押し寄せる黒い波
「はわわっ、すごい数ですぅ~!!」
「なんて数の魔物なんだ……!」
四方八方から押し寄せる黒い波。
地面が蠢き、木々がざわめき、空気そのものが重くなる。
ショックアントの大群に、タマコは顔を青ざめさせ、梨香は剣に手をかけて一歩前に出た。
――その時。
「それじゃあ作戦通り、頼むよ!」
ジャンの指が鳴る。
「オーケー、ジャン坊! ――ヘラクレス、よろ~!」
『おう!』
次の瞬間、俺はリリカの胸元から飛び降りた。
『――ギガンティック・ヘラクレス!!』
爆ぜるように魔力が膨張する。
視界が持ち上がり、世界が縮む。
三メートル級へと巨大化した俺は、そのまま地面に叩きつけるように着地した。
ズンッ!!
衝撃が走り、周囲の土が弾け飛ぶ。
「おお!? 巨大化……! 素晴らしい……!」
ジャンの興奮した声が背後で弾けるが――そんなものに構っている余裕はない。
『来るぞ……!』
黒い波が、真正面から押し寄せる。
「ギチギチギチィ!!」
あごを鳴らし、土を蹴り、無数の脚が一斉に迫る。
――数が、異常だ。
『貴様だけに任せてられるか! ――金剛変化!』
横でムサシが跳ね上がる。
二メートル級に巨大化したその姿が、地面に影を落とした。
『壁を作るぞ!』
『無論だ!!』
俺たちは並び立つ。
その瞬間――ぶつかった。
黒い奔流が、俺たちに叩きつけられる。
「ギチィィィ!!」
『――ハリケーン・スラッシュ!!』
俺は角を振り下ろす。
風の刃が一直線に走り、ショックアントをまとめて両断する。
だが――斬っても、斬っても、減らない。
死骸を踏み越え、次が来る。さらに次が来る。
止まらない。
止まらない。
止まらない――!!
「ギチギチギチ!!」
次の瞬間、群れが跳びついた。
脚に。背に。首元に。
無数のあごが食らいつき、毒針が甲殻を叩く。
『くっ……鬱陶しい!』
硬い甲殻は耐える。
だが――関節を狙われればまずい。
『しゃらくせえ!!』
横からムサシが突っ込む。
大顎で一匹を真っ二つにし、そのまま叩きつける。
バキィ!!
さらに踏み潰す。
ぐしゃり、と音がした。
『どけ!!』
俺も角で数匹まとめて挟み込み、そのまま投げ飛ばす。
だが――次の瞬間には、また貼り付いてくる。
数が、暴力だ。
押し潰される。
飲み込まれる。
――その時。
「ヘラクレス、動かないで!!」
鋭い声。
次の瞬間、無数の矢が降り注いだ。
ズドドドドッ!!
俺にまとわりついたショックアントが、一斉に射抜かれて弾け飛ぶ。
『助かった、リリカ!』
「援護は任せて!」
背後では、リリカが次々と矢を放っていた。
「後ろは任せてくださいですぅ!」
振り返れば――
後衛もまた、乱戦だった。
タマコが蔓を伸ばし、ショックアントをまとめて拘束する。
「動かないでくださいですぅ!」
梨香が踏み込み――
「はぁっ!」
聖なる刃で一閃。
まとめて切り伏せる。
ピルクの魔法が炸裂し、地面ごと吹き飛ばす。
カルラは笑っていた。
「カカカッ! 数が多いほど斬り甲斐があるわ!!」
薙刀が唸り、数匹まとめて断ち切られる。
そして――最も異様だったのは。
「害虫は――排除します」
アイゼル。
無表情のまま、一歩踏み出す。
踏む。
砕ける。
殴る。
潰れる。
蹴る。
弾ける。
その一連の動きに、無駄が一切ない。
まるで――掃除でもしているかのように。
次々とショックアントが消えていく。
『……すごいな』
思わず漏れた俺の言葉に、誰も否定できなかった。
――これが、鉄のメイド。
――どれほど斬り伏せただろうか。
荒れた地面には、黒い魔石と黒い体液が散らばり、土の色すら変わっている。
そして。
先に限界を迎えたのは、ショックアントの群れだった。
あれほど押し寄せてきた黒い奔流は、今や十数匹ほどにまで減っている。
包囲の圧も、明らかに鈍い。
――終わりが見えた。
「……ふう」
誰かが、小さく息を吐いたその時だった。
「――みんなご苦労様!」
軽やかな声。
振り返ると、ジャンが手を叩きながら前へ出てくる。
まるで、戦場を観察し終えたかのような足取りだった。
「あとはぼくに任せておくれよ」
その一言に、場の空気がわずかに変わる。
ジャンはゆっくりと息を吸い――ふっ、と吐いた。
次の瞬間。
残っていたショックアントたちの動きが、ぴたりと止まる。
「……なっ!?」
先ほどまであごを鳴らしていた個体が、まるで糸が切れたように静止している。
ジャンはその中の一匹に歩み寄り、迷いなく頭に手を置いた。
「ようこそ――ぼくの楽園へ」
「ギチィ……」
その声は、もはや威嚇ではない。
従属の音だった。
ショックアントは頭を下げ、まるで主にかしずくように動きを止める。
その異様な光景に、誰もが言葉を失った。
「ほう……これがジャンのフェロモンスキルか」
カルラが感心したように呟く。
「なんかウソみたいにおとなしくなったですぅ……!」
「ねー! ジャン坊、一体何したん?」
タマコとリリカが目を丸くする中、ジャンは得意げに指を振った。
「これがぼくのフェロモンスキル。この子たちをぼくのものにしたのさ」
その言い方に、どこか背筋が冷える。
「さすがだな、ジャン」
「ふふーん、もっと褒めていいんだよ? 勇者様っ」
得意満面で胸を張るジャン。
――その前に、すっと影が差し込む。
「これ以上、ジャン様に不用意に近づかないでください」
アイゼルだった。
ジャンの前に立つようにして、静かに告げる。
「ジャン様には、わたくしがいれば十分です」
その声音は穏やか。
だが――拒絶の意思は明確だった。
わずかに張り詰めた空気に、誰も口を挟めない。
「……まあまあ」
そんな空気を崩したのは、当のジャンだった。
「ぼくがすごいのは事実なんだからさ。アイゼルも、そんなに警戒しなくていいよ」
「……ジャン様が、そう仰るのであれば」
アイゼルは一歩引く。
だがその視線は、依然として周囲を牽制していた。
――守るというより、囲い込むような気配。
「もしかして、アイゼルさんって……」
「――間違いないっしょ」
背後でタマコとリリカがひそひそと囁き合う。
……ああ、なるほど。
確かにあれは――分かりやすい。
だが。
その一方で俺は、別のことを考えていた。
ショックアントを従わせたジャン。
その手に触れられた個体は、まるで意思を奪われたように静かだった。
――あれは、本当に支配なのか?
それとも。
もっと別の何か、なのか……。




