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この家の、あかり  作者: めこねこ


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2/21

第一話「かぐやは、ミーミー泣いた」― かぐやの話

 風が、いつもと違うな、おかしいな。


 竹林が揺れるごうごうとした音を聞きながら、あたしは思った。

 そういえば、しばらくママのおっぱいをもらっていないな、とも思った。

 腹が空いて仕方がない。

 風の音と、変わりゆく空の色を感じながら、空腹に耐えて、そんなことをぼんやり考えていた。


 竹林にいるからなのか、いつもの音じゃない、さわさわじゃなくて、ごうごうって、なんか怒ってるみたいな音。

 葉っぱが全部同じ方向に揺れていて、空の雲はどんどん流れていってる。

 夕方でもないのに、お空が黄色くなっている。


 竹林の風って、普段はいい音がするのにな。


 笛みたいな、でも笛じゃない、もっと低くて長い音。

 サラサラと笹が揺れて、それがたくさん合わさって、ざわざわっと音がして。

 朝、目が覚めると、まずその音が聞こえた。風が竹と竹の間を通り抜けるたびに、音が変わった。強い風の日は力強く、弱い日はため息みたいに。


 あたし、その音が好きだった。朝起きて、その音を聞いて、ああ今日も始まるな、って思ってた。それが子守唄みたいで、竹林にいるのが嫌いじゃなかった。お腹は空くし、雨の日は濡れるし。それでも、ここはあたしの場所だって、思ってた。


 でも、その日は違った。


 音が荒かった。いつもの音じゃなかった。竹が根元から揺れていた。葉っぱがちぎれて飛んでいった。世界が怒ってるみたいだった。空気が、違った。体の奥の方に、じんとした不安が広がった。こういう感覚、本能ってやつなのかな。うまく説明できないけど、今日は何かが違う、ってわかる日がある。その日がそうだった。


―――


 気づいたら、ママがいなかった。


 いつからいなかったのか、わからない。

 なんでいなくなったのかは分からない。


 昨日まではいた、と思う。いや、昨日の朝は確かにいた。ママのにおいがした。

 竹の根元のあたり、ママがよく丸まっていたところに、まだちゃんとにおいがあった。兄弟と一緒に感じた温かいあの安心するにおい。草と、土と、あと――ママ独特のにおいを感じ合っていた。それが、まだそこにあった。


 だから、どこかにいるはずだ、と思った。


 あたしは鳴きながら、竹と竹の間を歩いた。ママがよく行く場所を、全部回った。水が飲めるところ。雨を凌げるところ。日向になる場所。どこにもいなかった。においは、どこを探しても、段々薄くなっていくばかりだった。

 薄くなって、薄くなって、やがて竹の香りに混じって、わからなくなった。


 ミーミー、って泣いた。


 恥ずかしいとか、そういうこと考える余裕、なかった。ただ怖くて、寂しくて、お腹も空いてて、それで泣いた。声を出せば来てくれると思った。ママは、あたしが泣くと来てくれた。いつも来てくれた。だから泣いた。泣きながら、また歩いた。また泣いた。


 でも――来なかった。


 竹がごうごうと鳴るから、自分の声がかき消されそうで、もっと大きな声で泣いた。喉が痛くなっても、泣いた。足が疲れても、歩いた。諦めたくなかった。でも、だんだん、わかってきた。


 ママは、来ない。


 どうして、とか、なんで、とか、考えても仕方なかった。ただ、来ない。それだけが事実だった。その事実が、体の中にゆっくり染み込んできて、足が止まった。竹の根元に、へたりこんだ。


 雨のにおいがしてきた。


 ママがふと独り言のように言っていたのを覚えている。

 「雨にはにおいがあるんだ」って。その時習った。

 湿っていて、じわっとした感じ。これが雨のにおいかな。

 その言葉を覚えるのと同時に、においも覚えた


 でも今回は、湿っているけど、でもどこか乾いている、なんか世界がひっくり返る前の感じ。土の底から何かが上がってくるみたいで、鼻の奥がつんとしたそんなにおいだった。そのにおいが、怖かった。今夜、雨が来る。風が来る。そうなったら、あたし一人で、どこにいればいいんだろう。ママがいない竹林で、台風の夜を、一人で越えられるんだろうか。


 泣きながら、自分に問いかけた。答えは、出なかった。


―――


 気づいたら、人間がビュンビュン通る場所の近く、竹林の端っこにいた。

 

 丸くなって泣いていたら、人間の気配がした。


 大きい。本当に、大きい。

 竹と同じくらい背が高くて、足音が重くて、最初は逃げようと思った。足に力を入れた。体が、逃げる準備をした。


 でも、動かなかった。


 怖いのか、疲れたのか、それとも――もうここしかないって思ったのか。

 全部だったと思う。

 逃げる体力も残っていなかったし、逃げた先に何があるかもわからなかった。台風が来る。夜が来る。ママはいない。逃げても、逃げた先に、何もない。


 だったら、賭けてみよう、と思った。


 あたしは精いっぱい、鳴いた。


 助けて、って意味で鳴いた。ここにいるよ、って意味で鳴いた。お腹が空いてて、寂しくて、怖くて、一人で台風を越える自信がなくて、もしよかったら、って気持ちも、全部ひっくるめて、声の限り鳴いた。情けないとか、思わなかった。そんな余裕、なかった。ただ、届けと思った。最後には叫ぶように泣いていた。


 でっかい人は、立ち止まった。こっちを向いた。お腹が空きすぎているからか、それとも薄暗かったからなのか、表情はよく見えなかった。

 けど、こっちを向いた。それから、ゆっくり、しゃがんだ。急がなかった。急に動かなかった。そのゆっくりさが、よかった。


 手を伸ばして何かを言っているようだった。少しだけ近づき、また優しく手を伸ばしてきた。怖くない。けど、動けなかった。でっかい人は、そのまま、動かなくなった。


 待ってた。


 あたしが来るのを、ただ、待ってた。


 その「待ってる」感じが、決め手だった。急かさなかった。怖がらせなかった。来てもいいし、来なくてもいい、でも待ってる。そういう感じがした。


 少しだけ、前に出た。足が震えた。それでも、出た。鼻先を、指先に近づけてみた。においを嗅いでみた。汗のにおいと、温かいにおい、外にいる人のにおいが混じっていた。悪くなかった。怖くなかった。


 人間は、少し満足そうな顔を浮かべ、スクっと立ち上がった。


 え?なになに?

 どこかに行っちゃうの?

 

 もう一回、泣いた。


 でっかい人間はその場でなにかを取り出し、喋り始めた。

 もっと近づいたほうが良かったのかな?でも、その低い声がちょっぴり怖くって、思わずそのまま、一歩、後ろに下がっていた。


 あれ?


 離れるつもりじゃなかったんだけど・・・。

 どうしても、そこからまた一歩近づくことが出来ない。


 そしたら、そのでっかい人はどこかに行ってしまった。


 なんか、泣くのが少し、止まっちゃった。


―――


 しばらくして、おチビちゃんを連れた女の人が来た。

 

 さっき、でっかい人が居た場所まで来て、キョロキョロと辺りを見渡している。

 竹林は相変わらず、ごうごうと音を立て揺れている。

 誰かを探しているようだ。

 

 白黒ちゃん、どこ


 そんなことを言っているみたい。


 でっかい人での失敗で、落ち込んでいたあたしには、誰かを探している人なんてかまっていられなかった。だって、目いっぱい泣いたのに、置いてかれたんだよ。この人に泣いてもおんなじ目に遭うんじゃないか。どこの誰をさがしているか知らないけど、また惨めな思いはしたくない。泣く前に、一歩、また一歩、竹林の奥に入っていった。


 あたしの小さな身体でも、あたしの柄は竹林では目立つのかな?

 あたしは女の人に見つかって、「白黒ちゃん、こっちにおいで」って言われちゃった。その時になって初めて、さっきの白黒ちゃんってあたしのことだって気がついたよ。

 あとから考えると、あのでっかい人がこの女の人・・・お母さんにあたしのことを伝えてくれてたんだよね。仕方がないじゃん。あの時は置いてかれてショックだったんだから。


 お母さんは、あたしに近づくと、あのでっかい人と同じように、静かにその場に座り、「まあ、かわいい」って声を上げて手を差し伸べてきた。あのでっかい人よりも少し早かったけど、その声に、棘がなかった。

 驚いてるけど、拒絶したい気分じゃなかった。むしろ、心地よさを感じた。

 そのままじっとしていると、お母さんはバッグの中からタオルを取り出した。準備がいい人だな、と思った。こういう時のために、タオルを持ち歩いてる人なんだ、と思った。


 おちびちゃんは、お母さんの洋服の裾をしっかりと握り、ニコニコしながらあたしのことを見ていた。不思議な目をした、くりっとした目をした、なんだか落ち着く目をしてた。

 でっかい人にも、お母さんにも似ているけど、もっとあたしの心の奥底を見ているような、そんな透明な目をしてた。


 おちびちゃんは、タオルを出し私に手を伸ばそうとしているお母さんの横で、しゃがみこみ、あたしの目を見ていた。じっと見ていた。値踏みとか、そういうんじゃなかった。ただ、静かに見た。その目が、奇妙なほど落ち着いていた。怖くなかった。むしろ、その目を見ていると、こっちが落ち着いてきた。


 なんか、ふっと、泣くのが止まった。

 泣かないって思っていたのに、私はずっと泣いていたみたい。

 でも、その目を見ていたら、泣くのが止まっていた。


 自分でも、びっくりした。さっきまであんなに泣いてたのに、この子の目を見た瞬間に、すっと止まった。体から力が抜けて、お腹のあたりがゆるんだ。ほっとした、って感じだった。


 お母さんのタオルにくるまれた。あたたかかった。タオルのにおいがした。洗剤のにおいと、人のにおいが混じった、生活のにおい。くるまれた瞬間、全身の力が、一気に抜けた。それまでずっと張り詰めてたんだな、って、その時初めてわかった。どのくらい緊張してたんだろう。ママを探してから、ずっと、体に力が入りっぱなしだったんだ。体が、やっと息をついた感じがした。


 そのままお母さんに抱っこされ、竹林のごうごうとした音から離れた、風の吹かない穏やかな場所に連れて行かれた。

 お母さんに揺られてそんなに時間が経っていない。どうやら、この人間の住まいは、私の住む竹林のすぐそばにあるようだった。

 タオルにつつまれ、揺られながら連れて行かれた先には、大きなゲージがあり、そこに入れてもらった。ここでこれから暮らすのかな?

 そんなことを漠然と考えていた。お腹が鳴った。恥ずかしかった。

 でも、誰も笑わなかった。お母さんが、タオルの上からそっとあたしの背中を撫でた。


―――


 家に入った瞬間、においが、どわっと来た。

 人間のにおいと、ほんの少しだけ、ご飯のにおい、木のにおいに、布のにおい。

 そして――ママとは違うひとのにおい。


 え、猫?


 あたし以外の猫のにおいがする。それも、かなりはっきりと。この家に、もう猫がいる。


 部屋の奥を見たら、いた。


 グレーの、きれいな猫。毛並みがよくて、耳がすっとしていて、目が少し緑がかっていた。姿勢がよかった。ただ座っているだけなのに、なんか、品があった。こういう言い方が合ってるかわからないけど、ちゃんとしてる、って感じがした。

 このひとは、ここに長くいる。ここが自分の場所だと知っている。そういう落ち着き方をしていた。


 目が合った。


 静かに私の入っているゲージまで歩いてきた。

 いつの間にかタオルにくるまれたまま大きなゲージに入っている私のそばにきて、そのゲージ越しにしばらく、そのまま見つめ合っていた。

 あたしは息を止めてた気がする。


 先に目をそらしたのは、その子だった。


 負けた感じじゃなかった。なんか、「まあ、いいよ」って感じだった。受け入れてもらった、みたいな。ここにいていい、って言ってもらえた、みたいな。


 それが、かえってかっこよかった。ちょっと、どきっとした。


―――


 最初の夜。


 でっかい人が家に入ってきて、あたしを見るなりにんまりとしていた。

 お母さんからでっかい人のにおいがしたから、一緒に暮らしているのは直ぐに分かった。ただ、置いてかれたショックはしばらくは消えない。ちょっと意地悪をしたくなった。不器用に手を伸ばし撫でてくれようとする。ちょっとだけ逃げてやった。

 ショックを受けた顔をしてた。


 少し可哀想に思った。仕方がないから、もう一回手を伸ばしていた来たときには、逃げずに頭を差し出してやったよ。力加減がちょっとわからない感じで、ぐりぐりってなった。痛くはないけど、ちょっとやりすぎ。でも、嫌じゃなかった。なんか、一生懸命さが、手から伝わってきた。この人、不器用なんだな、って。そういう人が、一番信用できる気がした。この人のこと、好きかもしれない、ってその時思った。


 お母さんがくれたご飯は、とんでもなくおいしかった。


 世界ってこんなにおいしかったっけ、って思うくらい。夢中で食べたら、お母さんが笑いながらもう少し足してくれた。この人、いい人だ、と思った。私を優しくタオルでくるんでくれたし、こんなおいしいごはんをくれる。この家の中で、一番好きになってあげよう。


 おちびちゃんよりも大きい、元気そうな男の子もいた。この子はあたしに構いすぎ。ずっと触ってくる。ずっと呼ぶ。あたしが移動したらついてくる。疲れた。でも、あの子の声も嫌いじゃないな、と思った。悪気がないのが伝わってくる。全力で好きって言ってくれてる感じ、悪くない。


 おちびちゃんは、竹林の時と変わらない目で、じっとこっちを見て、そして、ただそこにいた。隣に座って、本を読んでた。たまにちらって見てくる。それだけ。何も要求してこなかった。この子の隣が、一番落ち着いた。この子は、待てる人なんだ。あたしのペースを、待てる人。


―――


 夜が深くなってから、ゲージの外に気配がした。


 グレーの子が、そっと近くに来ていた。物音ひとつ立てなかった。気づいたら、少し離れたところで丸くなっていた。


 あたしは、そっと鼻を伸ばした。においを嗅いだ。


 落ち着いたにおいだった。草のような、静かな夜のような、少し涼しいような。嫌いじゃなかった。むしろ、好きかもしれなかった。このにおいの近くにいると、なんか、安心する。ママとは違うけど、とっても落ち着くいいにおい。このひと好き、そう思った。


 風の音がビュンビュンとうるさく鳴っていた。竹林で聞いた音より、ずっと荒かった。でも、部屋の中は静かだった。あたたかかった。グレーの子の寝息が、そばで聞こえた。


 だから全然、怖くなかった。


 でっかい人の気配があった。お母さんの気配があった。男の子とおちびちゃんの気配があった。グレーの子の寝息が、そばで聞こえた。全部あった。全部、ここにあっ

た。


 悪くない、って思った。


 竹林の風の音を、少しだけ思い出した。あの音は好きだった。でも、今はここの方がいい。今夜は、ここの方がずっといい。


 この家で、生きていこうと思った。


 ママはどこにいるんだろう、ってちょっと思った。でも、もう泣かなかった。

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