7話
「────失敗したわ」
一言だった。
魔法を使いこなすために、部屋にこもって彼女が挑戦していたという試練。
内容は『自身の影』に打ち勝つことだとハルバドルは言っていた。
期待に胸を膨らませて城に辿り着き。
結果を尋ねたあかりの耳に届いたのは、あまりにも静かな敗北宣言だった。
「私がいなかった間に何があったのかはハルから聞いたわ」
どんな言葉をかけるべきか。
探しても答えは見つからないまま。
沈黙だけが時間を押し流していく。
あかりは後悔していた。
どうしてこの結果を想定できなかったのか。
当然、彼女なら。
リューベルクなら、乗り越えるものと思っていた。
いや、それは言い訳だ。
「今のところ国内でシュトラープケの存在は確認できないの。どこかに隠れているのでしょうね」
彼女を慰めるための言葉を用意しなければ。
そう思いながら、彼女の隣に立っているハルバドルの顔を見る。
彼女もまた、あかりと同じように浮かない表情をしていた。
「……気を遣わせてしまっているみたいね。ごめんなさい、あかり」
そう言って、困ったように笑うリューベルク。
窓から差し込む光が、彼女の横顔を淡く縁取っていた。
「ううん、そんなことないよ。帰ってきてくれてよかった。えっと、その……」
「ふふっ、私のことなら大丈夫よ」
「……」
「落ち込んでいる暇はないもの。今、できることをやらないと」
「そう、だよね」
彼女は強い。
もちろん、そう見せている部分もあるとはいえ。
これが、北の魔女。
果たして、先天的なものか。後天的なものなのか。
いずれにせよ、自分とは根本的に違う気がした。
同じ年齢だとは思えないほどの覚悟と気高さがあった。
そして、やはり『自分の影』に負けたとも思えなかった。
影とは、自分が否定し、押し込めてきた人格の側面だという。
理解できているというわけではないが。
今の彼女でも打ち勝てないというのであれば、それはどれほどのものに。
そんなものが、今も彼女の中に。
「この事態を解決するためには、あかりにも協力してもらいたいの」
「うん、それはもちろんだよ! 私にできることなら、なんでもするつもり。この国がめちゃくちゃになるのは、見過ごせないから……」
「その言葉が聞けて安心したわ。今、この国で魔法が使えるのはあかりと私だけ。つまり、私たちが要なのよ」
「でも、私も使いこなせていないんだよね。リューベルクの足元にも及ばないよ……」
「────なら、この戦いで使えるようになって」
伏し目がちに答えるあかりに対し、強く言い放つリューベルク。
どん、と背中を強く押されるような錯覚を覚えた。
「この先の戦いで、守りたいものを守るために」
「この先の戦い……」
それは、3年後の西の魔女たちとの戦いのことを言っているのだろう。
彼女らの実力はあかりにとって未知数だ。
だが、犠牲を出さないためにも、魔法を使いこなせるようにならなければという意識は当然あった。
そうなると。
「……私も試練を乗り越えないといけないのかな」
リューベルクが失敗したという魔法を使いこなすための試練。
もしもそれが、自分にもあるのだとしたら。
彼女と全く同じものではないとは思うが。
想像するだけで、体がこわばる。
「いいえ、あかりは自分の魔法を初めから使いこなせているもの」
「え……?」
予想外の返答に、困惑する。
「だから、あとは意識の問題」
「それってどういう……。というか、どうしてそんなことがわかるの……?」
「わかるわ。……いえ、『私だから』わかるのかもしれないわね。同じく魔法を使えはするけど、使いこなせてはいない、私だから」
「リューベルクとは違うってこと?」
「どちらかといえば、魔法使いの中では私の方がイレギュラーな出自なの。まあ、それはここでは重要ではないから置いておくとして」
彼女は話題を切るように机を指先でとんと叩いた。
「試練は何度でも挑めるのだけれど、その間こんな状況に陥っているこの国を放って置くわけにはいかない。再び挑むのはこの収拾がついてからになるわ」
「……教えて、私はこれから何をすればいい? 何をすれば、あなたの力になれる?」
彼女の長い睫毛が揺れる。
そこには何某かの感情を含んでいるようにあかりは感じた。
「とりあえずは、ゆっくり休んで。色々あって、疲れたでしょう? 逆に私はほら、むしろ無駄にゆっくり休みすぎちゃってるから」
困ったように笑う彼女の表情を見て、胸が詰まり、涙が込み上げてきそうになる。
「そんなことないでしょ……。リューベルクだって……」
「大丈夫よ、後は私に任せて!」
「リューベルク……」
「この国が地上に浮上したからには、相手も本格的に動き出してくると思うわ」
「だったら、なおさら休んでいる暇なんて……」
「あかりはあかりの役割のために備えるの」
「私の役割……?」
それについて、詳しく聞こうとしたとき、彼女はぱんと両手を合わせた。
「はい! お話はもうおしまいにしないと! 私はこれからやらないといけないことが盛り沢山だから」
そう言われてしまったら、あかりにはもう何も言えない。
口の奥に残った言葉だけが、苦みを残して喉奥へと沈んでいった。
「すごい料理の数々……」
次々に運ばれてくる料理を見て、あかりは感嘆の声をあげた。
特区内に設けられた視察団の宿泊施設へと城で調理された料理が配達されている。
この情勢の中では、影の国主催の歓迎会を開いている場合ではない。
そのため、リューベルクが気を遣い、せめて視察団内で楽しめるようにと取り計らってくれたのだ。
量もさながら、そのいずれもが高級食材であることは、素人目からしても明らかだった。
普段は城で働いている魔女たちによっててきぱきと手際よく机の上に置かれていく料理たち。
手伝おうと声を掛けてみたが、返って時間がかかると断られてしまった。
「悪くない」
その様子を見ながら、部屋の隅で腕を組み、難しい顔をして一人頷いているなな。
ベテランの現場監督かと見紛うほどの貫禄だ。
こんな状況なのに平常運転すぎるだろ。
いや、それも仕方のないことか。
元々、東と北は関わりを持ってこなかった。
むしろ、自分が北側と関わりを持ちすぎたのだ。
この状況を自分事のように捉えて、気分が沈んでしまうほどに。
そのことに全く後悔はない。
むしろ、繋がれたことに嬉しさを覚えている自分がいた。
「またさらに成長したみたいね」
「まり!」
手を上げて、微笑みながら歩み寄ってきたのはまりだった。
二人並んで階段に腰を掛け、料理が運ばれていく様子をぼんやりと眺めながら。
「こっちでもいろんな経験をしたのかしら」
「うん、いろんなことを知った。楽しいことも辛いこともいっぱいあったよ」
「そうなのね」
「海外行くとさ、自分の価値観が変わるっていうじゃん」
「うんうん、よく言うわよね」
「まあ、そこまでは言わないんだけどさ。なんというか、自分の考えの芯みたいなものが固まったような気がするな」
「ぜひ聞かせてもらえる?」
「一番はね、繋がりは大切したいって思ったかな」
「繋がり?」
「そう、繋がり。意図して築いた繋がりもあれば、偶然築いた繋がりもある。でも、どんなものだとしても、その一つ一つに真剣に向き合いたい。蔑ろにしたくないって思ったんだ」
「……それはどうして?」
あかりは膝を抱える。
「……怖かったから、かな」
「怖かった?」
「うん。繋がりって嬉しいのに、同じくらい怖いんだよ。誰かと関わるってその人の痛みも、弱さも背負うことになるでしょ。自分のせいで誰かが傷付くかもしれないし……、逆に誰かの言葉ひとつで、自分が簡単に揺らいじゃうことともあるから」
まりは黙って話を聞いていた。
「でもね、こっちに来て色んな魔女と出会って、それでも繋がりたいって思った。怖さよりも嬉しさのほうが大きかったから。誰かと一緒に笑ったり、泣いたり、怒ったりできるって、すごいことなんだって気が付いたんだ」
少し照れたように笑う。
「それに、繋がりを大事にしたいって思える自分になれたのが、なんか嬉しかったんだよね」
まりはその言葉を聞いて、ふっと目を細めた。
「……強くなったわね、本当に」
「ううん、まだ全然だよ。今日、リューベルクを見て思った。でも、強くなりたいって思えるようにはなったよ」
「それは、強さの一番大事な部分よ」
まりはそう言って、あかりの頭にそっと手を置いた。
優しく、でも確かに支えるような手つきで。
「……挫けそうなときもあったけど、その度にまりの言葉に支えられたんだ。今だってそう」
「私の?」
「そうだよ。私は、私を助けて死んでしまったきょうかのためにも、前を向いてそれに見合うだけの行動を取らないとって。きょうかの死が無駄じゃないことを証明しないとって」
「あかり……」
頭を撫でる手は頬へと添えられる。
「……確かにそれを言ったのは私。だけど、無茶はしないでね、お願いだから」
「もちろん。戦略的撤退も大切だもんね!」
「約束よ?」
「うん、約束」
こつんとお互いの額を合わせる。
そうして、顔を離してから深呼吸をする。
いつの間にか料理を並び終えたようで、城の魔女たちの姿は見えなくなっていた。
漂う美味しそうな匂いに、くうとあかりのお腹が鳴った。
「あら」
「あはは、お昼結構食べたのにな」
瞬間、背後に何者かの気配を感じる。
ハッとしたあかりはお腹を抑えたが。
時すでに遅し。
恐る恐る見上げると、仁王立ちしたななが。
あかりの背後から口元だけをにやけさせて見下ろしていた。
「……やっぱり、あかり『が』食いしん坊だね」
「わかったわかった! もういいからそれで! というか、どんだけ自分は違うって否定したいの!?」




