パート1 26
「あなたは甘すぎる」
ニーラムの家を背に丘を下っていくゼロとレイの二人。
道を歩いている最中、ゼロがレイにそう言うのだった。
「でも、関わった以上全力を尽くすべきだ。少しでも良い方向に向かったのならそれでいいじゃないか」
「私たちはイレギュラーなの。極力この世界の住人と関わらない方がいい。希望を抱かせるほど残酷な時もある。あなたなら分かるでしょう?」
段々と近づく城壁を前にして、レイはゼロの言葉が頭の中に、自分自身に問い掛けるように響く。
「それとも、警察官っていうのは何の根拠も無しに捜査を始める人たちなのかしら」
確かに、感情論であることに変わりはなかった。
何の根拠もない、このスーツを着ることで少し気が大きくなっていたのもあるかもしれない。
だが、レイの根本は違った。
「だからって放っておけない。あの人たちの話を聞いて心が動かないならそれこそ人間じゃなくなる。警察官もロボットじゃないんだ。0か1かで判断しない、根拠は···これから探っていけばいい」
「···そう」
完璧な返答ではない。
だが、レイの正義感が放ってはおけなかった。
迫害は悪だ。
でもそれは住む''世界''によって常識が変わっていく。
少なくともレイの常識はこの世界では間違っているのだろう。
それでもレイは正義を誓った身であり、正義を実行する立場にある。
今は自分の信念に従って行動するしかなかったのだった。
そうしなければ、自分が自分でなくなってしまうような気がした。
「あなたの考えはわかった。でも忘れないで、いざとなった情けも容赦も一切捨てるの。そうでなかったら、あなたの正義もろとも刈り取られる」
そう言って少し前を歩き始めるゼロ。
この女性は一体今までどんな世界を見てきたのか、レイはわからなかった。
それからは淡々と道を歩いていき、城壁の衛兵に見えない位置で立ち止まり、道場にある草むらに身を潜めた。
「ここまでが限界」
ゼロが茂みから正門を眺めて呟く。
武器を持った衛兵が二人、門の前で業務に当たっていた。
すぐ横の詰め所にも衛兵が数人控えており、前にレイが来た時よりも警備が厳しくなったような印象だった。
「あれだけやったんなら流石に警戒するか」
「ほぼあなたのせいですか」
「城の奴らもバカじゃないわね」
ゼロはレイの肩を叩くと、ついてくるように促す。
茂みに隠れながらクニの右側へまわっていくと人気はまったく無く、徐々に城壁へと近づいていくのだった。
自分たちが影に隠れてしまうほど大きな城壁が、レイたちの前に立ちはだかる。
それでもゼロは何の物怖じもせず、腰に手を当てて城壁の上の切れ目を眺めていた。
「本当に飛び越えられるのか?」
「ええ。あなたと会った日もそうやって入ったもの」
ゼロは城壁から距離を取るように少し離れた。
何をするのかと観察していたレイの前を、一気に走り抜けて壁の目の前で跳び上がるゼロだった。
壁の中腹辺りに飛び付くと、その勢いのまま壁を蹴って更に跳び上がる。
「···すっげ」
呆然とレイは見上げるしかなかった。
ゼロはあっという間に城壁の上へと着地すると、下にいるレイについてくるように促すのだった。
「無茶苦茶言うよ全く···」
レイはゼロと同じように城壁から距離を取ると、同じように城壁に向かって走り、跳んでみた。
するとあのシミュレータールームと同じ感覚で体が跳び上がり、そして壁を蹴ってあっという間に城壁の上へとたどり着くのだった。
元の世界にいるよりも全然体が軽かった。
「初めてにしては上出来ね。そろそろ感覚が慣れてきたかしら?」
「何となく···意味がわかってきたよ」
怪しまれないようすぐに城壁から飛び降りて、街の裏路地に降り立つ二人。
建物の影に隠れながら、人通りの無いその道を突き進んでいくのだった。
歩いていき少し大きな路地に出ると、徐々に見慣れた光景が広がってきた。
道端にある看板や道筋など、追われていた時に見えた景色がレイの前に広がる。
「っていうことは、こっちね」
ゼロもわかっていたのか、あの時来た道を辿るように戻っていくのだった。
「でも、やっぱり異世界っていうのは、こういう西洋風の建物が多いんだな。その、転生者のセンスもあるのかと思うけど」
「そう、ニホン人の感覚だから中の造りがセイヨウの物とは全然違う」
ゼロはそう言いながら、レイに建物の窓から中を見てみるように促す。
予想外の返答にレイは不審に思われないよう歩きながらチラッと窓から中を覗いてみると、食卓を囲みながら食事をしている夫婦、そしてその食卓がある一室の片隅で遊んでいる子どもの姿が見えたのだった。
部屋の角には子どものおもちゃがしまわれている木箱が置かれ、ソファーもある。
「ニホンは食事を行う場所と、家族がくつろぐ場所が一つの部屋にあることが多い。だけど本当のセイヨウ建築は、食事をする場所とくつろぐ場所が別々の部屋に別れてることが多いの」
言われた通り、その路地に並ぶ建物は殆どが食事とくつろぐスペースが一室にまとめられているものが多かった。
見た目だけが西洋風の、日本建築だ。
完全に概念のみで造られているものばかりだった。
「建築物にはコンプレックスが反映されてることがある。あのデカデカと見下ろすように建ってる城も、何か意味があるのかもね」
ふとゼロが城を見上げてそう言う。
レイも見上げた視線の先には、この街のシンボルのように佇む巨城。
その主たる転生者はどのような人物なのか、考えを巡らせてもまずは城に入ることが出来なければお話にならなかった。
「アレじゃないかしら」
気がつくとレイは通路の先を指差していた。
そこには見覚えのある入り口の宿屋が佇んでおり、外壁にある鉄格子の柵からは割れたガラスのある部屋が見える。
さらに近づいて観察していると、建物の裏からその割れたガラスのある部屋の前まで歩いてくる人影が見えたのだった。
「チップさん···」
「シッ」
ゼロに頭を掴まれたレイは、一緒にその外壁の下にしゃがみ込まされる。
「何故です···?」
「シッシッシッ···」
尋ねようとするレイを喋らせないように、ゼロは自分の唇に指を当ててジェスチャーを続けていた。
ゆっくりと頭を上げていくゼロに続いて、レイも同じように鉄格子の下側からこちらの姿が見えないように覗き込んでみた。
するとその先には、獣耳をピクピクとさせながら辺りをキョロキョロと見回しているチップの姿があったのだった。
気のせいかと作業に戻るチップ。
割れた窓の下に手をかざしたと思うと、割れたガラスの破片がゆっくりと庭の芝生の中から宙に浮き始めたのだった。
『魔法···』
チップに聞こえないようにボソッと呟くレイ。
宙に浮いたガラス片はゆっくりとチップの横に置いてあった透明なゴミ袋へと移動すると、中へ落ちていく。
その様子を見ながらいつ話しかけるかとタイミングを見計らっていたレイがゼロを見ると、その視線が別の方に向いていることに気付く。
「チップ!!」
次の瞬間、ゼロの視線の先から怒号が飛んできた。
建物の裏からもう一人、この宿屋の女主人がズカズカとチップに近づいてくる。
「人が足りてないんだから早くしな!トロトロやってんじゃないよまったく!」
「ごめんなさいおば様!も、もう少しで終わりますから!」
「部屋の準備もまだなんだから!···この部屋も使えないんだから札も掛けておきな!」
「は、はい!すぐにやっておきます!」
「私も城のことで忙しいんだよ!ったく」
それだけ伝えた女主人はすぐに建物の裏に引っ込んでいくのだった。
チップはすっかり頭の獣耳も垂れ下がり、口元をキュッと結ぶとガラス片の撤去作業に戻る。
レイはもう見ていられないといった様子でゼロにアイコンタクトを送ると、ゼロは渋々首を縦に振るのだった。
レイは立ち上がると、柵を飛び越えて宿屋の庭の中へと入っていく。
「チップさん」
「お、お客様!」
レイが話し掛けた瞬間、チップは目を見開いて耳をピンと上に立てて気付くと、慌ててレイに近寄ってきて頭の先からつま先まで見回すのだった。
「お、お怪我はありませんでしたか!あの人間の女に何かされたとかは!?一緒にいなくなったから私心配で心配で···!」
今にも泣き出しそうな表情でレイを見つめるチップ。
その様子から、あの後女主人から色々と詰め寄られたのは想像に難くなかった。
「いえ、こちらこそ···窓を壊してしまって。俺は何ともありませんから、逆に色々とご迷惑をお掛けしまして」
「そんなっ、お客様は何も悪くありません。全部あの人間の女が招いたことです!今度会ったら私が!お客様をお守りしますから!」
「ああ···えっと、そうですね。わぁ、頼もしい···」
チップは持っていた箒を勇ましく構えてレイに見せる。
状況が状況なのでレイはどうしたらいいのかわからず、そんなチップとゼロが隠れている外壁に交互に視線を送るのだった。
「それはそうとお客様、今日はどういったご用事で?受付ではなくわざわざこんな中庭まで···」
「それがその···ちょっとチップさんに相談がありまして」
「相談?」
その時、レイの後ろから庭に誰かが降り立つような音がした。
それに気付いたチップが顔を横にズラしてレイの後ろを覗き込んだ瞬間、その表情が変わる。
レイが振り返るよりも速く、チップは険しい表情でレイの脇を抜けてその人物と対峙するのだった。
「またあなたですか!お客様に何の恨みがあるんです!?」
「あー···チップさん。これにはちょっと事情がありまして···」
喉を鳴らしながら箒を構えて威嚇するチップに、ゼロは歩みを止めてめんどくさそうに両手を上に上げ、抵抗しない素振りを見せた。
困惑するチップはレイに視線を向けると、レイは無言で頷きながら構えていた箒を下ろすように先端に手を添える。
「あなたたちは一体···」
「説明させてもらえる時間はあるかしら?」
両手を上げながら首を傾げるゼロ。
戦う意志が無いことがわかったのか、チップもそんなゼロを見て箒を下げ黙って頷く。
「···わかりました。おば様に見つかったら厄介ですので、私の部屋でなら」
「あらそう。わかってくれて嬉しいわ」
やっと両手を下げることができたゼロはチップに歩み寄るが、お互いまだ警戒を解いたわけではない様子だった。
チップに誘導されるがままに、二人はその後をついていく。
案内されたのは、宿屋の敷地内の片隅にひっそり建っている、おおよそ人が住むとは到底思えない木製の粗末な掘っ建て小屋のような建物だった。




