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思わぬ襲撃と勇者の覚悟


 教会の訪問があった翌日。


 ジャンの監視体制が強化された――そう、ホテルの部屋に来たカルラから聞かされた。


「……まさか、あの場であそこまで露見するとはのう。王家としても頭の痛い話だ」


 肩をすくめるカルラ。

 その声音は軽いが、目は笑っていない。


「でも大丈夫ですかねぇ? ジャンくん、なんだか可哀想ですぅ……」


 タマコが不安げに呟く。


「ジャン坊なら平気なんじゃね? あいつ、虫のことしか考えてなさそうだし」


 リリカの軽口に、俺は小さくため息をつく。


『……その虫が問題になっているんだがな』


「でもさ~、昨日のあれ、ちょっと見てみたかったかも」

『面白半分で言うな。あれは一歩間違えれば大事だったんだぞ』


「ヘラクレスの言う通りだ」


 カルラが低く言い添える。


「陛下が場を収めてくださらなければ――最悪、あの場で断罪されておったやもしれん」

「え、そんなヤバかったの!?」


 ようやく事の重さを理解したのか、リリカが目を見開く。


 ――その時だった。


『……そういえば、ムサシの奴はどうした?』

「あやつなら、どこぞで鬱憤を晴らしておるだろうよ」


 カルラの言葉とほぼ同時に。


 ――ドンッ!!


 ホテルの外から、重い衝撃音が響いた。


「……来たか。行くぞ」

「え、わたしたちもですぅ!?」

「他に誰がおる」


 カルラに促され、外へ飛び出す。


 裏庭。

 そこで目にしたのは――圧倒的な光景だった。

 全長二メートルほどに巨大化したムサシが、黒づくめの男たちを一方的に蹂躙していた。


『……遅ぇぞ』


 低く唸る声。

 その強靭な大あごに挟まれた男が、悲鳴を上げる。


「な、何なんだこの化け物は……!」

「なぜ魔物が王都に……!」


 理解が追いつかないまま、まとめて締め上げられる二人。


 力の差は歴然だった。

 抵抗ですら、成立していない。


「そこまでにしておけ、ムサシ」

『……ちっ』


 カルラの一言で、ムサシは興味を失ったように男たちを放り捨てた。


「「ぎゃっ!?」」


 地面に叩きつけられ、悶絶する黒づくめ。

 カルラがゆっくりと歩み寄る。


「さて――話を聞こうか」


 穏やかな声。

 だが、その目は氷のように冷たい。


「大人しく答えれば、命は取らぬ」


 その一言で、場の空気が凍りついた。


「ひっ……」


 黒づくめの男の一人が、思わず後ずさる。


 そこへ。


「何の騒ぎだ?」


 梨香とピルクが駆けつける。


 その姿を見た瞬間――


「ああっ、お前だ! お前を殺せって言われたんだよ、勇者!!」


 男が叫んだ。

 空気が一変する。


「……何ですって?」


 ピルクのこめかみに青筋が浮かぶ。


 だが梨香は、冷静だった。


「真に受けるな。ムサシに歯が立たぬ者が、私を殺せるとは思えん」

「それでも……!」


 なおも食い下がるピルクを、梨香は静かに制した。


「勇者とは、そういうものだ。狙われる覚悟は、とうにできている」

『……梨香』


 その言葉に、俺は息を呑む。


 いつの間にか――ここまでの覚悟を。


 その後の尋問で判明したのは、黒づくめの男たちが王都の教会に属する末端の人間だということだった。


 さらに――


「四日後、勇者リカーシャを招いての祭典がある、か……」


 カルラが低く呟く。


「その前に始末しようとした、というわけですか……!」


 ピルクの怒りが滲む。

 だが。


「落ち着け、ピルク」


 梨香が静かに言った。


「これは、本当にニコラスの差し金だと思うか?」

「……違うと?」

「少なくとも、あの男がこの程度の手を使うとは思えない」


 一同が沈黙する。


「勇者暗殺など露見すれば、王家との全面衝突だ」

「……つまり」

「教会も一枚岩ではない、ということだろう」


 梨香の結論に、カルラも頷いた。


「だろうな。だが――」


 視線が、遠く王都の中心へ向く。


「ニコラスとて、この動きを知らぬはずがない」

「……むしろ」


 ピルクが低く続ける。


「想定内、でしょうね」


 風が吹く。


 どこか祭りの準備の音が、遠くから聞こえてきた。


 だが――その裏で、確実に何かが動いている。


 その夜。

 王都の喧騒はすっかり落ち着き、ホテルの窓の外には静かな灯りが点々と続いていた。


 遠くでは、祭典の準備だろうか。

 かすかに人の声と、木材を打つ音が風に乗って届いてくる。


 そんな中、俺は梨香の部屋にお邪魔してベランダに出ていた。

 夜風が、ひんやりと肌を撫でる。


「……今日は、色々あったね」


 ぽつりと、梨香が呟く。


『ああ。特にあの連中の件はな』


 俺も梨香の手のひらで返事をした。


 昼間の出来事が脳裏に蘇る。


 教会の末端とはいえ、勇者暗殺未遂。


 そして――ジャンのこと。


『梨香』

「ん?」

『昼間のあれ……本当に覚悟はできているのか?』


 あえて、もう一度聞いた。


 あの場では流した言葉。

 だが、父親として見過ごせるものじゃない。


「……うん」


 梨香は少しだけ間を置いて、頷く。


「怖くないって言ったら嘘になるよ。でも――」


 視線を遠くに向けたまま、続けた。


「逃げるつもりはない」


 はっきりとした声だった。


 迷いはある。

 だが、それでも進むと決めている声。


『……そうか』


 それ以上は言えなかった。


 言えば、止めたくなる。

 だが、それはもう許されない。


 俺の娘は――勇者なのだから。


「でもね」


 ふいに、梨香がこちらを見る。


「パパがいてくれるから、頑張れる」

『梨香……』

「だから、そんなに心配しなくていいよ」


 そう言って、柔らかく笑った。


 その笑顔が、逆に胸に刺さる。


 守りたい。

 だが、もう守るだけではいられない。


 そんな葛藤を抱えていた、その時だった。


『……戻ってきたか』


 気配で分かる。

 背後の扉の隙間から。


『よう』


 低い声。

 振り返ると、そこにはムサシがいた。


 身体は通常サイズに戻っているが、その雰囲気はどこか満足げだ。


『……少しは暴れられたみたいだな』

『ああ。だが、あれじゃ足りねぇな』


 ムサシは大あごを物足りなそうに打ち鳴らす。


『雑魚ばっかでよ。歯応えがねぇ』

「もう、あんまり乱暴しちゃダメだよ?」


 梨香が苦笑する。


『乱暴じゃねぇ。あれは向こうから来たんだ』


 悪びれる様子はない。


 ――まあ、そういう奴だ。


 少しの沈黙。

 やがて、俺は本題を切り出した。


『なあ、ムサシ』

『あ?』

『ジャンのこと、どう思う?』


 一瞬だけ、空気が変わる。


 ムサシは腕――いや前脚を組み、わずかに目を細めた。


『気に食わねぇな』


 即答だった。


『ああいう操る力は嫌いだ』

「……やっぱり」


 梨香が小さく呟く。


『虫だろうが何だろうがよ』


 ムサシは続ける。


『自分の意思で動いてこそだろうが』


 低く、はっきりとした言葉。


『誰かの都合で動かされるくらいなら――』


 一瞬、間を置いて。


『噛み殺される方がマシだ』


 静かな夜に、その言葉だけが重く落ちた。


 ――本能の答えだ。


『……そうかもしれないな』


 俺は小さく頷く。

 だが。


『だが、ジャンはどうだ?』


 さらに踏み込む。


『力じゃなくて、あいつ自身は』


 ムサシはしばらく黙っていた。


 考えているのではない。

 感じているのだろう。


 やがて。


『……嫌いじゃねぇ』


 ぽつりと、そう言った。


「え?」


 梨香が目を瞬かせる。


『ビビってたからな』


 短く続ける。


『あれで平然としてやがったら、ぶっ飛ばしてた』

『……なるほどな』


 思わず苦笑が漏れる。


 確かに。

 あの時のジャンは――怯えていた。


『弱ぇけどな』


 ムサシは肩をすくめるように言う。


『だから余計に気に入らねぇ』

「どっちなのそれ……」


 梨香が困ったように笑う。


 だが。


 その言葉の意味は分かる。


 力に振り回されている存在。

 だからこそ、危うい。


『……あいつは、まだ分からん』


 俺は夜空を見上げる。


『危険かもしれんし、そうじゃないかもしれん』


 星が静かに瞬いている。

 何も答えはくれない。


『だが一つだけ言える』

「何?」

『このままじゃ、いずれ何かが起きる』


 確信だった。


 教会。

 王家。

 そしてジャン。


 全てが噛み合いすぎている。


『……祭典、か』


 ムサシが低く呟く。


『ああ』


 その時、遠くで一際大きな音が響いた。


 祭りの準備か。

 それとも――別の何かか。


『……嵐が来るな』


 俺の言葉に、誰も否定しなかった。

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