17話
まず最初に感じたのは、腰への軽い痛みだった。
おそらく自分は、硬い場所に仰向けで意識を失っていたのだろう。
だが、頭には不思議と柔らかい感触が広がっている。
枕とも異なるその感触に違和感を覚え。
くぐもった声を出しながら、ゆっくりと瞼を開いた。
ぼやけた視界。
淡い光の中で、まず金色の揺らぎが目に入った。
次に輪郭が形を取り、最後に微笑む少女の顔が現れる。
「(あ、綺麗な女の子……)」
金髪の少女が柔らかな表情で、こちらを覗き込んでいた。
どうやら、彼女に膝枕をされているらしかった。
金髪の少女と言えば、すぐに思い当たるのはミリヤだが。
ミリヤは柔らかな翠色の瞳だ。
対して、彼女は神秘的な緋色の瞳。
その中央には、時空を裂いたかのように特徴的な瞳孔を宿している。
一体誰なのだろう。
「あ、起きた?」
雪の中で春の芽吹きを見つけたときのように、そっと心を温める声色だった。
「会う時はいつも久し振りだね、あかり」
少女は自分のことを知っているようだった。
だが、目が覚めたばかりで覚束ない意識では、上手く記憶を探れない。
「ようやくゆっくり話せる時が来たわ」
「えっと、誰……?」
「あの時は突然こっちに飛ばしちゃってごめんなさい」
飛ばす。
こっちに────飛ばす……?
『────久し振りだね、あかり。元気にしてた?』
『ゆっくり話せないのは残念だけど……ってそんなに怯えなくても、命なんて取らないよ。ただ、みんなが手を取り合うためのお手伝いをしてもらおうと思って。ねえ、少しくらいいいでしょう?』
どくんと、心臓が大きく音を立てる。
その勢いを利用するかのようにあかりは跳ね起きた。
「西の魔女と一緒にいた女の子……!?」
「ふふっ、ようやく思い出してくれた」
咄嗟に身構えるあかりに対し、手で口元を抑えてくすりと笑う少女。
どうして彼女がこの場所に。
そもそもこの場所はどこだ。
見回すと、どうやらここは特区内。
自分が横になっていたのはその中に設けられたベンチだった。
だが、違和感。
周囲は暗く、降り積もっていたはずの雪は一切消え失せている。
ここは本当に自分の知る影の国なのだろうか。
いずれにせよ、自分が移動させられたのは確かだ。
意識を失う前、こんなところにはいなかった。
そうだ。
自分はことねと戦っていたはず。
その最中、突然視界が閃光で埋め尽くされた。
おそらくは、彼女の雷撃を浴びたのだろう。
そこで、あかりは自分の体を見下ろした。
予想はおそらく当たっている。
服がところどころ焼け焦げていたからだ。
そして、最も目につくのは、大きく剥き出しになった腹部。
そして、同程度の範囲が背中にも。
ここからわかること。
それは。
「(貫通、したってことだよね……)」
だが、どういうわけか。
そこから覗く肌の全てには傷一つない。
そんなわけが。
これほどの怪我を負って、生きていられるわけが。
「もしかして、あなたが治してくれたの……?」
「ううん、違うよ。私が来たときには、もうその傷は治ってた。治したのはあかり自身の力」
「私、自身の……?」
となれば、これは時の魔法によるものか。
無意識に発動した……?
だが、体に負荷はかかっていない。
得体の知れない恐怖が背筋を撫でていく。
「魔法じゃないよ」
あかりが心の中で抱えた疑問を察してか、少女は静かに答えた。
「それだけの魔力をあかりはもうすでに持ってるんだよ」
前に聞いたことがある。
莫大な魔力を抱えた魔女は死に至るほどの傷を負っても、魔力で自然に癒えていくと。
「いやいや、そんなはずない! だって、そんな魔力はちっとも自分からは感じないし……」
「それはそうよ、魔力はあかりの内側に留まっているんだもの。普段から外に溢れ出ていたら、落ち着いてお茶をすることもできないわ」
「内側?」
「一気に放出してみれば、魔力の多さを実感できると思うけど。今のあかりは、蛇口が締まりかけている状態だから無理もないよ」
少女が言っていることは、いまいち頭に入ってこない。
眉間に皺を寄せ、理解しようと考え込む。
そんなあかりを見て、少女の笑みがより一層柔らかくなる。
そして、宙に浮かべた人差し指の先をあかりに向けて。
真一文字に横へと払った。
「な、何……!?」
「ちょっと蛇口を緩めてあげたの。頑張っているあかりへのご褒美ってところかな」
「えっと。ありが、とう……?」
「後はこの前のお詫びも兼ねてね」
足を揺らしながら、悪戯っぽい笑みを浮かべてこちらを見上げる。
お詫びというのはおそらく、あかりを日本からこちらへ飛ばしたことを言っているのだろうが。
それにしても。
「……どうして、私のことを知っているの?」
どうにも自分には彼女と会った記憶はない。
一方的に知られていたというのか。
いや、彼女は西の魔女と協会を訪れたときも『久し振り』と言ってきた。
だとすれば、過去に面識があったと考えるべきだろう。
「────あなたは、夢で会ってた女の子なの?」
気付けば、そう尋ねていた。
真実を知ることの恐れか、後悔によるものか。
何かが首に巻き付いているような錯覚を覚え、途端に息が苦しくなる。
リューベルクは西の魔女と協力関係にある彼女が夢消失の犯人だと言っていた。
セトはそれを、夢で会ったあの子によるものと言っていた。
となれば、自ずと答えは一つへと繋がってしまう。
だが。
「違うよ」
一言。
彼女は否定した。
弛緩していく体。
体に広がっていくそれは、安堵だったのかもしれない。
だが、となれば。
「じゃあ、私は一体何者なのか」
あかりの疑問を先取りする少女。
気付けば、立ち上がってあかりの真横まで来ていた。
「もちろん教えてあげるよ。教えてあげるんだけど……」
言いかけて、彼女はあかりの肌を指でなぞりあげる。
突然の行動の意図を掴めず。
そして、そのくすぐったさに、思わず身を引いてしまう。
「そんなボロボロの服装じゃ、お話に集中できないでしょう?」
「え……?」
見れば、穴が空いていたはずの服が元通りになっていた。
何度自分で触れてみても、繋ぎ目の一つもない。
彼女の魔術によるものだろうが。
あかりが気になっていたのはそこではなかった。
「どうして、ここまでしてくれるの……?」
敵意は一切感じられない。
世界を終わらせようとしている存在だとはとても思えなかった。
それどころか、まるで。
彼女の様子は親しい友人と接しているときのようなそれで。
困惑しているあかりを見て、少女は目を細める。
その表情には、言葉にならない何かが一瞬だけ揺れた気がした。
そして、あかりの隣を通り過ぎ。
ふわりと。
踊るように振り返った。
「だって、あかりは私の大切なお友達だもの」
「え……?」
その動作はまるで、舞い落ちる白雪のように自然で。
どういうわけか、────胸が締め付けられるような切なさを与えてきた。
「少し散歩しながら、お話しましょうか」
「私の名前は、ツグェルガルオーネっていうんだ」
「ツグ……何?」
「ツグェ」
「ツゲ」
「「……」」
「ふふっ」
「ご、ごめん」
「言い難かったら、ツグちゃんって呼んで。むしろ、そっちの方が嬉しいな」
「ツグちゃん」
「はい」
誰もいない影の国を二人で歩く。
生命の気配が一切しない。
静寂。
まるで、別の世界に来てしまったかのような、奇妙な感覚に襲われていた。
「この場所って、一体どこなの?」
「ここはね、影の国だよ」
「いや、それは見ればわかるけど……。じゃあ、どうして私たち以外誰もいないの?」
「それはここが、もう一つの影の国だから」
「えーと……」
「一回死んじゃって、目が覚めたときには違う場所だなんて。まるであれみたいでしょう?」
「あれ……?」
「ほら、今流行りの異世界転生っていうやつ?」
意外な知識に、思わず足を止めて目をぱちくりとさせるあかり。
その反応を見て、頬に指を当てながら、首を傾げるツグちゃん。
そして、次の彼女の一言は、あかりにさらなる衝撃を与えた。
「あれ? 今の流行りはそれだって、スェトから聞いたんだけどなぁ」
「セト……。ん!? セト!? ちょっと待って、それってもしかして!?」
「ちーとすきるっていうのがいいんでしょう?」
「そっちじゃなくて! ツグちゃんが言ってるセトって、あの眠そうな目をした……」
「スェトスルーダ・ヴァキだけど」
「し、知り合いなの!?」
「うん。自分の体を取り戻したって聞いたから、おめでとうって言いに行ったの。スェトとお友達だと、何かだめだった?」
「別にだめとかじゃないんだけど……、えぇ……?」
予想外すぎる展開に、めまいがした。
名前を聞けば、満面の笑みでダブルピースをしているセトの姿が思い浮かぶ。
「ってことは、セトはまだこの国にいるんだ……」
数々の事件が巻き起こっているこの影の国に。
全く、のんきにも程がある。
国を見て回っている場合じゃないだろうに。
「いるというか、なんというか」
歯切れが悪くなった彼女に視線を向ける。
「もしかして、この国でも怠惰な生活を送ってるの?」
「うーん。まあ、あかりも勘付いているみたいだし、教えてあげてもいいかな」
「……?」
「それに、あの子の目的はそこじゃないしね」
「一体、何を言ってるの……? 私は何に勘付いているって……」
震える声で尋ねたあかりから離れ。
彼女は大きく手を広げて空を見上げながら回りだす。
「この国で起きている事件の数々。それについて、あかりはどう思ってる?」
「え、事件……?」
突然、関係ない話を始めたように見えた。
「どうして、この国のお偉いさんたちは殺されちゃったのかな?」
「何を……」
「学院。教団。商会。北の魔女がいない隙を狙って、それぞれの単なる勢力争い? でも、だとしたら、どうしてこの国の魔女たちはその勢力の正体に気が付いていないのかな? みんなに自分たちの強さを示さないと意味がないはずなのに」
「何を、言って……」
そう言いながらも、あかりは気付いていた。
彼女の話は始めから繋がっていたことに。
一つの方向へと進んでいることに。
「いるじゃない。誰にもバレずに全てを一人で行えて、なおかつ、誰かに罪をなすりつけることができる魔女が」
自分が目を背けていた疑惑が、確信へと色づいていく。
「────その黒幕の正体を、あかりはよく知っているはずだよ」




