見かけて「まるで悪役みたい、ブランデーでも持ってみるか」とからかってくるから怒ったりしたけど、もう、それも言われない。


 エメラルドグリーンの目は、どの子にもない気品と美しさを感じていた。美猫と思ってスマホのカメラでたくさん写真を撮って、友達に自慢していた。誰もが諭吉を褒めてくれた。私も飼ってみたいと羨ましがられた。今でもしたいくらい。だけど、辛くなるからしたくなかった。


 もう、嗅ぐことも、撫でることも、自慢することも出来ない。


 悔しい。でも、悔しがってもどうしようもない。


 ただただ、寂しさだけが募る。


 だけど……現実に連れ戻してくれる頼もしい存在がいるから、涙が止まったのかもしれない。


 今朝も、にゃ〜んと文字どおり猫撫声でチャトランが早速ご飯のおねだりをしてきた。娘の側で丸くなっていたマロンがチャトランの声を聞きつけ、ご飯!とドタドタと階段を降りてくる音がする。音もなくおはぎもいつの間にか側に来て、それを遠目にかぐやがそろそろねと大きな伸びをしている。


 そして……つい、椅子の下を見てしまう。


 私を起こした後、いつの間にか一階に降りると、ご飯の準備ができるまでそこに座ってじっと私たちの事を見ていた。その視線が、もうない。


 今月の食費が少し減っていた。諭吉のご飯代が浮いたためだ。でも、全然嬉しくない。むしろ、その分のお金が残っていることが、いなくなったことの証明みたいで、嫌だった。


 泣いた。何度も泣いた。最後の別れの時、子供たちと一緒に泣いた。夫も、ボロボロと泣いていた。今でも、時々みんなで諭吉のことを思い出し、みんなで泣いた。一人だけで耐えるなんて出来ない。みんなで泣いて、気持ちを分かち合って、そしてみんなで前を向こうと話した。


 夕食の準備をしている時、ふと思い出す。唐揚げを作っていると、時々、じっと眺めていた。だけど、病気が進行してくると、隙を見て小さな唐揚げをひとつ咥えて走って逃げた。部屋の隅で、こっそり食べていた。本当は食べさせたらいけないことは分かっていたけど、そのまま食べさせた。


 美味しそうに、食べていた。


 それから、時々、私が食べているものを欲しがった。どうしようかと迷ったが、食べさせてあげた。特に欲しがったのがバターだった。パンに塗っているバターの香りを嗅ぐと、諭吉はそっとそばに来て、私の顔に顔を近づけ、クンクンと催促した。


 ロシアンブルーだから、バターが好きなの?


 そう考える自分がおかしかった。だって、生まれたのは日本なのに。


 お医者さんからは治らない、進行を遅らせるだけと言われて通院していた。だから、いつか来る別れを意識していたし、覚悟もしていた。だから、諭吉の好きなこと、望むことを叶えてあげたかった。


 そんな私の様子を、夫は止めなかった。

 息子は「僕もやる」と言ったけど、本当にダメなものもあるので、私の役目とした。

 娘はどこかの本で読んだ知識で、より悪くなるのではと心配して人のご飯をあげることを止めようとしたけど、それとなく大丈夫よと言った。


 諭吉は賢い猫だった。


 自分のご飯が体のためのものだと、ちゃんと分かっていたと思う。それ以上に、自分が治らない病気になっていることにも気がついていたと思う。


 だから、最後に、私が美味しそうに食べているものを食べたかったのかな?と思う。だって、彼は自分のことを猫と思っていなかった気がするから。


 夫も、そうだねと笑った。


 また、一緒に泣いた。泣きながら、諭吉の思い出話を繰り返した。

 そして、最後に夫と水掛け論をする。


 どっちが、諭吉に好かれていたかって。


 今日の泣く時間は、昨日よりも短くなった気がした。


――――――


<お兄ちゃん>


 お父さんが仕方がないんだよ、と僕に言ったけど、まだ納得は出来ていない。


 だって、ついさっきまでお母さんのそばにきて、くんくんと顔を近づけてたんだよ。お母さんから少し分けて貰ったバターを美味しそうに舐めていたんだよ。


 満足した顔で、いつものお父さんの椅子の下に来て、ごろりと横になって。

 お父さんが病院にそろそろ行こうかねって声を掛け、そっと撫でて……。


 諭吉はそのまま、起きなかった。


 夏休みの自由研究で、猫の寿命と人間の寿命について調べて発表した。

 色々な本やインターネットで調べたけど、それぞれ解釈が微妙に違っていたので、「寿命は調べる先で変わります」って正直に発表したら、みんなが面白いって笑ってくれた。


 諭吉は十年近く生きた。


 人間の年齢に換算すると、五六才ぐらいって書かれていた。

 それを見てお父さんも、あと一〇年もしたらその歳になることが分かった。


 だから、すごく早いってのが分かる。

 

 キッチンの、換気扇の鉄のフードに、お母さんがたくさんの写真を貼っている。その中に、僕のお気に入りの写真がある。


 ベビーベットに寝ている僕の枕元に、諭吉がちょこんと座っている。奇跡的に、赤ちゃんの僕と諭吉がカメラ目線になっている。僕はまんまるい顔でニコッと笑っている。諭吉の顔は猫のまんまだけど、なんだか、任せておけって言っている感じで写っている。


 僕が生まれた時にはもう、諭吉は我が家に居た。

 僕が幼稚園の頃、お父さんから言われた言葉を今でも覚えている。


「諭吉は、我が家の長男坊だから」


 諭吉が長男って思ったけど、諭吉なら良いかなって思えた。僕のお兄ちゃん。

 でも変だよね、僕のお兄ちゃんは五六歳って。そう思えたら、少し笑えた。


 お父さんの椅子の下を、そんなことを考えながら見ていたら、途中からマロンがそばに来ていた。途中からは無意識に、マロンに話しかけていた。マロンは不思議そうな顔をしながら、でも、じっと話を聞いてくれている気がした。なんとなく、諭吉っぽく感じた。


 ふと、マロンの年齢は人間の年齢に直したらいくつになるのかな、と思って調べてみた。

 猫の年齢が一歳だと、十五歳くらい。


 弟が出来たって思ったのに、もう、年齢が抜かれていた。


 そう思えたら、少し笑えた。


 僕も、早くお兄ちゃんにならなきゃね。


――――――


<おチビちゃん>


 諭吉さんがいなくなってから、窓辺によく行くようにしている。


 わたしが行くと、必ずかぐやさんが諭吉さんのいた場所に座っていた。なので、自然と、かぐやさんが座っていたところにわたしは座った。二人並んで、外を眺める。


 かぐやさんの目線の先には、ただの庭がある。


 お父さんが植えた桜の木が一番目立つ。少し低い場所にバラが植えてある。ローズマリーの緑色が濃く彩っているのも見える。スズメかな?小鳥が小さなダンスをしている。それらを、二人でじっと見ていた。


 何があるんだろう、と好奇心もあってかぐやさんの隣に座ってから、毎回、同じ風景を見ている。不思議と飽きなかった。風が吹いて、サワサワっと草木の揺れる音がした。


 それをただじっと見ながら、諭吉さんはどうしていつもこの風景を見ていたのかな、と思った。なんとなくだけど、諭吉さんのことが分かったら、寂しさが薄れる気がしたから。


 諭吉さんのことが悲しくないわけじゃない。今でも、居てくれたらって思う。だけど、どこかにいるような気もする。いなくなった感じが、あんまりしない。窓辺に座ると、特に。だから、諭吉さんのことをもっと知りたいって思えた。


 夕食の時、誰とも言わず、諭吉さんの話が話題に出る。お母さんが泣いたり、お父さんがちょっと上を向いたりしている。お兄ちゃんは少し目を赤くするだけ。わたしはそこまでではない。


 なんでかなと不思議に思うけど、多分、諭吉さんが居ないから悲しいって思うよりも、諭吉さんのことを忘れることのほうが悲しい気がする。


 でも、言わない。


 みんな、それぞれの気持ちで、諭吉さんとお別れをしている。わたしは、お別れじゃなくって、諭吉さんをより強く心に残そうとしている。


 そうしたら、家のどこかで諭吉さんを感じることが出来る気がするから。


 かぐやさんがわたしを見ていることに気がついた。

 大丈夫だよ、って言われた気がした。


 お返しに、頭をくりっと撫でてあげた。


 わたしもだよ、って笑いかけてくれた気がした。


――――――


<でっかい人>


 椅子に座る前に、いつものクセで椅子の下を見る。

 ご飯を食べながら、ついつい左手を椅子の下に伸ばしてしまう。


 クセというのはそうそう、治るものではない。

 それも十年も続けていたのなら、それはクセではなく生活の一部と言っても過言ではない。

 今更ながらに、その存在の大きさに思い知らされる。


 出会ったときから、存在感が違っていた。


 誰にも媚びず、でも寂しさを抱えている。そんな気がした。

 そして、家族になろうと訴えかけられた気がする。


 彼の猫としての年齢と、私の年齢とが段々と重なり、追い抜かれた。

 彼が二才になる頃には、私の晩酌の相手になってもらった。


 可愛い後輩と思った。


 それから段々と同期になり、先輩になり、上司になった。


 いずれにしても、私の側でただじっと私の愚痴に耳を傾けてくれた。


 私は、自慢ではないが家族には仕事の愚痴をこぼしたことがない。だけど、不思議と彼には吐露できた。家族だけど、もっと違う存在。


 友かなと思った。いや、戦友かな。


 家族を守るため、外に出る私に代わり、家の守りを担っていたのが彼だった。


 だから、同じ場所にお互い座り、意識の共有をしていた。そんな気がしていたが、彼はどう考えていたのかな。迷惑ではなかったかな、それとも言われなくてもって思っていたのか。


 一度でいいから、盃を傾けながら一緒に話をしてみたかった。


 妻と、ペットショップで彼を選んだ日のことを、最近よく話す。決まって、どちらが彼を見初めたかって話になる。もちろん私だと言うのだが、妻も譲らない。彼を勧めたのはあなただが、彼を選んだのは私だと。


 違うんだけどな……と言って、続きを言わない。妻があなただって言うのと言うけど、それ以上は口に出さない。


 選んだのは、彼なんだけどな、と。


 あの目が忘れられない。ガラスケースの中で、静かにこちらを見ていた。首をコテッと曲げた。


 家族になろうよ、と言っていたあの目を。


 その後は、いつもの、どちらが諭吉に好かれていたかという話を、何度となく繰り返して、二人して泣く。

 妻は子供たちにも遠慮せずに泣いて、私は黙って涙をこらえる。


 椅子の下にもう一度、手を伸ばした。


 誰もいなかった。でも、なんとなく温かく感じた。


 そうか。まだ、ここにいるじゃないか。


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