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「……よし」
区切りがついて、席を立つ。
同時に立ち上がった佐藤くんと目が合う。
「帰る?」
「うん」
「お疲れ」
出口へ向かう流れで、隣に並ぶ。
エレベーターのドアが閉まる。
軽い振動とともにゆっくり下降が始まる。
距離はいつも通り。
近すぎず遠すぎず。
会話はないまま、階数表示だけが静かに減っていく。
突然ガクッ、と揺れて身体が浮く。
「……え?」
思わず声が出る。
数字が変わらない。
ボタンを押す音。
でも反応はない。
「止まった?」
「っぽいな」
その直後、暗闇が落ちる。
「っ……!」
反射的に声が漏れる。
何も見えない。
さっきまであった空間が、一気に消える。
思わずしゃがみ込む。
足元が分からないまま、床に手をつく。
冷たい感触に、呼吸が浅くなる。
「一ノ瀬?」
声がする。
でも位置が分からない。
近いのか遠いのかも分からない。
「……っ」
返事をしようとして、詰まる。
うまく声が出ない。
「大丈夫?」
「……だい、じょうぶ」
声が震える。
自分でも分かるくらい。
大丈夫じゃない。
どこにいるのかも分からない。
音がない。
機械の音も、何も。
空気が止まっているみたいに感じる。
「一ノ瀬」
もう一度呼ばれる。
「……触れていい?」
何を言われてるのか分からない。
「え……」
「手、とか」
少しだけ間を置いて、
「落ち着くかなって」
声だけが頼りになる。
「……嫌じゃなければ」
少し迷う。
でも、
「……お願い」
言ってから、少しだけ息が浅くなる。
見えない。
どこにいるのか分からない。
「手、出して」
言われた通りに、手を伸ばす。
何も触れない。
空を切る。
微かに衣擦れの音。
「……俺も見えてないから」
少し困ったような声。
「……はし、うしろの、」
言葉が途切れる。
「ん、後ろね」
端に寄って、もう一度手を伸ばす。
指先が何かに触れる。
「……いた」
次の瞬間、手がそっと包まれる。
強くない。
引き寄せない。
ただ、そこにあるだけ。
呼吸が、少しずつ戻っていく。
「……平気?」
「……うん」
さっきより、ちゃんとした声になる。
「隣、座っていい?」
「……うん」
手を頼りに、隣を探る。
肩に触れる温もり。
何も見えないまま、ただ触れている。
時間の感覚が分からない。
数秒なのか、もっと長いのか。
怖いはずなのに、少しだけ落ち着いている。
やがて、遠くで機械が動く音がする。
少しして明かりが戻る。
同時に、手が離れる。
「……復旧したな」
いつもの声。
いつもの距離。
何もなかったみたいに。
ドアが開く。
明るい廊下。
「大丈夫?」
「うん」
短く答える。
そのまま少し距離を空けて歩く。
指先に、さっきの感触が残っている。
苦手だったはずの距離感。
その距離に、助けられた。
「……佐藤くん」
「ん?」
「あ、ありがとう」
「おう」
佐藤くんが少しだけ笑う。
いつもの声。
いつもの距離。
そのはずなのに、
さっきとは、少しだけ違って見えた。




