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フェロモンという名の支配

 突如として現れた異形の女王蟻。


 その圧に、アイゼルが一歩前へ出る。


 ――だが。


「待っていたよ、女王様」


 制止を振り切り、ジャンが歩み出た。


 まるで舞台に上がる役者のように、両手を広げる。


「さあ――どっちのフェロモンが強いか、勝負しようじゃないか」


 その瞬間。


「ギシイイイ!!」


 四匹の兵隊蟻が、地を砕く勢いで跳びかかってきた。


『させるかッ!!』


 俺は踏み込み、角でそのあごを受け止める。


 ――重い!


 激突した瞬間、脚が地面にめり込む。


 他の個体とは比較にならない膂力。


 押し返される……いや、押し潰される……!


『ぐっ……! こいつ、強い……!』


 力を込めて踏ん張るが、じりじりと押し込まれていく。


「ジャン様、お守りしますっ」


 横から割り込んだアイゼルが、鉄の腕で別の一匹を受け止めた。


 ガントレットとあごがぶつかり、鈍い衝撃音が弾ける。


 人の細腕とは思えない膂力だ。


「おっと、兵隊も殺しちゃダメだよ」


 ジャンが、軽い調子で言う。


「あとでそいつらも、ぼくの家来にするんだからね」

「……承知、いたしました」


 一瞬だけ眉を寄せたアイゼルが、すぐに動きを変える。


 叩き潰すのではなく、受け流し、いなし、拘束する動きへ。


「ギシイイイ!!」


 暴れる兵隊蟻を、俺とアイゼルでなんとか押し止める。


 その背後で――ジャンが、女王へと手を差し伸べた。


「きみも楽園(うち)においでよ」

「ギチィ……」


 ぴたり、と。

 女王の動きが止まる。


 ――効いている?


 だが、その沈黙は一瞬だった。


 次の瞬間。

 女王が腹部を持ち上げ――脈打たせる。


 ぶわり、と。


 目に見えぬ圧が空気を震わせた。


「来るぞッ!!」


 直後、周囲の働き蟻が一斉に向きを変える。


 狙いは――ジャン!


「ジャン坊、危ないっ!」


 リリカの声と同時。


 弓弦が鳴る。


 ――ビュンッ!


 放たれた矢が、一直線に群れを貫いた。


 次々と蟻が弾き飛ばされ、ジャンへの道が切り開かれる。


「サンキュー、リリカ! その調子で食い止めてよ!」

「もう、人使い荒すぎなんだけど~!」

「わたしたちも戦うですぅ!」


 タマコが錫杖を振るい、大地が隆起する。


 ピルクの魔法が光を放ち、蟻の動きを縛る。


 ――前線は、持ちこたえている。


「さてと……これで邪魔は入らない」


 ジャンが女王の前で足を止める。

 口元に、不敵な笑み。


「一騎討ちといこうか」


 すぅ、と息を吸い込み――吐き出す。


 その瞬間、空気が変わった。


 甘い匂い。

 だがそれは、ただの香りではない。

 ――支配だ。


 見えないはずのそれが、淡い色を帯びて広がっていく。


 ピンク色の靄が、空間を満たす。


 触れた蟻たちが、ぴたりと動きを止めた。


「ギチィ!!」


 対する女王も、腹部を持ち上げる。


 どくん、どくん、と。


 脈打つたび、濃密な何かが放たれる。


 ――ぶつかる。

 二つの支配が、正面から衝突した。


『うっ……!?』


 頭が揺れる。

 思考がかき乱される。


 アルティアナ様の加護がなければ、意識を持っていかれていた……!


「なんか蟻たちが戸惑ってるですぅ!」

「どちらに従うか、選ばされているのでしょう……!」


 周囲の蟻たちが、右へ左へと揺れる。


 進むことも、逃げることもできず――立ち尽くしている。


「ははっ、いいね……!」


 ジャンが笑う。


「でも――まだ足りない」


 その目が、鋭く光る。


「これでどうだッ! ――ドミネイト・フレグランス!!」


 爆ぜるように。


 ピンクの煙が、一気に膨れ上がった。


 視界が染まる。


 甘い。濃い。重い。


 ――侵食してくる。


 そして。

 煙が、ゆっくりと晴れた。


 そこにいたのは――頭を垂れ、完全に屈服した女王蟻。


「――終わりましたね」


 戦場に、ようやく静けさが戻る。

 さっきまで渦巻いていた殺気が嘘のように消え、残るのは荒れた地面と、動きを止めた蟻たちだけだった。


「ああ。時間を稼いでくれてご苦労様、アイゼル」

「……ありがたき幸せ」


 ジャンに頭を撫でられ、アイゼルが目を細める。


 その仕草は、どこか安心しきった子どものようで――

 ……フェロモンスキルは、虫にしか効かないはずだよな?


「アイゼルさんも嬉しそうですね~」

「愛しの主様に褒められて、ってやつじゃね?」


 タマコとリリカが、ひそひそと囁き合う。


 ……まあ、年頃の女の子らしい反応ではある。


 だが。

 ふらり、と。

 ジャンの体が傾いた。


「ジャン様っ」


 倒れ込むその体を、アイゼルが即座に抱き止める。


 細い体が、ぐったりと力を失っていた。


「あはは……ちょっと、やりすぎたみたいだね」


 いつもの軽さはある。

 だが声に、わずかな掠れが混じっていた。


「ショックアントの女王……さすがに、格が違ったよ」

「……左様でございますか。どうか、ご無理は」


 アイゼルはそのまま、壊れ物でも扱うようにジャンを支える。


 その視線は――どこまでも優しかった。


『あーキツかった!』


 その空気をぶち破るように、ムサシが大顎を振り回す。


『なんだあの匂い! 頭ん中ぐちゃぐちゃになるぞ!』


 がしがしと頭を振る様子からして、相当効いていたらしい。


 ……俺も、だ。


 加護がなければ、どうなっていたか分からない。


 ――それにしても。


 ジャンという少年。

 あれは、強い。

 強すぎる。


 虫にしか効かないから、まだいい。

 だがもし――人間にも通用するようになったら?


 思考を、意思を、丸ごと奪うあの力が。


 ――笑えないな。


「――ヘラクレスっ」

『どうした、リリカ?』


 気づけば、リリカがすぐそばにいた。


 俺の角に肘を乗せ、覗き込むように顔を寄せてくる。


「なんかさ、難しい顔してたよ? リリカに話してみ?」


 俺は小さく首を振る。


『いや、大したことじゃない。考えすぎだ』

「ふーん……」


 一瞬だけ、リリカがじっと俺を見る。


 だがすぐに、いつもの調子に戻った。


「ま、いいけど! でもさ、辛いときはちゃんと頼りなよ?」

『ありがとな、リリカ』


 その時。

 パン、と。

 ジャンが手を叩いた。


「それじゃあ――ショックアントたちを連れて、温室に帰ろうか」

「待て」


 即座にカルラが口を挟む。


「まさか、全て連れ帰るつもりではあるまいな?」

「もちろん」


 ジャンは悪びれもせず、指を一本立てる。


「せっかく手に入れた貴重な昆虫魔物だよ? 使わない手はないでしょ」

「……王都が混乱するぞ」

「そこはほら」


 にやり、と笑う。


「きみのクワガタとヘラクレスで、堂々と護衛してもらえばいい。逆に安心感が出るって」

「余計に騒ぎになると思うが……」


 カルラがため息をつく。

 だが、諦めたように肩をすくめた。


「……よいだろう。――ムサシ、最後に一仕事だ」

「……心得た」


 ムサシが大顎を持ち上げ、低く応じる。


 こうして。俺たちは、女王を含むショックアントの群れを引き連れ――王都へと帰還した。

 ――結果。

 城門前で衛兵が腰を抜かし、市場が大混乱に陥り、住民が悲鳴を上げて逃げ惑うという、ちょっとした騒ぎでは済まない事態になったのは。


 ……まあ、言うまでもない。

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