6話
「やつがどうやって学院に侵入したのかは置いておくにしてもだ。そもそもがおかしいとは思わないか?」
バルロットは背もたれに深く寄りかかった。
「ユースティア・ミスリットは日常的にあのマスクを被っている。だとしたら、髪なんて落ちるものなのか」
「……言われてみれば、確かに。先生の髪を見たのは、あのマスクを外してからでしたし」
「なら、どうして殺害現場にそれが落ちていたとノクスヴェーレは思い込んでいたんだろうな」
「シュトラープケがそう仕向けさせていた……?」
「その目的は何だ」
「やっぱり、犯行を偽装するとかですかね?」
「……こんな中途半端で、バレるような真似をするか? 教団を一撃で消し飛ばせるようなやつがだぞ」
あかりは腕を組んで考えてみるが、そこから先の答えは出てこなかった。
確かな違和感を覚えはするが、掴もうとする手は空を切るばかり。
もどかしさで体がむず痒くなるような錯覚がした。
「ここから先はあくまで俺の予想だが……やつはあえて残したんじゃねえか」
「あえて残した……」
『真犯人が「あえて残した」という感じがするのだ』
はるなもユースティアをそう言っていたことを思い出す。
「そうなると、だ。俺の実家をあいつが訪れたのも、襲ったのも、ミリヤ・スティールフォーレを狙ってじゃなく、別の目的があったような気がしてならねえんだよ」
びくりとミリヤの体が反応した。
「……そうだとしたら、俺はお前たちにどうやって償えばいいんだろうな」
立ち上がりながら呟いたバルロット。
机の上に広げた手からは、数枚の紙幣が。
それは、ここにいる全員が食べる料理の金額を考慮しても半分以上余る程だ。
「どこに行くんですか?」
「俺がいたんじゃ、落ち着いて食事もできないだろ」
「というか、奢るにしてもだいぶ多い気がするんですけど……」
「金額については気にするな。邪魔した分だ」
結局何も食べないまま立ち去っていくバルロット。
その背中を見つめながら、あかりは彼女がここに来た目的を考えていた。
相談? 違うような気がした。
助言? それも違うような。
謝罪? そうとも思えない。
だが、これまでの彼女とは決定的に異なる何かを感じた。
「な……さぃ……」
そこで、小さくか細い声を耳にする。
「……マゴちゃん?」
見れば、マゴットの様子がおかしい。
自分の膝元を見つめたまま、小刻みに震えている。
何かを繰り返し呟いているようだった。
耳を澄ませると。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「マゴちゃん!」
あかりは彼女に強く呼びかけ、手を握る。
こちらを見上げた顔を見て、息を呑んだ。
目の焦点が合っていない。
涙に塗れたその瞳は、小刻みに揺れながら。
あかりのことを見ているようで、見ていない。
「大丈夫! 大丈夫だから!」
強く抱きしめ、自分はここにいると身を持って伝える。
最近ようやく安定してきたと思っていたのに……。
バルロットと会ったからだ。
彼女に言われた言葉が、呪いのように蝕み続けているのだろう。
「ごめんなさいごめんなさい。生きていて……ごめんなさい……」
「違う! お父さんもお母さんもマゴちゃんに生きていてほしいと思ってた! 私だってそう!」
「あかりさん……」
「マゴちゃんに生きていてほしいんだよ……」
「離して、ください……」
「離さないよ」
「離してください!!」
突然声を荒らげ、突き飛ばされるあかり。
机の足に背中を打ち付ける。
今までに見たことがないマゴットの姿にミリヤは言葉を失って立ち尽くしていた。
「近寄らないでください」
「どうして」
「あかりさんが、私にとって大切な方だからです」
「もしかして、自分のせいで私が死ぬと思ってる? だから遠ざけようとしているの?」
再び近付こうとするあかりに対し、マゴットは卓上のカトラリーケースからナイフを取り出して突きつけた。
「私は死なないよ」
「口だけなら、どうとだって……」
「死なないよ」
それでも歩みを進めるあかりに逡巡するマゴット。
どうすれば止まってくれる。
考えた末に彼女は自らの首筋にナイフを当てる。
だが。
『てめえは一生この罪を背負っていけ』
ああ、そうだ。
自殺など許されない。
自らの手で終わらせて楽になることなど。
だって、自分はそれだけのことをしたのだから。
そう思った途端、手からナイフがこぼれ落ちた。
力が抜けていく体をあかりが優しく抱きとめる。
「……こんな気持ちをまた味わうことになるかもしれないのなら、一人がいいです」
「マゴちゃん……」
「もう、失いたくないんです……」
溢れ出る彼女の涙を拭う。
「そうだね、失いたくない。私も同じだよ」
「うぅ……」
「一人でいれば、失わない。確かにそうだと思う。でも、私たちはもう繋がっちゃったんだよ。この意味がわかる?」
「……」
「そうやってマゴちゃんがいなくなったら、マゴちゃんを失ったら、今度は私たちが後悔する。そのことに気が付かないマゴちゃんじゃないでしょ? 自分の辛い気持ちを相手にも背負わせようとするマゴちゃんじゃないでしょ?」
「怖いんです。私は怖いんですよ、あかりさん……」
「私も怖い。みんな怖い。だから、立ち向かうの。みんなで立ち向かうの。これ以上失わないために。そして、いっぱい幸せを得るために。私はまだまだマゴちゃんとやりたいことがたくさんあるんだよ」
「そんなの、私だって……」
「一緒にいろんなところに行きたい。一緒に遊びたい。一緒に笑いたい」
「そんなの、私だって……!」
「それに、約束したじゃない。私とマゴちゃんが、ミリヤちゃんに日本を案内してあげるって」
「約束、しましたっ……!」
抱きしめあった二人の体が揺れる。
その正体はミリヤだった。
二人の体に腕を回し、震える声で。
「私だって、二人に案内してほしいよっ……!」
ミリヤの頬にも涙が伝っていた。
その涙を見た瞬間、マゴットの胸の奥で何かがほどけた。
離れたくない。
そう気付いた瞬間、彼女の目に光が戻り、さらに涙が溢れてくる。
「ミリヤさん……」
強く。
「お二人は、いなくならないでくださいね」
「うん、みんなで約束だよ」
「約束の、約束だからね!」
強く。
三人の腕が絡み合い、ほどけないほど強く抱きしめ合う。
その温もりがこれまでの痛みも、恐怖も、孤独も、全て溶かしていくようだった。
────この瞬間、三人の絆が確かに結ばれた。
運ばれてきた料理を人が変わったように貪る三人。
そこには、当初の深く沈んだ空気はどこにもなかった。
「えへへ。思いっきり泣いたらお腹が空いちゃいました」
ちーんと鼻をかんでから、フォークに刺したハンバーグを頬張るマゴット。
だが、初めてこのレストランを訪れたときにように、大量には頼んでいない。
「知っていますかミリヤさん! 自分が食べられる以上の量を頼むことはお店に失礼なんですよ! それにお金の無駄遣いなんです!」
「うん、ずっと前から知ってるよ……。というか、マゴちゃんだけには言われたくないかも……」
ごくごく当たり前のことを先輩風を吹かせながら説明するマゴット。
とりあえずのところは、持ち直したといっていいのだろうか。
とはいえ、気がかりなのは、バルロットとの関係性だ。
これまで家族に自分の借金の利子を支払わせていたこと。
そして、ミリヤを連れてきたことが家族の殺害に繋がったこと。
傷口はまだ塞がっていない。
これは応急処置だ。
根本的な解決にはなっていない。
おそらくは、彼女とまた会ってしまえば……。
「はい、そうです。こんな当たり前のことにも、私は気が付いていませんでした」
その声は低く、小さい。
だが。
「こうして家族を失って、初めて気が付いたんです。家族が気付かせてくれたんです」
────前を向いていた。
「私、借金を返済します。返済して、もうこれまでの自分じゃないって。成長したっていうところを、天国にいるみんなに教えてあげるんです」
彼女は変わろうとしている。
傷を背負っても、前に進むという覚悟をしている。
バルロットとの関係性の修復は一筋縄じゃいかない。
けれども、彼女は両の足で立っている。
この地に足をつけて。
進むべき前を見据えて。
なら、きっと大丈夫。
何度挫けたって大丈夫。
だって。
「私たちもいるからね」
「あかりさん……」
「私たちは家族、でしょ?」
「そうだよ! マゴちゃん!」
「はい……! はい! セトさんも含めて、みんな私の家族です!」
「まあ、あいつは今何やってるんだか知らないけどね……」
それはともかく、とあかりは咳払いをする。
「おかえり、マゴちゃん」
「マゴット・ハルトローベ! ただいま戻りました!」
立ち上がり、きりっとした真剣な表情で敬礼をするマゴット。
野太い声を出そうと頑張っている。
その可笑しさにあかりとミリヤは顔を見合わせ。
吹き出して。
ひとしきり笑った後。
飲み物に口をつけて。
そこで、ようやく世界の音が耳に入ってくる。
世界に意識が向けられる余裕をもったということだろう。
店内にはラジオが流れていたことに気が付いた。
「速報! 速報です!」
聞こえてきたのは、焦燥に駆られたパーソナリティの声。
最近の情勢は目まぐるしく変化している。
耳を傾けなければと、飲み止しのコップを机に置いた。
深呼吸をして心を落ち着けるあかりだったが。
すぐに再び騒ぎ立てることになる。
なぜなら、その内容は。
「────体調不良だったリューベルク様が、長い沈黙を破って、ついに城内に姿をお見せになったとのことです!」
からんと、コップの中の氷が溶ける音がした。




