第八話 ご飯は、美味しい?
<チャトランとマロンとかぐや>
あたいは、ご飯にこだわりがない。
とりあえず、お母さんに出されたものは食べてみる。食べてみないと美味しいかどうかなんて分からないし、案外、それぞれの良さってのがあるのよね。今日出てきた新しいご飯、どうかしらね。
そんなふうに考えながら、ちらりとかぐやちゃんを見る。
あたいのとなりで、皿に向き合っているかぐやちゃん。かぐやちゃんって、なんかこだわりがあるのよね、新しいご飯が出てくると、しばらくは食べないのよね。もったいない。ご飯に困ったことがないのかしら。
毎日食べることができる幸せって、そんな毎日がない時を過ごしたことがないヒトには分かんないのかもね。かぐやちゃんにそれとなく言うと、「あたしだって、困ったことあるわよ」なんて言うけど、あんな上品な顔で言われてもね。
もう一度、かぐやちゃんを覗いてみる。クンクンと匂うだけで、まだ口をつけていない。知らないわよ。
ちょうど、マロンが自分のご飯を食べ終わり、こちらに見回りにきた。
ほら来た。
この子はあたいと違った意味で、ご飯にこだわりがない。腹に入れば何でもいいは一緒かもしれないけど、なんていうのかしら。質より量って感じ。このあたりは、お母さんに伝えたいことね。いつもあたいとマロンを同じ扱いにして。
マロンもご飯が変わったからって、全然躊躇せずに食べたみたいね。でも満足していないみたい。
マロンはあたいの皿をチラリと見て、残っていないことを確認して、小さくチッと言って、かぐやちゃんのそばに行く。
新しいご飯の入ったままの皿を前に、固まっているかぐやちゃんへ、マロンが声をかける。
「あんまし、好きじゃないの、今回の」
「苦手なのよね、新しいのって」
「そうなの?かぐやさんが苦手なら、オレが食べてあげてもいいよ。オレ、まだまだ成長期だからさ。腹が減ってしょうがないんだ」
歳の差は六歳もあるのに、もうかぐやちゃんより二倍以上は大きいマロン。たしかにあたいたちと同じ量なら、満足はしないのかもね。でもね、かぐやちゃんが言っている「苦手」ってそういう意味じゃないのよね……。
あたいが口を挟もうかと迷っている間に、さっさとかぐやちゃんは決断する。
「今日は少し気分が乗らないわ。よかったら食べる?」
すっと皿から距離を置くかぐやちゃん。もう、お腹が空いても仕方がないわよ。
「やったね!いっただきま〜っす」
相変わらず勢いだけで食べるマロンが、瞬く間にかぐやちゃんの皿をきれいにする。ホント、見事よね。
「ごちそうさま〜。ん〜うまかった〜」
かぐやちゃんがぴくっと耳を動かす。でも、それ以上何も言わずに澄ました顔で二階に上がっていく。諭吉さんはまだ食べ終わっていないけど、先に二階に上がって、特等席で待ってるつもりかしら。
さぁ、あたいも食べ終わったし、いつもの場所でお昼寝でもしましょうかね。
冷蔵庫の上の特等席でおはぎちゃんを待っていようかしらね。最近、毛づくろいしてあげていないから、お昼寝前に入念にやってあげようかしら。それはそうと……。
夜ご飯は何かしら。
今日は、とろりとした美味しいご飯もセットだったらいいな。
――――――
<マロンとおはぎと諭吉>
オレって、どうしてこうも腹が空くのかな。
朝メシを食べてもすぐにぐーっ、昼メシ食べても、夕メシ食べても、すぐにぐーだよ。お母さんに言いたいんだよね、オレだけもうちょっと増やしてって。でもな。みんながちょっとずつ残してたりするから、まぁ、それをオレが綺麗に片付ければいいか。
今日から変わったメシも美味かったな。かぐやさんは苦手っぽかったけど、オレ、結構気に入ったな。
さて、他のヒトは……諭吉さんの皿から、まだ残ってる匂いがするな。よし、オレがいただこうかな。
「ちょっと待って、お兄ちゃん」
ふいに声がかかる。いつの間にかおはぎが後ろに来ていた。
「なんだよ。ちゃんと諭吉さんに断りを入れてもらうよ。残しちゃまずいだろ。新しいメシだから諭吉さんも苦手みたいだからさ」
妹に指摘される前に、ちゃんと礼儀くらいは知ってるんだぞと言ってみる。それに善意の行為だってちゃんと宣言する。おはぎはオレを呆れた目で見ながら、「違うのよ」とつぶやく。
「諭吉さんのご飯、私たちのと違うのよ」
「ご飯が違う?」
なんだよ、諭吉さんだけいいやつ食ってるってことか?お母さんに一番可愛がられてはいるけど、そりゃないぜ。
「そういう意味じゃないわよ。諭吉さんのご飯は、諭吉さんの体に合わせたものなのよ。だから、邪魔しちゃいけないの」
どういうことだ?体に合わせたってことは、あの立派な筋肉とか毛並みのための特別なメシってことか。いいな、いいな。ぜいたくだな。
「坊主、一つ食ってみるか」
オレたちの騒ぎが耳に入ったのか、諭吉さんがゆっくりとこちらを向き、オレにそう声をかけてきた。皿の上にはまだたくさんのご飯が残っている。
「え!いいの」
「ああ、俺はもう十分食べた。食べられるだけ、食べていいぞ」
ラッキー!諭吉さん、話が分かる人じゃん。オレは喜び勇んで諭吉さんの特製メシを口にした。
――薄い。
味がとっても薄い。匂いもどこか美味しくない匂い。オレたちが食ってるような肉とか魚とかの匂いっぽいけど、もっと、なんていうか違う匂い。これに似た匂い、確か前に匂ったことあったっけ。
「どうだ、うまくはないだろ」
「う、うん。でもなんで?なんか匂いも変だし、味がしない」
「俺のな、体に合わせた飯だからな。坊主には合わないだろうな」
そう言い残して、諭吉さんはすっと二階に上がっていった。
皿にはまだ半分くらいご飯が残っている。おはぎがオレのそばに寄ってくる。
「ほら、言ったじゃない。で、どうするのよ」
「ん、食べる。腹減ってるし」
「呆れた」
そう言い残して、おはぎはチャトランさんが待っている冷蔵庫の上に向かった。オレは、もう一度、諭吉さんの皿を見る。一気に残りを食べる。
あ、思い出した。この匂い。
風邪をひいた時のメシの匂いだ。
――――――
<おはぎとチャトラン>
冷蔵庫の上で、ふんわりと寝そべるチャトランさんの横で丸まった。
チャトランさんが、「こっちおいで」と呼んでくれたので、顔も体もピタリとくっつけるように丸まり直す。チャトランさんが、頭から順番に毛づくろいをし始めてくれた。うっとりとそれを受けながら、チャトランさんの声に耳を傾けた。
「マロンは、本当に食いしん坊だね」
そう切り出しながら、優しい声で、わたしたち兄妹のことに触れ始めた。
「あんた達は、ここに来る前は、外が長かったんだっけ」
「ううん。あんまし外にはいなかったよ」
「そうかい。じゃぁ、マロンの食いしん坊は、食べものに困ったことがあるからって訳じゃないんだね」
「うん。お母さんから離されたら、施設でご飯貰ってたから」
ご飯に困る。想像でしかないけど、毎日お腹が空いているってことよね。
「ご飯に困る、どのくらい食べられないの?」
「そうだね。食べられないから困るじゃないかもね。自分が食べたい時に食べられない。自分が食べたいものが食べられない。そんな感じかね」
「自分が食べたい時?」
少し不思議だった。食べられないことで困るんじゃないんだって。
「そうさね。この家じゃ、毎回、きちんと決まった時間にご飯がもらえるだろう。でもね、外じゃ、自分が食べたいなって思った時に、必ずご飯がもらえるわけじゃない」
確かに、施設の時も、この家に来ても、決まった時間にお母さんが、男の子たちがわたしたちにご飯をくれる。
「お腹が空いて、ご飯が食べたいって思って鳴いても、誰もご飯はくれないのよ。ただ、人があたいたちにご飯をあげたいって時にだけご飯が食べられるのよ。だから、食べられる時に食べないとダメなの」
人の気まぐれでご飯……想像ができなかった。
「そしてね、私たちが食べたいものをくれるわけじゃない。その人が食べないものを持ってくることが多いからね。なんでも食べるしかないのよ」
この家にいると、味や匂いが変わっても、わたしたちが好きなものがいつも出てくる。外だと、そうじゃないんだ。
「だからね、食べられる時に、しっかり食べる。もらえるんだったら、きっちりもらう。そうやって、生き抜かなきゃいけないのよ。外はね」
チャトランさんの声が遠くに流れるように聞こえる。でも、声はすごく重い。
「だから、あたいはね。しっかりご飯をいただくし、食べた分は、しっかりとお母さんたちに甘えているのさ。喜んでるでしょ?ご飯がよくなるのよ」
カラッカラッと笑ってる。
そして……とチャトランさんが話を続ける。
「この家に来れたことを、幸せに思ってるのよ。とってもね」
そう言って、わたしの毛づくろいを終えたチャトランさんは、わたしにさらに体をくっつけて丸まり直した。
「わたしも、この家に来れて嬉しい。だって……」
「だって?」
わたしはそこで言葉を区切った。なんだか、チャトランさんと違うことを言いそうだったから。
「ううん、なんでもない」
わたしはチャトランさんに負けじと体を寄せて丸まり直した。
もっと毛づくろいしてもらいたかったな、と思いながら、目を閉じた。
――――――
<かぐやと諭吉>
外を眺めながら、お腹が少し空いたなって思っていた。
ちゃんと食べてればよかったかしら、と思いながら、どうにも自分の性格が嫌になる。別に慎重な性格ではないが、新しい匂いだとどうしても足が前に出ない。いつでもそうだった。新しい匂いを感じると、少し戸惑いが出てしまう。
と頭の中でグルグルと考えていると、後ろで気配がした。振り向かずに外を眺めている。気持ちは落ち着いているけど、なぜかドキドキが止まらない。
「今日は曇りか」
窓から見える山には少し霞がかかっている。時々竹林からも見たことがある。お母さんも言ってた。あの霞がかかると……。
「雨が降るな」
諭吉さんにも分かるんだ。少し嬉しくなった。
「諭吉さんにも、分かるんですか」
つい、思ったことが口から出る。
「にも?」
「あ、あたしのお母さんが、教えてくれたことがあるんです。あそこの山が霞んだら、雨が降るから屋根のあるところに行きなさいって」
「そうか」
諭吉さんはそう言って、遠くを見ながら言葉を続けてくれた。
「俺は、毎日ここで見ていて発見したんだが。そうか、教えてもらったか」
どこか寂しそうな表情に見えた。あたしと出会う前、この家に来る前のことはあまり聞いたことがない。お母さんに教えてもらったって言ったらダメだったかな。
「俺には、お母さんから、お父さんから何かを教えてもらったという記憶がないんだ」
諭吉さんはそう言って、この家に来る前のことを語ってくれた。
「覚えているのは、ガラスのケースの中だな。いつも俺を見に人が来てな」
「たまにケースから出されて誰かに抱っこされる。そして、戻されるの繰り返し」
「横のケースにも俺と同じような年格好のヒトがいて。居なくなったり、新しく来たり」
今日は珍しくたくさん話をしてくれる。その声にうっとりと身を任せる。
「そんなことが随分長く続いて。そして、ずっと長くいるやつが4匹、全員集められて、広いサークルの中に入れられて。これが最後って言われて」
声が少し震えたような気がした。けど、その後の言葉にはそれは感じられなかった。
「みんな、必死に通りかかる人に鳴いてたよ。ここにいるよって。連れてってって。だけど、俺はひとりでいた」
「そしたら、でっかい人が来て、俺を連れてってくれたよ。不思議だったよ。なんで俺かってね」
声にうれしさが重なった気がする。
「他のやつらを見ずに、俺のことだけじっと見つめるでっかい人が、俺は不思議でたまんなくってね」
と、今でも不思議なのか、首をかしげる。そんな仕草も似合うわ、諭吉さんは。見つめていると、少し間を置いて、噛みしめるように呟かれた。
「この家に来れて、幸せだなと思ってるよ」
あたしだけに語ってくれた諭吉さんの話。そんなにたくさん話してくれたわけじゃないけど、とても重くて、とても悲しくて、でも、きらきらとしていた。
そして、思った。あたしも幸せだなって。
「あたしも、幸せです」
思っていたことが、また口から出てしまった。




