迷いと疑問
しばしの沈黙。
その静寂を破ったのは、やはりニコラスだった。
「……この力、制御がなされておりませんな」
低く、断定する声。
「いずれ災いとなる。――そう判断せざるを得ません」
場の空気が、再び重く沈む。
――やはり、そこを突いてくるか。
「制御はこれからだ」
間髪入れず、宰相が言葉を返した。
「ジャンはまだ幼い。技術は後からいくらでも磨ける」
一歩も引かない声音。
だがその奥にあるのは、明確な意思。
「――王家の管理下にある以上、問題はない」
父として。
そして、国家の中枢としての答えだった。
ニコラスはわずかに首を傾ける。
「これからで済む話ではありますまい」
一拍。
「すでに、人へ影響が及んだ」
事実だけを、静かに突きつける。
「この時点で――猶予はない」
逃げ道を潰す言葉。
宰相の眉間が、わずかに寄る。
「……あれは偶発的なものだ。ジャンの力が人に作用するなど――」
「あり得ぬ、と?」
ニコラスが、かすかに笑う。
「あり得ぬことが、すでに起きている」
その一言で、議論を切り返す。
――完全に主導権を握っている。
だが。
「――そこまでだ」
低く、重い声が落ちた。
国王だった。
その一声で、場が引き締まる。
「ジャンの処遇は、我ら王家が決める」
視線が、ニコラスへ向けられる。
「教会が踏み込む領分ではない」
明確な線引き。
そして、拒絶。
「……伯父上」
ジャンが、わずかに安堵の息を漏らす。
ニコラスはその様子を一瞥し――やがて、静かに頷いた。
「よろしい」
あっさりと。
だが、その目は笑っていない。
「では――見届けさせていただきます」
一歩、引く。
だがそれは、退却ではない。
「その力が、真に制御されるのか」
あるいは――
「いずれ災いとなるのかを」
静かな宣告。
その言葉を残し、ニコラスは踵を返した。
大聖堂の一行もまた、それに従う。
重い沈黙だけを残して。
やがて扉が閉じられた。
――完全に、空気が変わった。
「あ……はは……」
張り詰めていた糸が切れたように、ジャンがその場に崩れ落ちる。
その身体を、国王が受け止めた。
「安心せよ。我が孫よ」
穏やかな声。
「お前は、我ら王家が守る」
「伯父上……!」
だが、その表情はすぐに引き締まる。
「――しかし」
一言で、空気が変わる。
「今回の件で、教会に目をつけられたのは事実だ」
現実を突きつける声。
それから宰相も付け加える。
「力の扱いには、細心の注意を払え」
「……分かったよ、父上」
小さく頷くジャン。
その肩は、わずかに震えていた。
――ひとまず、この場は収まった。
だが。
『……これは、収まったとは言えんな』
胸の内で、そう呟く。
あの力。
あの視線。
あの言葉。
どれもが――これから先の嵐を、確実に予感させていた。
*
王宮の回廊は、静けさに包まれていた。
高窓から差し込む淡い光が、白い石床に細く伸びている。
先ほどの喧騒が嘘のように、今は足音ひとつ響かない。
その静寂の中を――シェリーは、一人歩いていた。
規則正しい歩み。
だがその足取りは、わずかに迷いを含んでいる。
やがて彼女は足を止めた。
長い回廊の中ほど。
誰もいない空間。
そこで、そっと息を吐く。
「…………」
閉じた瞳の奥に、先ほどの光景が蘇る。
(……あの力)
ジャン・オリンス。
王孫でありながら、異質な力を持つ少年。
あの瞬間、彼は――怯えていた。
支配する側の顔ではなかった。
むしろ逆に、押し潰されそうなほどに震えていた。
(あれが……支配……?)
教会の教えでは、それは明確な禁忌。
意志を塗り潰し、他者を従わせる力。
だが。
(……本当に、それだけなのでしょうか)
ぽつりと、心の奥で疑問が落ちる。
明確な否定ではない。
だが、肯定もできない。
曖昧な揺らぎ。
それが、確かにそこにあった。
――そして。
(ピルク君……)
もう一つの光景が、脳裏に浮かぶ。
怒りを押し殺しきれなかった、あの表情。
強く、真っ直ぐな眼差し。
それは、彼女の知るピルクと何も変わっていなかった。
かつて同じ学び舎で過ごした日々。
誰よりも規律に厳しく、誰よりも信仰に誠実だった少年。
教えを疑うことなど、一度もなかったはずの――
(あの人が……あんな目をするはずが……)
胸の奥が、わずかに軋む。
教会は彼を「堕ちた者」と断じた。
だが、あの瞳は――決して、堕ちた者のそれではなかった。
「…………」
シェリーは、無意識に胸元を押さえる。
鼓動が、ほんの少しだけ早い。
そして、最後に浮かぶのは。
あの人の言葉。
「いずれ災いとなる」
大神官ニコラス。
絶対的な権威。
疑う余地のない、正しさ。
(……正しい)
理屈は理解できる。
むしろ、完全に正論だ。
危険なものは排除する。
それは、世界を守るために必要なこと。
――だが。
(……迷いが、なさすぎる)
その思考に至った瞬間。
シェリー自身が、わずかに目を見開いた。
今、自分は何を考えたのか。
それは――教会の教えに対する、ほんの僅かな疑問。
「……いえ」
小さく首を振る。
否定するように。
だが、その揺らぎは消えない。
消そうとしても、残り続ける。
まるで――心の奥に、何かが引っかかったままのように。
しばしの沈黙。
やがてシェリーは、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、まだ迷いがある。
だが同時に――わずかな決意も宿っていた。
「……見極めなければなりませんわね」
誰に聞かせるでもない、小さな呟き。
それは断言ではなく。
誓いでもなく。
ただ、自分に課した課題。
教会の教えが正しいのか。
あの者たちが誤っているのか。
それとも――そのどちらでもないのか。
静かな回廊に、再び足音が響き始める。
その一歩は、先ほどよりもわずかに重く。
そして――確かに、自分の意思で踏み出されたものだった。




