ジャンの危うさ
程なくして、俺たちは再び国王陛下に呼び出された。
玉座の間。
高い天井に声が吸い込まれるような静寂の中、王は玉座に座している。
その隣には――やせた体躯の男。
腕を組み、鋭い視線でこちらを見下ろしていた。
……宰相、か。
そして。……完全に、説教の空気だな。
誰も口を開かない。
重苦しい沈黙が、場を支配していた。
「王様~、今度はリリカたちになんか用~?」
――ただ一人を除いて。
場違いなほどリリカの軽い声が響く。
宰相の眉が、ぴくりと動いた。
「リリカちゃ~ん! この状況でそれはマズいですよぉ~!」
タマコが慌てて小声で制止する。
「え、そなの?」
きょとんと首をかしげるリリカ。
その様子に、ピルクが深々とため息をついた。
「この空気……どう見てもお叱りでしょう。リリカさんには分からないんですか?」
「いわれてみればそーかも~。てへっ」
ぺろりと舌を出す。
……頼むから、これ以上火に油を注がないでくれ。
ピルクが力なく肩を落とすのを見て、俺はそっと角を下げた。
――すまない。俺の娘が迷惑をかける。
その時。
ゴホン、と。
宰相が咳払いを一つ。
それだけで、場の空気が引き締まる。
「さて――貴殿ら」
低く、よく通る声。
「さしずめ、我が息子の仕業と見受けられるが……」
ゆっくりと、視線がジャンへと向けられる。
「何故、ここに呼ばれたか……理解しているな?」
その言葉に、梨香が一歩前へ出た。
すぐさま膝を折り、頭を垂れる。
「申し訳ございません、宰相様。昆虫の魔物を多数王都へ引き入れ、住民に混乱を招いた件――すべて我々の責任にございます」
静かで、淀みのない謝罪。
さすが勇者、と言うべきか。
「……見事だ、リカーシャ殿」
宰相が小さく頷く。
「やはり貴殿は聡明だ。――我が息子も、これほど物分かりが良ければよいのだがな」
「あはは……」
乾いた笑いを漏らすジャン。
「――なんでジャン坊が反応してんの?」
『リリカ、この流れで分からないのか』
俺は小声で言う。
『ジャンは、おそらく宰相様の息子だ』
「あ~、なるほどー! そーゆーことねっ!」
ぽん、と手を叩くリリカ。
……声がでかい。
そしてもう一つ。
宰相という立場から考えれば――あの男自身も、おそらく王の血を引く。
つまり。
ジャンは、やはり王家の一員。
あの危険な力を持ったまま――だ。
「ジャン」
宰相が名を呼ぶ。
先ほどまでの柔らかさはない。
「昆虫の魔物を多数引き連れ、王都へ侵入させた。――何を考えている?」
問いは短く、鋭い。
だがジャンは、まったく気にした様子もなく肩をすくめた。
「決まってるじゃないか」
にこり、と笑う。
「ぼくの楽園に、彼女たちを迎え入れるためだよ」
「……ショックアントの群れを、か?」
「うん。でも心配いらないよ」
軽い口調で、続ける。
「みんな、ぼくの支配下にあるからね」
その一言。
空気が、わずかに揺れた。
宰相の目が細まる。
「それにさ」
ジャンはさらに言葉を重ねる。
「ショックアントがいなくなれば、あの狩り場――父上たちも自由に使えるようになるでしょ?」
「……それは、そうだが」
宰相が言葉を詰まらせる。
合理性はある。
だが――方法が問題だ。
その時だった。
「よいではないか」
低く、しかしよく響く声。
玉座の上から、国王が口を開いた。
「ジャンも善意で動いたのであろう。ならば咎めるより、まずは労うべきではないか」
「父上……」
宰相が眉をひそめる。
「あなたは、あまりにも甘い。この一件で王都がどれほど混乱したか――」
「その責を負うのが、我ら王家であろう」
静かだが、揺るがぬ声。
宰相の言葉を、正面から受け止める。
「……」
一瞬の沈黙。
やがて宰相は、小さく息を吐いた。
「……承知しました」
完全に納得したわけではない。
だが、これ以上は引かない――そんな態度だ。
こうして。
俺たちは――ひとまず、お咎めなしとなった。
*
静謐な空気が満ちる、白亜の回廊。
磨き上げられた大理石の床に、規則正しく靴音が響く。
「――以上が、王都において確認された一連の騒動の概要にございます」
恭しく頭を垂れる神官の報告に、男はわずかに目を細めた。
長身痩躯。
豊かな白ひげ。
純白の法衣。
胸元に輝く金の聖印。
教会都市ホーリーシティーを統べる――大神官、ニコラス。
「ショックアントの群れ……それも女王個体まで制圧し、なおかつ支配したと?」
「はっ。現地の目撃証言とも一致しております」
「……やはり支配か」
低く、短い呟き。
だがその一言に、場の空気がわずかに沈む。
魔物を討つ者は多い。
だが――魔物を従える者は、限られる。
ましてや。
意志を奪い、従わせるなど。
「フェロモンによる精神干渉、とのことでしたわね」
横に控えていた少女が、静かに口を開いた。
淡い緑の髪に、白い法衣。
年若くとも、その瞳には一点の曇りもない。
聖女見習い、シェリー。
「ええ。昆虫型魔物に対して、絶対的な支配権を確立する能力……と」
報告役の神官が答える。
だがその声には、かすかな躊躇いが滲んでいた。
「……確証はございませんが、人にも影響を及ぼす可能性が」
「……やはりな」
ニコラスの指先が、ぴたりと止まる。
机上の書簡へと視線を落とした。
――王都からの正式報告。
(……市場での観測結果とも一致するな)
『対象:ジャン・オリンス 身分:宰相の子息』
王家の血。
それだけで、扱いは慎重を要する。
だが――
「……対象はジャン・オリンスだけではない、か」
ニコラスは書簡を指で叩く。
「勇者リカーシャ。そして――ヘラクレス」
その名を口にした瞬間、空気がわずかに張り詰めた。
「あの者ら、すでに一度我らの前に立ちはだかっている」
「……はい。報告によれば、教会騎士との衝突も確認されております」
「……そして、観測の結果も出ている」
偶然ではあるまい。
この時期に、この力――
「ニコラス様」
シェリーが一歩、前へ出る。
「その力……全能神ユピウス様の加護とは、明らかに異質に感じますわ」
「……ああ」
即答だった。
神の加護とは、導き。
そして調和。
だが――それは違う。
支配。
意志を塗り潰し、従わせる力。
それは、あまりにも。
人の領分を逸脱している。
「ヘラクレスも、あの場にいたとのことですが……」
ニコラスはわずかに目を細めた。
「あの者は――異質だ」
「異質……ですか」
「力だけではない。あれは、理の外にある」
短く、断じる。
「ゆえに厄介だ」
「放置すれば、いずれ歪みを生むでしょう」
そう言い切りながらも――シェリーの瞳に、ほんのわずかな迷いがよぎった。
(……本当に、それだけなのでしょうか)
ニコラスはしばし沈黙し――やがて、静かに頷く。
「……ああ。やはり看過はできん。――だが想定通り。歪みは制御できるうちに摘むべきだ」
だが。
そこで言葉を切る。
「相手は王家だ。軽々に断罪もできまい」
「では、どのように……?」
「まずは確認だ」
短く、断じる。
ニコラスは踵を返した。
長い法衣が、静かに揺れる。
「王宮へ向かう。名目は――祝福と視察」
「視察、でございますか」
「ああ」
その口元に、わずかな笑み。
だがそれは、温度のないものだった。
「その力が、神の御業か――それとも、異なる何かか」
回廊の先。
光差す大聖堂を、まっすぐに見据える。
「この目で確かめる――あれが人であるかどうかを」
(――そして、駒として使えるかどうかも)
静かな声音。
だが、その決定に揺らぎはない。
――既に、動きは始まっている。




