なんで発達障害の人は増えたのか
昔発達障害の人なんかいなかったのに、今は結構沢山いる。こう思う人は、おそらく少なくないはずです。学生であれば、クラスに複数人いるような状況。多いですか? 発達当事者の数が増えてるって、本当にそう思いますか?
こんにちは、みほしです。見に来てくれて、ありがとうございます!おかえりなさい、お茶どうぞ。自分が子どもの頃は発達障害なんてなかったのに、時代が進むにつれて発達障害の人が増えてきた。こんな風に感じている大人は多いのではないでしょうか。
発達障害の人が増えたんじゃなくて、元々発達だった人に診断が出るようになっただけです。
昔の話をしてみましょう。
昔の学校生活を振り返ると、クラスに何人かおかしな奴はいたはずです。思い浮かびますね。そういう人です。声がデカかったり、すぐ喧嘩したり、恐ろしいくらい空気が読めなかったり、びっくりするくらい勉強できないような、そういう人。
そういう人がクラスに居て、どう思ってましたか?
「そいつはそういう奴」
「天然」
「ちょっと関わらない方がいい人」
こんなところでしょうか。病名はついてなくても、昔から健常者の中にはめ込むには無理がある人はいた。でもそういう人って、「やんちゃ」「天然」で片付いてた。片付けられてた。それが昔です。それで通ってたし、それ以外の表現方法がなかった。
昔クラスに居た「そういう人たち」に、診断名がついた。それが発達障害の人である可能性は、非常に高い。キャラが濃いんじゃなくて、生きにくさを抱える人たちだった。それは病名がつくほどのものだった。それだけの話しです。
今の学生さんって、「天然」って言葉をあまり使わないような気がします。普通に使うかもしれませんが、個人的にはあまり聞かない。学生と接することそのものがとにかく少ないからかもしれない。でも「天然」が「障害」だったとしたら、天然なんて言葉は消えゆく言葉になるのかもしれないとも思います。
では、発達障害の人が増えた背景をみてみましょう。
・発達障害が社会に広まった
・検査の充実
・発達障害の人がどんどん生きにくい世の中になり、あぶり出されている
恐らくこういう感じです。
発達障害が世に広まる。悪い事じゃないんだと思います。今までわかっていなかったことが、メディアやSNSで広まっていく。トレンドもそうです。発達障害もそうやって広まっていった。
広まったことで自分の障害と向き合うことができた人もいれば、働きやすくなったり理解を得やすくなった人もいるはず。
でも、「自称発達障害」と「障害を盾にして言い訳する当事者」と「弱者をいじめる材料にする人」が世に現れたことも事実です。世に広まるとは、そういうことなんだと思います。適切に認識することができない人が、自分の都合がいいように流れてきた言葉や情報を使う。やはり人間は、愚かで弱い生き物なんだと思います。
それから、検査機関が昔よりも身近になったことも挙げられます。昔はどこで検査を受ければいいかさえ分からないままになってましたが、現在は精神科や教育現場などを通して検査する機会が増えました。
いいことです。訳がわからんまま仲間外れに遭い、自己肯定感などなく、生きることに希望を見いだせない人が、一人でも減るならそれが一番いいに決まってる。検査は採血とかエコーとかを使わないので、病院嫌いなお子さんでもうけられます。
当事者にとって、違和感の正体が発達障害だったとわかると、苦労が長かった人だと安心するんです。私もそうでした。他の人とは違ったんだと納得できる。
そして、発達障害の人が生きにくい世の中になっていった結果、あぶり出されているという現実もある。
昔いた、頑固な職人さんとか自由人って、今いるんでしょうか。あの人は気難しい人だから、って感じの職人さんです。それから、全体のバランスが崩壊し続けてるのに、ひとつの分野だけ嘘みたいに強い人。芸術派だというやつです。そういう人も、"健常者"であることが大前提である世の中になったんじゃないかと思います。
「個性を認め合いましょう」「支え合いましょう」「発達特性を理解しましょう」
反吐が出ますね。なに上から来てんだよと思う。これって、数が多い健常者がひとまず現段階で数が少ない発達障害の人を分かってあげようねってことになる言葉なわけです。数が多けりゃそれが正義なわけがない。
"赤信号、みんなで渡れば怖くない"
これをやってるのは健常者です。俺たちは別に群れなくても赤信号を渡るし、そもそも赤信号なんて渡る気がない人もいる。みんな赤信号を同じタイミングで渡るのに、勝手に先に渡るやつはおかしいし、渡らないのもおかしい。そういう社会になってる。
集団で動くことが当たり前。だから単独で動く我々は浮き、集団と異なる意見を言うと集団から目をつけられる。
こいつは集団の中では害。集団の中では扱いにくい。こういうあぶり出しが強まった結果、発達障害の人が浮いて、検査結果もそれに伴って出ている状況もきっとある。
発達障害の人が増えたんじゃなくて、診断名が出る世になった。なんでもかんでも病名がつく世の中だと、昔どこかの老害が言ってました。得体が知れないまま放置しておく方が幸せなことも、きっとある。でもそうじゃない人が、あまりに増えてるんだよ。
健常者でなければ、生きることさえ難しい世になってしまっていることが、浮き彫りになってるんだと思います。
かなり偏ったことを書いてしまいました。
賛否あって当然です。なにかを考えるきっかけになってくれたらと思います。
今回は、この辺で。
猛者の皆さんに、1つでも多くいいことがありますように。
明日も朗らかに晴れますように。
みほし ゆうせい
発達当事者そのものの数は、恐らく今も昔も変わりません。世の中が変わった。その結果障害と名前がついた。私はこう思っています。それがいい悪いっていうのは、人それぞれ考え方によって導く出す答えは違っている。間違いはあるだろうけど、正解はきっとないんだと思います。
個人の考え、大事にしたいですね。相手や他人の考えを聞いたとき、否定ではなく「そういう考え方もあるのか」と思考の幅を広げる肥やしにしていける人間になりたいものです。




