第7話:『破裂の予兆』
「ヒィィッ……あんな化け物、無理だ、勝てるわけがない……!」
ガタガタと歯の根を合わす遠藤の背中を、湊は入り口のガラス扉へと強めに押し込んだ。
「いいから黙ってドアを押さえててくれ。外から別のやつが入ってきたら、あんたが真っ先に食われるぞ」
「わ、分かった……! 分かったから、早くしてくれ……!」
遠藤は渡されたバールを胸の前に抱え込み、青ざめた顔で周囲をキョロキョロと見回しながら、自動ドアの隙間に体をねじ込んだ。腰が完全に引けているが、逃げ出さずにドアを塞ぐ盾くらいにはなるだろう。
湊は息を殺し、コンビニの薄暗い通路へと足を踏み入れた。
床には割れた清涼飲料水のペットボトルや、踏み荒らされたカップ麺の乾麺が散らばり、足を踏み出すたびに微かな摩擦音が鳴る。
奥の大型冷蔵庫の前で、異様な存在感を放つ影――変異種『ブロート』
成人男性の二倍はありそうな丸太のような腕、パンパンに風船のように膨れ上がった胴体。皮膚は薄気味悪い灰白色で、表皮の下をドス黒い血管が脈打っているのが透けて見えた。
その周囲には、かつて客だったとおぼしき通常の感染者が三体、棚の間に挟まったスナック菓子の袋を無意味にまさぐりながら、喉からグルグルと低い音を漏らしている。
視界の青いウィンドウが、瞬時に戦闘データを更新した。
【エネミー構成】
・変異種『ブロート』(HP:180 / 180)
・感染者×3(HP:各25)
【特性注意:ブロートはHPが0になると、半径3m以内に強酸性の体液を撒き散らして自爆します】
【推奨戦術:通常個体の各個撃破後、中・遠距離からの頭部破壊】
(近接で殴り倒したら、こっちまで酸で溶かされるってことかよ……ゲームなら定番の嫌がらせギミックだな)
湊は苦い息を吐き出した。
普通の人間なら絶望する条件だ。だが、今の湊にはシステムから得た強化されたステータスと、インベントリがある。
(まずは、取り巻きから片付ける)
湊は棚の陰に身を隠しながら、足元に転がっていたサバの味噌煮缶を一つ拾い上げた。
筋力30。今の自分なら、硬い金属の缶詰でも凶器になるはずだ。
狙うのは、一番左側の棚の奥にいる感染者。
スキル【急所看破】を発動させると、感染者の側頭部に小さな赤い光の点が灯った。
湊は腕をしならせ、無駄な動作を削ぎ落として缶詰をスナップスローで放った。
ビュッ――ドゴォッ!!
鋭い打撃音。
サバ缶は一直線に飛び、狙い違わず感染者の側頭部を直撃した。頭蓋骨が陥没し、脳を破壊された個体は声すら上げずに床へ崩れ落ちる。
【経験値×25 を獲得】
「ガ……?」
残る二体の通常感染者が、硬質な破壊音に反応してピクリと顔を跳ね上げた。
視線が缶詰の転がった方へ向いた、その刹那。
すでに湊は床を蹴っていた。
敏捷32。踏み込みの瞬間、床のビニールタイルが靴底の摩擦でキュッと悲鳴を上げる。
常人の倍のスピードで間合いを詰めた湊は、右手に持った金属バットを水平に薙ぎ払った。
バギィッ!!
二体目の首が異様な角度に折れ曲がり、陳列棚の雑誌コーナーへ突っ込んで活動を停止する。
三体目が驚愕に口を開き、噛みつこうと腕を伸ばしてきたが、湊は左手のモップスピアを最短距離で下顎から突き入れた。
ザシュッ。
脳幹を一突き。即死だ。
【経験値×25 を獲得】
【経験値×25 を獲得】
ここまでわずか四秒足らず。
棚の影で息を殺していた遠藤が、「な、なんだあの動き……」と息を呑むのが聞こえた。
だが、本番はここからだった。
「グ……オォォォォォンッ!!」
大型冷蔵庫の前で貪り食っていた巨体が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
三つの死体を踏み越え、ブロートが濁った赤い瞳で湊を捉える。
その腹部が、まるで呼吸するようにドクン、ドクンと不気味に波打っていた。
【警告:対象が興奮状態へ移行】
【突進攻撃を検知。回避軌道を計算中……】
足元の床を震わせながら、二メートル近い肉の塊が猛然と突進してきた。
通路の幅などお構いなしに、左右の陳列棚を派手にへし折り、商品を宙に撒き散らしながら迫ってくる。まさに小型のダンプカーだ。
「うわ、マジかよ……!」
湊は後方へ跳んだ。
狭い通路で横に避けるスペースはない。だが、今の湊には圧倒的な瞬発力がある。
陳列棚の支柱に足をかけ、三角飛びの要領で天井近くまで跳躍。頭上をすり抜ける巨漢を飛び越え、ブロートの背後へと着地した。
ドッガァァァンッ!!
行き場を失ったブロートは、湊がいた背後のレジカウンターへそのまま突っ込み、タバコの陳列棚ごと派手に粉砕して動きを止めた。
瓦礫とタバコの箱が降り注ぐ中、怪物が頭を振って体勢を立て直そうとする。
(今だ。だが、近づいて殴れば自爆に巻き込まれる……!)
ブロートの後頭部、首の付け根に、ひと際巨大な赤い光の球が明滅していた。
弱点だ。あそこを貫けば倒せる。
しかし、モップスピアの長さでは、酸の飛散範囲である半径3メートルから逃げ切れない。
「一条くん! あ、危ない、後ろだ!!」
入り口の遠藤が悲鳴のような警告を上げた。
ブロートが瓦礫を跳ね除け、再びこちらを向こうとしている。
湊の頭の中で、手持ちのアイテムが超高速で巡る。
武器、距離、自爆、インベントリ――。
「……これなら!」
湊は金属バットを一度床に置き、インベントリから一本のアイテムを右手に出現させた。
それは、アパートで長谷川たちから巻き上げた戦利品の一つ――【オイルライター】
そして左手には、先ほど足元に散らばったアルコール度数の高いスピリッツの瓶。
モップスピアの先端、包丁を固定していた布粘着テープの端を引きちぎり、酒瓶の口にねじ込んで即席の火炎瓶を作り上げた。
親指でライターのホイールを弾く。
シュボッと火がつき、布へ一気に燃え移る。
「グアァァッ!」
振り返り、丸太のような腕を振り上げるブロート。
湊は全身のバネを使い、燃え盛る酒瓶を、怪物の首の付け根――赤く輝く弱点めがけて全力で投げつけた。
パリンッ――ボッ!!
高濃度アルコールが弱点の上で炸裂し、激しい炎がブロートの上半身を一気に包み込んだ。
「ギャアアアアアッ!?」
怪物が激痛に悶え、両腕を振り回して暴れ狂う。炎が皮膚を焼き、体内に溜まった可逆性のガスに引火したのか、その巨大な腹部が限界を超えてパンパンに膨張していく。
【警告:自爆シークエンス開始。衝撃に備えてください】
「伏せろッ!!」
湊は叫びながら、近くの頑丈なアイス用冷凍ストッカーの裏側へ滑り込んだ。
直後――。
ドォォォォォンッ!!!!
耳を劈く爆音とともに、ブロートの肉体が内側から弾け飛んだ。
生臭く濁った強酸性の消化液が、ペンキをぶちまけたような勢いで四方八方に飛び散る。
冷凍ストッカーの金属板にバチバチと酸が激突し、シューッと白い煙を上げながら金属を激しく腐食させていく音が響いた。
数秒後、雨のように降り注ぐ肉片が止んだ。
湊がストッカーの陰からゆっくりと顔を上げると、レジ周りは完全に吹き飛び、天井からは配線が垂れ下がっていた。
そして、床一面に散らばる黒い灰と、活動を完全に停止した怪物の残骸。
――ピロリロリン♪
頭蓋の中に、澄んだファンファーレが鳴り響く。
【変異種『ブロート』の撃破を確認】
【経験値×150 を獲得】
【レベルアップ! Lv.4 → Lv.5 に上昇しました】
耳鳴りと、鼻腔の奥にこびりつく強烈な酸の臭い。
胃の底からせり上がってくる吐き気を必死に飲み込みながら、湊は冷凍ストッカーに背中を預け、ずるずると床にへたり込んだ。
「ハァ……ハァッ……マジかよ、死ぬかと思った……」
全身の筋肉が強張り、指先がかすかに震えている。
ステータスの回復効果が入ったとはいえ、極限の緊張から解かれた反動は重かった。
そんな中、店の入り口で頭を抱えて震えていた遠藤が、怪物の残骸と座り込む湊の姿を認め、恐る恐る顔を上げた。
その瞳に、安堵と――どこか値踏みするような光が宿るのを、湊はぼんやりとした視界の隅で見ていた。
少し内容変更しました




