18話
「いや……、いやいや! いやいやいやいや!!」
喉が乾く。
手の震えが止まらない。
頬がピクピクと痙攣している。
「一連の事件を引き起こしたのはセトだって言うの!? ありえない、そんなのありえないって……!」
「どうしてありえないの?」
「確かにセトは姿を変えたり、消したりすることができる! でも、影の国に来たのは興味深いから見て回るためって言ってたし! それに、そんなことをするやる気も、度胸だって、とてもあるようには……」
「そう思わされていたとは考えないの?」
「あいつがこんなことを引き起こす理由がないじゃん!」
「理由ならあるよ」
「それは何!?」
思わず怒鳴ってしまったことにハッとする。
それでも、握った拳の力が抜けることはない。
だって、そんなの信じられない。
信じたく、なかったから。
「あの子はとっても友達思いだから」
「答えに、なってないよ……」
「それが、あの子の覚悟なんだろうね」
「覚悟って。そんなの、誰かを守る理由にはなっても。他の誰かを傷付けていい理由にはならないでしょ……」
そんなのあいつと一緒じゃないか。
覚悟覚悟と言って、平気で相手を踏みにじる紫峰ことねと。
そこで、顔を上げたあかりはキッと睨みつける。
「あなただってそう。どんな覚悟があるのかは知らない。でも、世界を終わらせようとするなんて、許されていいはずがないに決まってる!」
だが、彼女は湛えた笑みを微塵も崩さず。
あかりの感情全てを真正面から受け止めて。
「……あかりが言っていることは正しいよ。何一つとして、間違ってない」
「別に、そんな言葉が欲しかったわけじゃない……!」
「でもね、何一つ奪われないようにするためには、奪うしかないんだよ」
「意味わかんない」
『単に命を奪うっていう話じゃないわよ? 相手の主義主張、誇り、信念。そういったこれまでに積み上げてきたもの全てを引っくるめた、『存在そのもの』を否定することができるのかっていう話』
『こうやって踏みにじる覚悟がねえだろ! お前には!! なぁ!?』
ことねの言葉が脳裏に響く。
「意味、わかんないよ……」
「私たちは弱いから。何かを守り続けるためには、他の何かを否定したその重さで自分を縛り付けていくしかないの」
「……」
「きっとね、世界にただ一人だけだったら、覚悟なんて生まれないと思う」
足を止めたままのあかりに、彼女は歩み寄る。
「あかり」
名前を呼ばれる。
そっと、小さい手があかりの手に添えられた。
「辛かったら、他の誰かに委ねてもいいの」
「……」
「────あかりの頼みなら、代わりに私が『あの子』を殺してあげてもいいよ」
それが実際に可能なのか。
そんなことは問題ではなく。
彼女の提案を受け入れてしまうこと。
それが何よりも恐ろしいことだと感じて。
「だめ、それじゃ。きっと、何もかもだめになっちゃう」
「そっか」
「私は諦めたくない。結局、最後には相手を否定することになったのだとしても。分かり合おうとすることだけは。多分、その過程を捨てちゃったら、私は何ていうか」
「うん」
「……空っぽに、なっちゃうような気がする」
添えられた手が離れていく。
幼い手が、自ら。
「あかりなら、そう言うと思ってた」
その様子をただ、あかりは眺めていた。
「そしたら、ここでの私の出番はこれで終わり。楽しかったなぁ、あかりとのお散歩」
気が付けば、二人は影の城の前に来ていた。
「あなたは、これからどうするつもりなの……?」
「世界を終わらせるための、準備をしないと」
「やめてもらうことは、できないの」
「いくらあかりのお願いでも、それだけは聞けないかな。だって、それが私の役割だから。……今もこうして、ここにいられる理由だから」
「そんな……」
「だから、嫌なら止めてよ。あかりが」
「……」
「でも、それはまだ先のお話。それよりも先に、やることがあるでしょう?」
彼女は後ろで手を組んで。
白い歯を見せながら。
「ほら、スェトは待ってるよ、あかりが来るのを。自分の世界を灯してくれる、『あかり』のことを」
そうだ。
確かめに行かないと。
本当に、セトの仕業なのかを。
でも。
「セトは一体どこにいるの……?」
「ふふっ。どこにでもいて、どこにもいないかも」
「え?」
「気が付けるのは、あの子の存在を知っている者だけ」
そうして、彼女は。
赤い瞳を歪めて。
「それでは問題です。────一体誰がスェトスルーダ・ヴァキでしょう?」
「まいか様!」
影の城へと向かう道中。
ことねとまいかは、一人の聖女を目にした。
晴れ渡るような笑顔。
その理由は、彼女の頬を伝う赤。
そして、足元に転がっている3人の亡骸が物語っていた。
「殺しました! 殺してやりましたよ、ノクスヴェーレを! ほら、3人も!」
興奮冷めやらぬ上擦った声で、ノクスヴェーレの死体を指差す。
そのいずれもが、大きく切り裂かれた首筋を手で抑えながら、息絶えていた。
彼女が手にしている短刀からは、今も血が滴り落ちている。
「こいつら、弱かったですよ! こっちの気迫に圧倒されたのか、ぜんっぜん抵抗もしなくて!」
「1人で3人も殺せたのね」
「北の魔女直下軍だっていうから、どれほどかと思ったら! 全く、拍子抜けしちゃいましたよ! あはっ、あはは!」
上気した様子で報告する彼女は気が付いていないようだが。
まいかの言葉から滲んでる疑いに、ことねは気付いていた。
傷一つなく、1人でノクスヴェーレを3人も。
目の前の聖女────さりなは、それだけの実力を有してはいなかったはずだが。
そう。
だからこそ、彼女は。
「……さりな。あなた、ずっと1人で行動していたの?」
さりなは笑顔で答える。
「いやいや。もちろんご命令通り、いつもの3人と行動していましたよ」
「なら、その3人は?」
「え? あぁ、いつの間にかはぐれちゃったみたいですね。でもこの通り、私だけでも十分に役目は果たせてますし、問題ありません!」
今か今かと称賛の言葉を待ちわびている彼女はやはり気が付いていない。
問いかけのその先を。
まいかは何を見ているのかを。
「じゃあ、────それは何?」
答えは自分の足元にあるというのに。
「いや、だから私はノクスヴェーレを……」
「ことね、お前にはあれが何に見える?」
「……」
「何に、見えてる?」
ことねは喉を鳴らした。
視線を逸らしたいのに、まいかの声がそれを許さない。
「答えなさい」
静かで、逃げ場のない声。
その一言だけで、ことねの背筋は強張る。
「ノクスヴェーレじゃ、ない……」
「じゃあ、何?」
「……まい、ありさ、みこと」
瞬間。
さりなの笑顔が、ぴたりと止まった。
「え? 何を、言って……?」
まいかは死体に歩み寄る。
視線で辿った彼女の顔から、血の気が引いていく。
震える瞳に映っていたのは。
「そんな、ことって……」
「あなたが殺したのは、ノクスヴェーレじゃない。────一緒に行動していた『いつもの三人』よ」
さりなはその場に頭を抱えてしゃがみ込む。
「うそ……うそ……そんな……! だって、さっきまで確かにノクスヴェーレだった! 絶対。絶対に、ノクスヴェーレだったのに!! だから、私は……!」
「ええ、そうね。確かに私にも、さっきまでノクスヴェーレに見えていた」
息絶えた仲間の瞼。
苦しみ悶え、見開かれたままのそれを。
まいかは親指でそっと撫でるように閉じてやる。
「認識、操作……!?」
おそらく違うと。
ことねは喉奥で呟いた。
認識操作は高度な魔術であり、離れて行使することは難しい。
となれば、術者はこの近くにいるということになるが。
その存在を。
「(まいかが見過ごすはずはない……)」
ゆっくりと立ち上がるまいかに視線を向けながら。
ことねは未知の恐怖が肌を這いずり回るのを感じた。
何か。
もっと何か。
根本的なところが。
「撤退ね」
ぽつりと落とされた言葉に、ことねは自分の耳を疑った。
「え……?」
「全員に撤退を命じるわ」
「まいか、何を言って────」
「『こんなこと』をされてしまっては、こちら側の戦力が削られてしまうだけ」
「そんな簡単に……」
「全員で躍起になればなるほど、自分たちの首を絞めることになる。これはその類のものね。何より、行使のタイミングがわからなければ、私の力が通用しない」
「じゃあ、諦めろってまいか様は言うんですか!?」
さりなは涙を流しながら言葉を荒げた。
じろりと。
氷点下の眼差しが彼女を射抜く。
「諦める? 誰がいつ、そんなこと言った?」
瞬間。
毛細血管の隅々まで、凍てつくような錯覚。
「魔女を憎むお前たちを束ねる私が? ……誰よりも魔女を憎んでいるこの私がそう言ったと、お前は言うつもりなの?」
「あ……あぁ……」
やがて口元はがくがくと震え出し。
否定する言葉すら出てこない。
近付くまいかの歩調がさりなの心臓の鼓動と重なり。
脈動するたび、まるで心臓に針が突き刺さるように、ちくりと痛みが走っていく。
「心配しなくても、私だけはここに残る」
「まいか様、だけ……?」
「仲間がいないことがわかりきっていれば、躊躇する必要はなくなる。仲間に見えたところで、全員殺してしまっても別に構わないでしょ?」
「確かに、そう。ですけど」
「これは諦めでも、逃げでもない。被害を最小限にして、敵を仕留めるための、確実な方法」
気が付けば。
その頭は、彼女の手によって優しく撫でられていた。
「大丈夫。さりなを、まいを、ありさを、みことを、こんな風にさせた代償は必ず支払わせる」
「うぅ……ぐすっ……」
敵の本拠地に自分一人だけ残って、元凶を討つ。
そんな荒唐無稽な発言にも説得力があるのは。
彼女自身が紛れもない魔法使いだから。
「おそらく相手も狙っているんでしょう。私だけがここに残るのを。いいわ、乗ってあげる」
そして、まだ遠くに見える。
影の城へと目を向けながら。
「────『魔法使い同士』、楽しいお茶会にしましょうね」




