パート1 35
門をくぐって中へ踏み入れると、より詳しい状況が見えてきた。
家の隣に備えられているその馬小屋には家畜はおらず、それぞれの馬房の前に人の身長ほどの水桶が設置されていて水が入っているだけだった。
太陽の光が入らないからか、その敷地の中に生えていたであろう芝生は完全に枯れていて薄茶色が目立っている。
設けられていた溜め池も、その水面を静かに揺らしているだけ。
シンッ···と静まり返っているその敷地内はとても不気味で、ほんのり残る生活の後がそれをより強調させていた。
「なんでこんなことを···、ここに家がある理由がわからない」
「いつものことよ。転生者が考えてることは大体わからない」
手がかりが一切無い中、ゼロとレイはそこに佇む一軒家を目指していくことにした。
敷地内も地面は土で覆われていて、手が入っていないことがわかった。
二人が歩く音だけが響き続ける中、ゼロが反応する。
家の中から微かに音が聞こえてきたような気がした。
「慎重に、私は右、あなたは左に」
ウォッチの画面を再び起動すると、家の扉の横に張り付くように体を密着させる。
レイも牢屋の時と同じように扉を挟んでゼロの反対側に体をつけるのだった。
家は木造で、引けば簡単に開くタイプの扉だった。
「武器がないから、襲いかかってきそうだったら先に懐に踏み込んで制圧して。話の通じる相手だったら、その後に私が話す」
「わかった」
途端に現場に緊張が走る。
静まり返る中、ゼロが扉の取っ手に手をかけた。
家の中からはさっきよりもハッキリと物音が聞こえ、何者かがいる様子がわかった。
「···いくわよ」
ゼロの呼び掛けにレイはうなずくと、ゼロはゆっくりと扉を開いていく。
レイが顔を少しズラして中を覗き込み、様子を確認した。
部屋の中心には木の大きなテーブル、まずはそれが目を引いた。
室内は少し蒸し暑くムワッとしていて、外までそれが漏れ出していくのが分かる。
レイはゆっくりと顔を出して中を覗き込み、詳しく観察していくのだった。
古いソファーに、木製の本棚。
ニーラムの家と比べると、室内にある家具が古い。
食卓の椅子や台所など、ほとんどが木製のものばかりだった。
オーブンレンジや電気といった、街にあった近代的なものが存在せず、ここだけ全く別の文化の国のようだ。
「···人はいない。少なくともこの部屋には」
それを聞いたゼロは、開いた扉の陰から顔を出す。
レイと同じように室内を覗き込むと、扉から体を出して踏み込んでいくのだった。
外から差し込む僅かな光が室内にも入り込み、何とか照らしている状態だ。
ギギギッ、と木の軋む音を響かせながら室内を調べてみると、比較的掃除が行き届いているのがわかった。
放置されている様子ではなく、やはり誰かが継続的にここに住んでいるようだ。
「···あの扉の向こうか」
部屋の突き当たり、一つだけポツンと存在する扉の向こうから微かに音が聞こえてくる。
何かが歩くような、何かを引きずるような音にも聞こえる。
「今度は、俺から」
その言葉にゼロがうなずく。
あちらもレイたちには気付いてない様子だった。
十分に警戒しながら、レイは少し半身を引いた状態で扉の取っ手に手を掛けてゆっくりと扉を開ける。
廊下が伸びていた。
いくつか部屋が設けられ、突き当たりはこの家自体の端なのだろう、外の丸太の柵が見える窓があった。
そこから丁字に廊下が伸びて、その先から音が聞こえてくる。
ゆっくり廊下を進んでいくレイ。
背後を警戒しながら扉を閉めて、ゼロも後からついていく。
床の軋む音、相手に気付かれないようにゆっくり進む。
丁字に差し掛かる前、音のする方向の壁に体をつけてその先に顔を覗き込ませると、それは見えたのだった。
「ニー···ラム、さん?」
思わずレイが言葉を漏らす。
尻尾。
尻尾が見えたのだ。
ニーラムと同じオレンジ色の尻尾が、床をスリスリと擦っているのが見えた。
廊下の突き当たり、扉が開きっぱなしのその部屋に体を突っ込んだ状態で尻尾だけが飛び出して動いている。
耳を澄ましてみると、何やら呻くような、苦しむような声がそこから聞こえてくるのだった。
「···だれ? 誰か···いるの···?」
絞り出すような声が聞こえた。
静まり返っていないとわからない、弱々しい声だった。
「大丈夫···ですか? ニ、ニーラムさん?」
相手もレイたちに気づいた。
襲いかかってくる様子は毛頭無さそうだった。
咄嗟にニーラムの名前が出てしまう中、レイは廊下に飛び出して駆け寄っていく。
ゼロもその背中を追って、周囲を警戒しながら駆けていく。
「大丈夫ですか! しっかりしてください!」
「あなた···たち、誰? なんで···ニーラムを知って···いるの?」
部屋の中に飛び込むレイ。
そこにはニーラムと同じオレンジ色の大きな耳を生やした、褐色の肌が特徴的な獣人の女性が倒れていたのだ。
しかしニーラムとは違い、毛並みがボサボサでとても健康とはいえない様子だった。
床に這いつくばるように倒れていて、何とか腕の力でその先に進もうとしている。
「俺たちは敵ではありません。起きられますか? すみません、失礼します」
「ごめんなさいね、ごめんなさ···う、むぅ···う゛」
レイが腕をまわして抱き起こすが、彼女はすぐにレイの腕を振りほどき、その小部屋にある便器に上半身を預けたのだった。
「う゛、おえ゛え゛ぇぇぇっ! ごほぉ゛、お゛え゛え゛え゛っっっ!!」
人目もはばからずに、便器の中へと吐き出していく彼女。
体調の悪さが拍車を掛け、そのまま腰が落ちていって床にへたり込むが、顔は今も尚便器の中に突っ込んだままだった。
「大丈夫ですか。落ち着いてからでいいですから、お話を聞かせていただくことはできますか?」
「ゴボォッ···ゲッホゲッホッ! ···ごめん···ななさい。こんなところ···見せてしまって」
辛うじて顔を横に向けて、口元を押さえながらレイに返事を返す彼女。
その表情はニーラムの面影を感じさせるが、とてもではないが良いものとはいえない状態だった。
「···いえ、そんな」
レイも返事に困るが、とりあえず背中を擦ってあげた。
ほんの少し表情が和らぐが、それでも辛そうなのには変わりなかった。
「大分···落ち着いたわ。いいの、最近たまにあることだから···」
レイたちに見えないように口元を綺麗に拭って彼女は立ち上がろうとするが、足元がおぼつかず壁にもたれ掛かってそのまま床に座り込んでしまう。
「無理なさらないでください。とりあえず···台所の大きな部屋まで一緒に行きましょうか?」
「···そうね、悪いけど···お願いしようかしら」
「私、廊下とリビング、先に見てくるわ」
ゼロはそう言うと、先導する形で廊下を戻り安全を確保しにいった。
レイは彼女を支えるようにまた腕を貸すが、中々上手く立ち上がれないでいる。
怪我をしている様子はない。
原因は不明だが、歩けるような状態ではなかった。
「すみません、ちょっと···失礼しますね」
「あら、ああ···ごめんなさい。何から何まで···」
その小さな体をレイは抱え上げた。
腕を上半身、膝の裏。
無理がかからないよう、自分の方に寄りかからせて、彼女をゆっくりとリビングへ運んでいくのだった。
妙に体が軽かった。
ニーラムのように整った顔立ちだが、腕や足の細さを見ても、栄養がキチンと取れているのか怪しい。
息が深く、見るからに苦しそうに表情を歪ませている。
「リビングは大丈夫。まだ奴らに感づかれてないわ」
扉を開けて待っていたゼロにそう言われながら、レイは部屋の壁に設置されていた古いソファーに彼女を優しく下ろすのだった。
「ありがとう···。うぅ···」
「あ、どうぞ無理をなさらずに」
下ろすや否や、頭を手で押さえながら起き上がろうとする彼女。
その手先もおぼついていなく、ソファーの背もたれに体を軽く預けながら起き上がろうとする。
「それで、あなたたちは···誰なの? なんで···ニーラムを知って···いるの?」
「お、俺たちは、実はこの世界の人間では···」
「この···世界?」
「待って」
会話を見ていたゼロが、二人の間に割って入り、彼女の前でしゃがみ込んでウォッチを近付ける。
「一体どうしたんだ?」
「このままじゃ無限に時間を食うだけだわ。なるべく早く情報が知りたいから···少し協力してもらいましょう。悪いようにはしないわ」
ウォッチの画面を確認したゼロは、ジャケットの懐に手を入れて何かを取り出す。
小さな試験管のような物に液剤が入っていて、それが一回り大きい透明なペンライトに納められたような道具を取り出して確認している。
「アレルギー反応は起こさないはず。本来の使い方とは違うけど···少しの間、楽になれる」
ゼロは彼女の手首を掴んで、服の袖を捲り上げた。
少し毛深いその腕の肘の内側。
そこを確認すると、ゼロは持っていたペンライトのような注入器の端に指を当てて押し込む。
すると、複数の短いサメの歯のような突起が反対側に出てきたのだ。
「少し我慢して」
そう言うと彼女のその肘の内側に、サメの歯のような突起部分を押し当てる。
中の試験管のような部分から液剤が彼女の腕に流れ込んでいくと、みるみるうちに彼女の顔色と表情が良くなっていくのがわかった。
呼吸が落ち着き、彼女はさっきまでの様子が嘘のように目をハッキリと開けて二人をみるのだった。
「勘違いしないで、治ったわけじゃない。今は大分体が楽だと思うけど、いずれさっきの症状は出てくる」
「その液剤は何なんだ?」
「点滴みたいなものだけど、使い道は全然違う。相手から情報を聞き出すために、どれだけ弱っていても一時的に体調を整える自白剤ってとこ」
彼女が自分に起こったことが信じられない様子で、体を見回し始めた。
レイはゼロと同じようにしゃがみ込み、彼女と向き合う。
「俺は···レイといいます。あなたのお名前は?」
その問い掛けに、彼女は真っ直ぐにレイの目を見て答えたのだった。
「私はエニージェ、ニーラムの姉よ。あなたたちは···この街の人間じゃなさそう」
二人の姿をハッキリと見たエニージェは、そう言うのだった。




