24話
さあっと血の気が引いていく。
ふらつきそうになる体。
遠のいていく意識。
ハルバドルの手が、それらを繋ぎ止めてくれていた。
「あかり様、どうか。どうか……。この謎を、解き明かしてほしい……」
「ハルバドル、さん……」
「そして……、本当の世界の敵、を。たおし、て……」
その言葉を最後に力を失い床に落ちかけた手を今度はあかりが掴む。
「ハルバドルさん! しっかりしてください! ハルバドルさん!」
だが、そのときにはすでに、彼女の視線は天井の一点を見つめたまま。
瞬きをする気配もない。
命の灯が消えたことを否が応でも思い知らされる。
訪れる沈黙。
誰もが口を噤んだまま。
未だ見えない答えを探っていた。
「これも、セトの仕業……?」
こんなことをして。
ここまでのことをして。
「セトは一体、何をしているの……?」
あかりは背後に目を向ける。
リューベルクの部屋。
開きかけた扉は、まるで口を開けて獲物を待ち構えているかのように。
「止めないと」
「あかりさん……?」
「このままあいつの好き放題にさせて良い訳がない……!」
「あかりお姉ちゃん……」
「そのためには、リューベルクの力が必要」
立ち上がったあかりは、部屋の前へと辿り着く。
ミリヤとマゴットは、その様子をただ目で追うことしかできなかった。
あかりは開きかけた扉に手をかける。
指先が震えているのが自分でもわかった。
だが、やめるわけにはいかない。
「二人はここで待ってて。私がリューベルクを連れ出してくるから」
小さく呟き、扉を押し開ける。
ギィと軋む音。
視界を蝕むのは黒一色。
音が死んだ空間で、あかりは歩みを進めた。
聞こえてくるのは、自分の心音のみ。
こんな環境では、否が応でも焦点が自分に狭まる。
自分自身に向き合わされる。
これが、自身の影に打ち勝つための試練というものなのか。
そんなことを思いながら。
「(どれくらい進んだんだろう……)」
距離も、過ぎていく時間もわからない。
もはや、自分は歩いているのか。
それさえも疑ってしまうほど。
体が世界に溶けてしまったかのような錯覚に陥る。
そのときだった。
「あかり」
名前を呼ばれた。
振り向くと、そこには。
「リューベルク……?」
こちらに小さく手を振るリューベルクがいた。
「ごめんなさい。わざわざ迎えに来させてしまって」
「ううん、それは大丈夫。むしろ、こっちこそごめん。魔法を使いこなすための大事な試練中だっていうのは知っていたんだけど……」
柔らかい笑みを浮かべている彼女を見て、あかりは意外性を覚えていた。
試練中であるならば、こうして向き合って話すことは難しいかもしれないと思っていたからだ。
「でも、どうしても伝えないといけないと思ったから。今、この国が大変な状態に陥っているの! 影の国が地上に浮上して、聖女たちも来て! 後は、突然現れた影がみんなを襲って────」
「────知っているわ」
彼女は眉一つ動かさずにそう答えた。
「し、知ってたの……?」
「ええ。国そのものが私の魔法の範囲内だもの。何が起きているのかは手に取るようにわかるわ」
「じゃあ、どうして……。途中で試練を中断することはできないとか……?」
「いえ、中断することは可能よ。いつだって、私の意思で」
「えっと……」
「あかりが言いたいことは痛いほどにわかるわ。でもね、こうでもしないと、私は私に勝てないの。勝つ気になれないの」
勝つ気に、なれない。
その言葉を何度も反芻するが、上手く飲み込めない。
「追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて。徹底的に追い詰めないと。私は、私に」
そして、リューベルクはまっすぐにあかりを見据える。
その目は、どう見ても。
勝つ気になれていない者の目では。
「……ねえ、あかり。あかりには覚悟ってある?」
「覚悟……?」
「そう、覚悟。あかりは何のために戦っているの? 何を守りたいの? 何を失いたくないの?」
真っ暗な世界で相対する二人。
その距離は遠のくこともなければ、近付くこともない。
「────何を背負っているの?」
覚悟。
その言葉が、心の中に落ち。
一つ、波紋を起こした。
「そりゃあ……。私は、私を信じてくれる人たちを守りたい、傷付くのを見たくない。その気持ちで、戦ってるよ……。別に間違ってないでしょ……?」
「ええ、もちろん。間違ってなんてないわ。でもね、重要なのはそこじゃないの」
「じゃあ、何が」
「重要なのは、『どうしてそう思ったのか』」
瞬間。
一番始めにあかりの脳裏に浮かんだ記憶。
それは、自分を庇って死んだきょうかの姿。
「協会の仲間が、私を守って殺されたから……。その死を無駄にしないために、私はこのままじゃいけないって。みんなを守れるようにならなくちゃって……」
「なら、守るのは協会の魔女だけで、この国を命を張ってまで守る必要はないんじゃない?」
「いや、それは……」
「東と北が同盟を結んでいるから? 『たったそれだけ』の理由で?」
「……」
「意地悪なこと言ってごめんなさい。でも、その答えを見つけない限り、何度戦ってもあかりはあの子に勝てないわ」
「あの子……?」
「────紫峰ことね」
「っ……!」
そのことまで、リューベルクは知っていたのか。
「あの子は、あかりがこれから魔女として生きていくにあたって、必ず乗り越えないといけない壁。ううん、今のあかりなら、確かに殺せるかもしれない。でも、勝つことまでは絶対にできない」
殺すこと。
勝つこと。
その違いは、何となくわかっていた。
「要は、根っこがしっかりしていないと、すぐに揺らいでしまうということ。大丈夫、できるわ。あかりなら」
「リューベルク……」
「一方で、私の方はその『材料』があるにも関わらず、それを使おうとしていない。先を見るのが怖くて、目を逸らしているのよ」
そうして彼女は静かに顔を俯け。
「だから、追い詰めているの。自分が動かなければ全てが終わってしまうと、覚悟を決めて立ち上がれるように」
「でも、だからってここまではさすがに! だって、ハルバドルさんも殺されちゃったんだよ! それも、味方であるノクスヴェーレに……!」
「そうね、さすがにここまでとは思っていなかったわ。この事態についても、私自身についても。……本当は私だけで解決したかったんだけれど、あかりの力も借りないといけないわね」
「うん、遠慮せずに頼ってよ。わたしにできることなら何でもするつもりだからさ!」
あかりの言葉を聞いて、リューベルクは安心したように目を細める。
だが、その表情には、拭えない憂いが滲んでいるのが見て取れた。
そして、彼女は衝撃的な内容を口にする。
「って、あかりは言ってくれているけれど、あなたはいつまでそうしているつもりなの?────リューベルク」
妙だとは思っていた。
自分のことを語る彼女の口ぶりは、どこか他人のことを話しているように聞こえたから。
立ち上がれない者の目では。
自分に勝つ気になれていない者の目ではなかったから。
ならば、目の前にいる彼女は一体何者なのか。
「(まさか、セト……!?)」
そこで、あかりは耳にする。
先程まで聞こえていなかった音を。
そして。
二人きりだった闇の世界に、三人目が現れる。
否、────彼女は始めからそこにいた。
それは、膝を抱えて啜り泣いているリューベルク。
「何度も言っているように、あなたは私に勝たなくてはいけないわ。いつまでも自分の殻に閉じこもって、泣いている時間はないの」
「ひぐっ……。でも。でも……」
「このままだとあかりに嫌われてしまうかも」
「嫌っ! それも嫌……!」
「その、これは一体……。二人はリューベルクなの……?」
二人のやりとりに困惑するあかり。
まるで、親が言うことを聞かない子を叱っているかのようだ。
本当に彼女はセトなのか、疑問を覚える。
「ええ、私たちは正真正銘、本物のリューベルク・オーガルフェルデンよ」
「えっと。じゃあ二人がここにいるってことは、そこで泣いている方が影ってこと……?」
先程まであかりと話していたリューベルク。
彼女は一つ、ほうと息を吐き出してから、あかりに向き直る。
そして。
「いいえ。リューベルクが勝たないといけない影は────私の方よ」




