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この家の、あかり  作者: めこねこ


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12/21

第六話 猫たちの、風邪

<おはぎの災難>


 目が覚めたら、なんか体がダルかった。


 変なものは食べていない。なんなら昨日は、わたしのご飯までお兄ちゃんに横取りされたくらいだ。むしろ、食べたものが少ない日だったのに。


 おかしいな、と思った。


 この感覚、初めてだった。どこか痛いわけじゃない。でも、なんか重い。体の中に、知らない何かが入ってきているような、妙な感じ。理由も状況もわからない。こういう時、頼れるのはお兄ちゃんしかいない。


「お兄ちゃん、ちょっと体がダルいんだけど、なんでかな」


 マロン兄さんは、わたしの声を聞いた瞬間に体を起こした。それから、クンクンとわたしの体のいたるところを嗅ぎ始めた。額を、首を、背中を。真剣な顔をしていた。さっきまで廊下を爆走していたのが嘘みたいに、静かだった。


「え……これ、風邪じゃね?」


 風邪ってにおいがするの?とは思ったけど、まあ、お兄ちゃんが言うなら、そうなんだろう。施設にいた頃、風邪をひいた子を見たことがあるらしい。だから、わたしより詳しいはずだ。


「どうしたらいいの?」

「施設にいた時だったら、あそこの人が病院に連れてってたからさ。それしてもらうしかないかな。でも……気づいてもらわないと、しかたがないよな」


 そうよね。この家の人たちに、わたしが具合が悪いって伝えないといけない。ただ、気づかれるのを待つしかない、ということだ。


 少し不安になってきた頃、廊下からチャトランさんがやってきた。わたしとお兄ちゃんのやり取りを聞いていたのか、それとも気配で感じたのか、いつもよりゆっくりとした足取りで近づいてきた。


「どうしたの。具合、悪そうね」


 チャトランさんの声は、いつもより少しだけ低くて、やわらかかった。


「そこ、横になってごらん」


 わたしが床に横になると、チャトランさんはゆっくりとわたしのそばに丸くなって、ぺろぺろと毛づくろいをしてくれた。額を、耳の後ろを、背中を。丁寧に、丁寧に。


「前は、こうして治したんだけどね」


 ぽつりと言った。

 前、というのはいつのことだろう。


 この家に来る前のこと?

 外にいた頃のこと?


 チャトランさんの過去については、あまり聞いたことがない。でも、その言葉の重さが、なんとなく伝わってきた。


 子どもたちのことを言っているのかな、と思った。チャトランさんが、この家に来た理由。地震の後で、子どもたちとはぐれたって、いつかそんな話を聞いた気がする。詳しくは知らない。でも、この手の動きは、何度もしてきた手の動きだと、なんとなく、わかった。


 チャトランさんの温かさが、体に染み込んでくる。重かった体が、少しだけ、ゆるんだ気がした。

 気がついたら、声が出ていた。


「お母さんみたい」


 つい、ポロリと。言ってから、少し恥ずかしくなった。でも、取り消せなかった。


「ふふふっ。あたいみたいなのがお母ちゃんでいいのかい?」


 チャトランさんは笑った。からかうような笑い方じゃなかった。どこか、照れているみたいな笑い方だった。


 わたしはうまく言えなかった。お母さんと一緒に過ごした時間は短かった。どんな感じだったか、もうはっきりとは覚えていない。でも、今のこの感じ、こうして誰かにそっとしてもらえるこの感じが、お母さんって、こういうことなのかな、と思った。


「……うん」


 少しうつむきながら返事をした。チャトランさんの顔が見えなかった。ちらっと目を上げてみると、変わらない優しい表情で、わたしのことを舐め続けてくれていた。


「あら、嬉しいわね。じゃぁ、ここではあたいがかあちゃんだね」


 風邪のせいかな。体が、少し熱っぽい気がした。頭がぼんやりする。でも、不思議と、怖くなかった。胸もドキドキしている。風邪って、いろんなところを普通じゃなくするのかな。

 そして。


 クシュン。

 くしゃみが出た。


 顔を上げると、チャトランさんと目が合った。チャトランさんが、少し困ったような、でも優しい顔でわたしを見ていた。


 そこに、遠くから足音がした。


――――――


<マロンの災難>


 妹が風邪をひいているようだ。


 施設にいた時、風邪をひいた子がいた。あの時は、施設の人が病院に連れていって、薬を飲まされていた。それをしてもらったら、けっこう早く良くなってたんだよな。


 問題は、それをこの家族に伝えることだ。


 言葉が通じりゃ話は早いんだが、そうもいかない。でも、あの子なら気づいてくれるかもしれない。この家で一番、オレたちのことを理解してくれているあの子。ちびっこい女の子。

 善は急げ。オレはちびっこい子のところへ向かった。


 見つけた。部屋で絵を描いている。


 オレが来たのに気がついて目を合わせてきた。瞬間、ヒョイッと抱え上げられた。


 ああ、いつものやつか。


 もう、違うんだよ、それじゃないんだよ、と思いながら、でも、まあ、気持ちいいから少しくらいは……いや、目的はそれじゃない。

 オレは、ちびっこい子の腕の中で、なんとか意思を伝えようとした。体をもぞもぞさせた。視線を廊下の方に向けた。でも、なかなか伝わらない。

 その時だった。


 クシュン。

 くしゃみが出た。自分でもびっくりした。


 ちびっこい子が、動きを止めた。オレを抱いたまま、じっとオレの顔を見た。何かが伝わった、という気がした。


「お母さん!」


 ちびっこい子が、廊下に向かって声を上げた。


 それからのことは、あっという間だった。お母さんが来て、オレの様子を見て、慌てたような顔をして、何かを言いながら下の階に降りていった。しばらくして戻ってきたら、おはぎもいた。


 おはぎを見た。おはぎがオレを見た。

 え、二匹とも病院?オレも?


 キャリーケースが出てきた瞬間、一瞬怯んでしまった。オレの体に、施設に連れてこられた日の記憶が走った。でも、今日は違う。隣におはぎがいる。ちびっこい子が、「大丈夫だよ」って言いながら、オレの頭を撫でてくれた。


 まあ、しかたがないか。妹のためだ。オレのためでもあるけど、まあ、妹のためだ。それだけだ。


――――――


<チャトランの災難>


 おはぎちゃん、ホント可愛いわね。


 あの子を見ていると、ふと、離れ離れになった子どものことを思い出す。

 おはぎちゃんのような、ビロードみたいな黒猫じゃなかった。もう少し焦げ茶の混じった、そう、あたいに少し似た毛色の子だった。でも、あの子も、おはぎちゃんみたいにまん丸な目をしてた。周りをキョロキョロと観察しながら、人になかなか近づかない子だった。


 あたいみたいに、もう少し愛想よくしたら?って言ったら、「だってだって」って、駄々をこねてたわね。


 あのあと、どうなったか、わからない。あの子のことが一番心配だった。あの頃よりもうまくやれているといいけど。

 そんなことをぼんやり考えながら、窓から外を眺めていた。


 おはぎちゃんとマロンは今頃、病院だ。早く良くなるといいわね。


 そう思っていたら、隣に気配がした。

 かぐやちゃんだった。


 珍しいな、と思った。かぐやちゃんからあたいのそばに来ることは、あまりない。どちらからともなく、なんとなく距離があった。あたいがどうこうじゃなく、なんとなく、お互いにそういう距離感でやってきた気がする。

 かぐやちゃんが、あたいの隣に座って、窓の外を見た。


「あの子たち、ホント騒がしいわよね」

「あたいは、賑やかになったと思ってるわよ」


 かぐやちゃんは少し黙った。それから、また外を見た。


 この子のことは、嫌いじゃない。ただ、なんとなく、いつも壁がある。最初から、ちょっとそういう感じがしてた。唯一、諭吉さんとだけはそういう壁を感じない。あたいが来る前から、ふたりっきりだった時からの仲だもん。そりゃそうよね。


 もしかしたら、あたいが諭吉さんに近づこうとしているって、思ってるのかしら。だとしたら、やめてよ、そんな柄じゃないわよ。きれいなふたりの間に入る気なんて、さらさらないんだから。


 でも、そんなこと、言えるわけもない。


 ただ、こうして隣に来てくれたのは、なんか、嬉しいな、とは思った。


 窓の外で、風が木の葉を揺らしていた。

 その時、鼻がムズムズしてきた。あら。


 クシュン。

 あらいやだ。あたいも風邪をひいたのかしら。


 ふと気配がして振り向くと、でっかい人が廊下からこちらを見ていた。慌てたような顔をして、スマホを持って何かを調べ始めた。

 何?そんなに慌てなくっていいわよ、と思ったけど、なんだか体がだるくなってきた。


 まあ、今日は大人しくしてようかしら。


――――――


<かぐやの災難>


 柄にもなく、チャトランさんに話しかけてしまった。


 あの背中を見ると、なんだか切なくなるのよね。


 最初に会った頃、少し勝手に嫉妬みたいな気持ちを持ってしまっていた。理由なんてうまく言えないけど、なんとなく、あの人は最初から諭吉さんと同じ匂いがしたというか、この家に馴染むのが早かったというか。それが気になって、話しかけにくくなってしまった。自分でもおかしいとは思ってたのよ。でも、なかなか、そういう気持ちって、簡単には直らないものなのよね。


 ただ、チャトランさんの背中を見ていると、そういう気持ちが薄くなっていく。


 この家に来る前、相当苦労してきたのよね、あの人。地震があって、子どもたちとはぐれて、それでもひとりで生きてきた。あたしなんて、苦労する前にこの家に来ちゃったから、よくわからないけど。ずっと外で暮らすって、どういうことなのか、想像もできない。


 おはぎちゃんを世話しているあの背中を見ていたら、ついつい隣に行ってしまった。他愛もない話をした。チャトランさんと、こんなふうに話せたのは初めてだったかもしれない。


 ついつい、そんなことを考えてしまう。やっぱり、チャトランさんの隣にいてから、変だ。


 マロンのことも頭に浮かんだ。あの子を見ていると、もしあたしに子どもがいたら、あんな男の子になっていたのかな、なんて思ったりする。でも、諭吉さんとなんて……って、あたし、何考えてんだろ。

 まったく、柄にもないことばかり考えてしまう。


 クシュン。

 あら、嫌だ。


 あたしもうつってしまったかしら。鼻がむずむずする。体が、なんとなく重たい。もしかして、これが風邪というものかしら。


 初めての感覚だった。この家に来てから、ずっと健康だったから、こういう感覚は知らなかった。なんか、嫌ね。


 諭吉さんのそばに行きたいな。


 でも、うつしてしまったら申し訳ない。


 だから、遠くから見ていることにした。


――――――  

 

<諭吉は無事>


 なんか、騒がしいな。


 俺はいつもの定位置で、ぼんやりとそれを聞いていた。


 くしゃみの音がした。一回ではなかった。何度も、あちこちから聞こえた。かぐやの方から。チャトランの方から。それから、もっと遠くから、おはぎとマロンの。


 ふむ。

 風邪か。


 長くこの家にいるが、風邪がこんなに広がったのは初めてだな。それだけ、賑やかになったということか。前はこんなに広がりようもなかった。マロンとおはぎが来てから、この家は変わった。音が増えた。においが増えた。それが今は、くしゃみになって広がっている。


 やれやれ。


 しばらくして、お母さんとちびっこい子が慌ただしくなる音がした。キャリーケースが出てくる音がした。それから、玄関が開いて、閉まった。おはぎとマロンが連れていかれたんだろう。


 残ったのは、かぐやと、チャトランと、俺だ。


 かぐやが、遠目でこちらを見ていた。

 

 ん?いつもならそばに来るのに、今日は寄ってこないな。


 クシュン。

 かぐやも風邪か。


 だからそばに来ないのか。うつしてしまうと思って、気を回しているんだろう。そういう子だ。そういうことを、さりげなくする子だ。

 俺は何も言わなかった。ただ、そこにいた。


 かぐやの方を、一度だけ見た。


 目が合った。かぐやが、少し目を細めた。それだけだった。それだけで、十分だった。


 チャトランは、窓辺で丸くなっていた。いつもより元気がなさそうだ。でっかい人が心配そうな顔で、時々チャトランの様子を見に来ていた。


 俺はいつもの椅子の下で丸まり直して、目を閉じた。


 みんながいる。この家はいつも通りだ。少し騒がしくなったが、それだけのことだ。


 風邪は、治る。


 早く良くなるといい、とだけ思った。

 俺は、あくびをして、また眠った。

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