第四章 戦いのために
ミコト・カイはスエツミ内のオフィスで端末に向かっている。いつもの躍動するような操作は見られず、いたって緩慢な動作である。
「くっそ、何もかも公表された通りだ。新たな情報が何もない。」
彼は自分で構築した情報ネットワークに、有益なものがかからないか検索を続けている。しかし、得られる情報は既にイザナ自身が公にしているものばかりで、新規性・希少性がまるでない。
イザナは敢えて行動を明らかにして、アテラスに自軍動向を確実に把握させている。相手が知っているのか知らないのかが判らない、と言う状態を脱し、確実に知っている前提で作戦を立てる気のようだ。戦力に勝るからこその戦略である。
「あーあ、これじゃ、スエツミは解散になってしまうな。」
伸びをして身体をほぐしながら、考えを巡らせる。
(情報を集めるのではなく、偽情報を流して混乱を誘うと言うのはどうだ。)
ミコトは偽情報を流した場合の敵の動きをシミュレートする。
『アテラスは全軍を以て迎撃に当たる。』いや、優勢な敵が益々増強されてしまう。
『アテラスはマガツヒを放棄して戦線を後退させる。』だからと言って手ぶらで来るわけもない。
『アテラス内部で分裂が生じた。』敵を勢い付かせるだけか。
『アテラスはイザナ本星を陥れようとしている。』…信憑性が薄すぎる、信じるはずがない。
「うーむ、戦力差は如何ともしがたいなぁ。少しだけでも、第1艦隊を楽にしてやりたいのだけど。」
ミコトは狭い個室の中でグルグル回ってみるが、良い考えが出るどころか、少し気持ち悪くなってしまった。
「あー、ダメだ!気分を変えよう!」
ミコトは一旦作戦について考えるのを止め、別のことに気を向ける。
(ヴァルバドス中尉は何をやってるのかな?)
ナオミ・ヴァルバドスは新たな任務を受けてから、そちらの計画に軸足を移している。時間をかけてやるよう言われたが、そろそろ1週間が経過する。自分としても、そろそろ何かやりたいところだが、リーダーの指示なく動き回る訳にもいかない。
(散歩でもするか。)
スエツミの管理エリアを出て、あてもなく所内の共有エリアを歩き回る。当然だが、何ら目新しいものなどあるはずがない。
コーヒーでも飲んで仕事に戻ろうと喫茶エリアに行くと、ちょうど、ナオミがコーヒーを飲みながら、何かの資料を見ている。今時珍しい紙の本だ。ミコトが声をかける。
「やぁ、ヴァルバドス中尉、座ってもいい?」
ナオミは慌てて本を閉じ、隠そうとするが手ごろなものは無い。
「えぇ、あ、はい、どうぞ。」
(これは触れない方が良いやつだな。)
本にはカバーがかかっていて、表題は読めない。何を読んでいたのか気になるところだが、そこは我慢して別の話題を振る。
「昨日、サーンさんを見たよ、ネットビジョンのリアルタイム放送で。」
両手を本の上に置いたまま、ナオミが答える。
「あぁ、そうですか。何か気になることを言っていましたか?」
「彼女、アズリアの批判をしていたよ、それも結構激しく。アテラス、イザナの戦いの陰で、両国に資源を売って儲けている。戦争を、起こさせよう続けさせようとして暗躍している死の商人だ、とまで言っていたな。」
ナオミが返す。
「アズリア批判を展開して、敵性組織に近づこうとしているのでは?」
ミコトは腑に落ちない様子である。
「そうかもしれないけど。あそこまで言って同調者が増えてしまったら、自分が動きづらくなってしまうんじゃないかなぁ。」
昨日、見ていた番組の内容を思い出す。アテラス、イザナの戦端が開かれたことをテーマにした討論番組だったが、強硬派は『戦え!倒せ!』と絶叫するばかりで、議論にも主義の主張にもなっていなかった。
サーンは理路整然と主張を述べ、議論に新しい視点を提供するものだったが、何故か主戦派、和平派共に深く掘り下げようとせず、カオスの中に埋没させられてしまっていた。
「あまり人気がないのかな…」
ナオミが呟く。
「人気?」
「そうです、反対サイドに立つ人にも、言いやすい人と言いづらい人っているじゃないですか。ムキになるとか、質問に対して返答がちゃんと返ってこないとか。」
釈然としない感じでミコトが返す。
「少なくとも、昨日の感じではそんなことなかった気がしたけど。」
ナオミはそれには直接答えず、更に付け加えた。
「先入観があるとか、」
「先入観?」
ミコトがどういうことか聞き返そうとしたところ、他部署の職員が入って来てしまった。話の続きは今度と言うことで、ナオミは席を立ちオフィスに戻っていった。
ミコトは3分の1程に減ったカップをぼんやりと見つめながら、1人呟いた。
「先入観か…」
戦場でも、最も避けるべきは先入観によって判断することだ。希望的予測の枠を絶対視して、状況の方を歪め縮小してしまう。状況を正確に把握せず、戦いに勝てる訳がない。
(自分が先入観に囚われることなく、相手に先入観を持たせるにはどうしたらいい。)
ミコトは思考の海を泳ぎ始める。が、すぐに別のことが気になってしまった。
(ところで、あの本は何について書かれた物だったのだろう?)
彼のナオミに対する先入観では、学術書か何か堅いモノだ。
(是非、先入観を裏切って欲しいなぁ。)
そう思いながら、残りのコーヒーを飲み干し、喫茶エリアを出てオフィスに戻る。
自室に戻り、端末の静脈認証デバイスに手をかざす。
「認識できません。」
女性の声でデバイスが拒否の意を示す。手を離すのが速すぎたようだ。もう一度、手をかざす。
「認識しました。」
ミコトはデバイスをじっと見つめ、何かを考え込んでいた。
その頃、アテラス軍第1艦隊はマガツヒを拠点として、航宙哨戒偵察機による哨戒活動を行なっていた。イザナ軍がマガツヒを狙って侵攻してきた場合、マガツヒから4光時の距離にある宙域にワープアウトしてくる公算が高いが、問題はどこで迎撃するかである。この点で艦隊司令部内の意見が分かれ、白熱した議論が戦わされていた。既に会議は3時間にも及んでいる。
「ワープアウト直後に決戦を挑むべきだ。敵は、隊列が乱れ、連携が取れない。このタイミングを狙い、速攻を仕掛ければ勝利は疑いない。」
「確かに敵の隊列は乱れているだろうが、敵が続々と現れてくるのだ。そんな宙域に踏み込んだら、こちらの統率も取れなくなってしまう。」
「我が艦隊が統率を維持するためにも、ワープアウト宙域には踏み込まず、航宙攻撃や遠距離射撃に専念するのはどうか。」
「それでは効果が薄いばかりでなく、こちらのエネルギーや弾薬が尽きてしまう。」
「敵の進出を待って迎え撃つ。これが確実ではないか。」
「確実は確実だ。だが、確実に負けるぞ。奴らの戦力は全ての艦種で我々に勝る、正攻法で戦ったら数の多い方が勝つのだ。」
「マガツヒ近辺まで引き込み、陸上部隊を載せた船団を攻撃しては如何でしょう。降陸中は無防備になり攻撃は容易です。」
「敵の主力が黙って見ていてくれる保証がどこにある!それに、攻撃が遅れたらマガツヒが窮地に陥るぞ。」
有益無益、様々な意見が噴出したが、最後はチュン・シャンチー司令官の採決となった。結論としては、ワープアウト宙域には駆逐戦隊をおいて、敵艦発見時には直ちに攻撃をかける。ただし劣勢になったらすぐに距離を取り、再度攻撃の機会を探る。漸撃を試みつつ、本隊の進出を待つ。本隊は航路上中間地点に占位し、連絡があり次第進出して敵を撃滅する。と、いうものであった。常識的で隙のない構えではある。
この会議に出席していたレアンドロ・ダミアン大尉は、作戦内容を検討するよりも、3時間ぶりに解放された喜びに浸っていた。
惑星アテラスの軍令部ビルでも、会議が開かれている。こちらの主役は作戦課だ。
彼らに課された命題は、限られた戦力で敵を撃退する。のは勿論のこと、かつ受ける被害を最小にすることだ。
回復力に劣るアテラスは、戦力を極力温存しなければならない。敵と同じ規模の被害を負い続けていれば、最終的には敗北してしまう。
「イザナは主力の統合艦隊を出撃させてくることが確実だ。我が軍は第1艦隊を以てこれに当たる。」
最初にスルギ・パク少将が口を開く。課員の1人がそもそもの前提について尋ねる。
「もう少し艦を出せないでしょうか、敵の統合艦隊は戦艦6隻を中核にした強力な編成です。第1艦隊だけでは不利は否めません。」
「第12駆逐戦隊とツクヨミ航宙隊はマガツヒに進出させる。彼らは前作戦で実戦を経験している貴重な戦力だ。だが、これが限界だ。整備サイクルや他宙域の警備、民間船団の護衛などを考慮すると、これ以上は無理だ。」
パクの言葉に重苦しい空気が漂う。
「第1艦隊は練度も士気も高く、装備も充実した精鋭です。遅れをとるようなことは無いのではありませんか。」
若い課員が敢えて楽観論を口にする。
「そう信じたい気持ちはわかるがな、それは敵の統合艦隊も同じことだ。こういう要素は相対的なものだからな…」
「こちらが有利な点を挙げますと、艦隊中核の戦艦が巡航戦艦であることです。巡航戦艦は戦艦よりも機動性に優れています。」
「その分、火力と防御力は一歩劣るが。」
(余計なことを言うな。)
何名か白い目を向ける者がいる。
「艦隊全体の機動性を活かし、敵に肉薄攻撃しては退避の、ヒットアンドアウェイで勝機は見えませんか。」
「それしか無いだろうな。だが、敵艦隊も予想しているだろう。戦艦の火力と駆逐隊の機動力とで連携されると厳しいな。」
戦術論に議論が偏り始めると、パクが課員を嗜めた。
「艦隊の戦術論は艦隊司令部が専門だ、我々はサポートに徹すれば良い。我々が検討すべきは戦場全体の戦略だ。」
「戦略面ということですと、マガツヒは一旦放棄してしまい戦線を引くというのはどうでしょう。敵は決戦の会場を失います。」
「それで、どうするのだ。マガツヒを拠点に、敵はより強力になるだけではないか。第2次、第3次戦役ではマガツヒを失っていたことで、我々は散々苦渋を舐めさせられたのだ。」
「敵の進出と同時に逆進をかけ、イザナ方面に進出すると言うのは…現実味が無さすぎますね。」
この意見には誰も何も言わなかった。
会議は2時間近く続いているが、なかなか有効な作戦が上がってこない。皆が頭を抱える中、マコト・カイもまた、頭を抱える心境であった。
パク課長が一旦離席し、スエツミのシャープ課長を伴って戻ってきた。
「諸官の議論もなかなか結論が出ないようだ。スエツミから作戦の提案があると聞き及んでな、ご足労頂いた。採用するしないは置いておくとして、参考までに聞いておこう。シャープ少将、お願いします。」
シャープが立ち上がる、独特の間をとって話を始める。
「課員の1人が提案してきた作戦案だ、情報と実行部隊の行動とが有機的に連絡する必要がある。まぁ、先ずは聞いて欲しい。」
『課員』と言った時、マコトと軽く目が合った。どうも『課員』とはミコトのことのようだ。シャープが話を続ける。
ツクヨミでは、昼夜徹して損傷した艦の修理が行なわれていた。と言っても、自転していないツクヨミで昼夜の変化はないのだが。
前作戦で大活躍の第12駆逐戦隊の面々は、さして娯楽施設などないツクヨミに不平を垂らす。特に、損傷艦の乗組員達は哨戒や訓練に出ることもできず、カードとバー三昧の日々であった。
敵の本格的な攻撃がマガツヒ方面で企図されていることは、ツクヨミにも伝わっている。戦闘に参加したがっている者と、内心残留を望んでいる者の比率は8:2ほどであった。
中破したムツキは、整備兵たちの懸命な作業によって、既に復帰している。ヤヨイは機関の修理に手間取り、未だドック内で修理作業を継続中である。宇宙艦隊司令部からは、新造の駆逐艦1隻をヤヨイの代わりに補充する申し出があったが、司令官スニール・ラジ少将は申し出を断り、次作戦には7隻の編成のまま臨むことに決めた。特性が把握できず練度も合わない艦が、艦隊にいることを嫌ったのである。
マガツヒ進出の命令が下り、10割の歓声と2割の内心での溜息を載せて、第12駆逐戦隊は新たな戦場へ向かった。
駆逐戦隊と異なり、航宙戦闘隊の面々は進出命令に歓声をあげなかった。前作戦で彼らは、70名の定員中15名の戦死者を出した。補充要員は到着したが、心の傷がそう容易く塞がるわけがない。彼らは輸送用に到着した航宙母艦に、無言で乗り込んでいった。
ツクヨミに残留する者の心中は様々だった。留守となり戦場に行けないことを口惜しがる者、戦場に行けないことを心の中では喜ぶ者、若者たちの無事の帰りを祈る者。
新たにツクヨミに到着した者もいる。マガツヒに進出した旧ツクヨミ航宙戦闘隊に代わり、本星から新たに1個航宙戦闘隊が進出してきた。彼らはいつか戦うその日のために、そして生き残るために、訓練を繰り返し技量を上げるのだ。
第12駆逐戦隊と航宙戦闘隊がマガツヒに進出し、少し寂しげになってしまったツクヨミに、僅かに雰囲気の異なる艦がある。前作戦で拿捕されたイザナの駆逐艦エルトリだ。他の拿捕された艦は既にアテラス本星に送られている。
若い整備兵が情報端末を片手に、彼の上官を探している。上官の名はパチャラ・チナワット技術少佐。イザナ艦の能力調査任務の責任者だ。
「あー、めんどくせえ。くっそ、せめぇんだよ!」
悪態が聞こえてきた。この機嫌の悪さはいつものことだ。彼の上官は機器を収納しているコンソールに頭を突っ込み、何やら作業をしていた。
悪態をつきながらも、機器を取り外している手は常人の何倍も速い。チナワットの周りにはバラした部品が乱雑に放り投げられている。しかし彼は、それらがチナワットの頭の中では整理され、驚くべき速さで元どおりになってしまうことを知っている。
それだけでなくチナワットには、一目見ただけで構造も機能も特性も把握できる能力まで備わっていると信じている。彼はチナワットを尊敬しているのだ。
「チナワット少佐、軍令部から命令が来ました。レーダーについて調査しろとのことです。」
チナワットはコンソールから頭を抜いて素っ頓狂な声を上げる。
「レーダー?なんだよ!メインユニット、バラしちまったよ!えぇい、くそっ!」
手に持ったスパナを下に投げ、つけるふりをする。これもいつも通りの行動だ。
チナワットは命令書を受け取り内容を確認する。
「ふーん、今更こんなことを調べてどうすんのかねぇ。」
そして、チナワットはスパナを弄びながら恐ろしいことを言った。
「お前、ちょっと組み直しておいてくれや。俺は燃料切れだ。」
そう言って、アルコール補給に行ってしまった。
彼は周囲を見廻し、途方にくれ、上官の評価を改めることにした。
攻めるイザナ側でも着々と準備を整えていた。
イザナ共和國は大気圏内軍と大気圏外軍(宇宙軍)の2軍制を採っている。この2つの軍は同等の権限を有し、互いが独立した指揮系統を持つ。2軍の協調が必要な場合は、統合作戦会議が組織され議長が両軍の指揮を執る。
こうした組織構造は地球時代の国家に多く見られた。そして、軍同士の軋轢を生み、互いをライバル視して協調性を欠くことが多いのも、周知のことである。
A.F.の時代、宇宙軍が戦闘のイニチアティブを採ることがほとんどである。また、科学技術の粋を集めた航宙艦艇は非常に高価であり、分配される予算は著しく不均衡な状態であった。こうした事情から、宇宙軍の下部組織として圏内戦力を置くことが現在のトレンドである。ちなみに、アテラスやアズリアは1軍制を採用している。
イザナでも、前述のような問題は生じているが、歴史的に圏内軍の力が非常に強く、宇宙軍の風下に立つことを潔しとしなかった。また、圏内軍出身の政治家が多く、彼らの発言力により2軍体制が保持されたのであった。
彼らもまた、進攻の手順について会議を行なっていた。
今回組織された統合作戦会議の議長は、圏内軍グラディス・スタック元帥、副議長が宇宙軍レプロン・エーレット大将である。2人は長い軍務の期間、共に戦った戦友だ。が、お世辞にも仲が良いとは言えず、お互いが大人であることを自分に課しているおかげで会話が成立する、程度の間柄であった。
彼らの不仲の原因は、第3次戦役中に起こった事件にあると噂されている。
スタックの陸上部隊とエーレットの率いる駆逐戦隊は、協調して敵勢力に当たる協議がなされていた。ところが、戦況の変化で艦艇からの攻撃に絶好の機会が生じた。エーレットはこの機会を捉えて勝利を収めた。
ここで問題が生じた。エーレットは事前に通信を送っていたのだが、妨害によりスタックの耳までは届いていなかったのである。
そのことを抜け駆けだとしてスタックは恨んでいる。対するエーレットは、戦況的、戦術的要請による行動であることを理解しようともしないスタックに腹を立てている。というものだ。真偽の程は定かではないが、戦場ではよくありそうな事件ではある。
今作戦においては、第1師団、第7師団、第13機甲化旅団の計7万人、戦闘装甲車4千輌、各種車輌8千輛の動員が決定された。これら陸上戦力は、強襲降陸艦70隻に分乗しマガツヒ奪還を企図する。
なお、強襲降陸艦とは、敵の近傍或いは敵中に、陸上戦力を速やかに送り込むことを目的とした艦艇である。敵の勢力下であっても、戦車の輸送も可能な専用離降陸艇を往復させ、車輌・兵員・物資の輸送任務を担う。いわば、宇宙軍と大気圏内軍の橋渡し的存在である。イザナにおいて、この強襲降陸艦の管理・運用の責任は圏内軍が負うとされていた。
会議は、最初から不穏な空気をまとっていた。
宇宙軍企画の作戦案が諸将に示される。当然、宇宙軍本位の作戦案が書かれている。
「なんですか、これは!制宙権を確保した後、進発。敵の抵抗を排除した後に降陸。こんな作戦なら、圏内軍など不要ではないですか!」
攻略部隊の指揮官に内定しているクリス・ジョーダン少将が声を荒げる。統合艦隊司令長官のクラフトマン大将が何か言いそうになるのを制して、副議長エーレット大将が答えた。
「そんなことはない。宇宙からの攻撃で地上の敵を1人残らず倒せるわけではない。圏内軍には確実な掃討をお願いする。また、マガツヒを恒久的に我が國の基地とするために、貴官らに働いて貰わなければならないのだ。」
ジョーダンは収まらない。
「そんなことは施設部の仕事だ。我々実戦部隊が、戦う機会を与えられなければ出征の意味がない。議長閣下はどうお考えなのですか!」
スタックに援護を求める。
「確かにジョーダン少将の言うことに一理ある。圏内軍と宇宙軍とで、協調して、敵に当たらねばな。」
どことなく非難がましい言いっぷりだ。エーレットは食い下がる。
「制宙権の掌握が未完の状態で、陸戦部隊を載せた輸送艦隊が戦闘宙域に近づくと、じゃ、危険です。」
邪魔と言いそうになるが、言葉を選んで言い直す。
「副議長閣下は、我々を客船の乗客か何かだと思っていらっしゃるご様子だが、我々は軍人です。たとえ危険があろうとも、必要とあらば喜んで馳せ参じるのが軍人でしょう。」
(必要ないのだ、お前らなど。)
本音を抑え、面倒な議論を切り上げる方向を探る。
「では、統合艦隊の抜錨後、3日開けてから輸送艦隊が進発するということでは如何かな。」
「それでは!」
「その辺りだろうな。輸送艦隊は3日後に進発でよかろう。」
ジョーダンが何か言いかけたが、スタックが被せるように同意した。
ようやく進発日が決まった。エーレットは残りの議題も、適当に決めてしまおうと画策する。
(陸戦部隊など船に閉じ込めておけば何もできん。精々、騒ぎ立てれば良い。)
ところが、空気を読まない者はどこにでもいる。クラフトマンが大きな声で言った。
「我が統合艦隊が艦隊戦に挑んでいる時は、我らの指示に従ってもらう!軽挙は厳に慎むと誓って頂く!」
さすがにこれには、ジョーダンだけでなくスタックも顔色を変える。
「いつ圏内軍が宇宙軍の麾下に入ったのだ!しかも、誓えとは何事だ!無礼にも程がある!」
エーレットが逃げ出したい気持ちを抑え、鎮火に奔走する。
「宇宙空間戦闘では宇宙軍が責任を負うと言うことです。逆に地上戦は圏内軍に主導頂くのは当然のこと、宇宙軍は全力で支援します。」
この後も、彼らは協調して口角泡を飛ばし合った。
「しかし、大胆だね。直接、アポイントメントを取るとは、全く予想していなかったよ。」
ミコト・カイは隣に座るナオミ・ヴァルバドスに話しかける。彼らの前には2杯のコーヒー、向かいの席には誰も座っていない。
「いいですか、打ち合わせ通りやって下さい。私たちは大学院生ですよ、『小官』とか言わないで下さいね。」
「それは、ちゅ、じゃなくて、ナオミさんの方でしょ。」
彼らは人を待っている。待人はターゲットのティアナ・サーン。ナオミは大学院生を名乗り、直接会う約束を取り付けてしまった。ナオミとミコトは政治研究科に在籍している設定で、マスメディアの記者であるティアナに、仕事の実態や最近の政治動向のインタビューを申し込んだのだった。
「ナオミさんが言っていた『先入観』の意味がわかったよ。彼女、アズリア王家に繋がっているんだってね。それじゃあ色メガネで見られるよな。」
「そうですね。彼女の主張も『お姫様の英雄気取り』とか『目指すは、母国に弓引く気高き女性像』とか言われてしまって、パフォーマンスとしてやっていると受け取られているみたいです。」
「まぁ、そう思っちゃうのもわかるよなぁ。それにしても、かなり深いところまで行かないと、その辺の情報は出てこなかったな。」
「主要なサービスでは、プライバシー保護法を根拠に、出る度に消去させているみたいですよ、王家の方が。だけど、サイバー空間は深くて広いですから…」
ナオミは少し同情しているように見える。
「あ、来ましたよ。いいですね、政治研究科ですよ。」
ティアナ・サーンは、周りを見回しながらゆっくりと店の奥に歩いてくる。
ナオミは立ち上がり、右手を上げて合図する。ミコトも慌てて立ち上がる。ティアナが手を挙げているナオミに気付き、近づいてきた。席の前に立ち、挨拶を交わす。
「初めまして、アマノイ市立大学大学院政治研究科のナオミ・ヴァルバドスです。こっちはミコト・カイです。」
「こんにちは、ミコト・カイと申します。」
事前に打ち合わせた時、偽名を使うべきでは、とミコトは尋ねた。ナオミは、『間違いなくボロが出る。』と言って、本名のまま名乗ることになったのだった。
「ミコト・カイ…」
ティアナが小さい声で繰り返した。ミコトは嫌な予感がして、視線をわずかに逸らした。だが、ティアナはそれ以上何も言わなかった。
3人は席に腰掛け、話を始める。最初にナオミが記者の仕事について尋ね、設定通りインタビューが進んでいった。
用意していた質問は粗方なくなり、2人が質問を考えていた時、ティアナの方から2人に尋ねた。
「2人は記者になりたいと思っているの?」
ナオミが答える。
「えぇ、私はなりたいと考えています。」
ミコトは、
「僕は可能性のひとつと言うところです。」
「ふぅーん…」
ティアナは納得してはいないような雰囲気だ。
「それじゃあもう一つ、私の出自については聞かなくて良いの?」
2人は動きが止まる。なんとか、ナオミが答える。
「えっと、その点については失礼かと思い控えていましたが、お聞きしてもよろしいのでしょうか?」
「まぁ、聞かれても答えなかったけどね。自分から言っちゃったから答えるけど、私のお爺ちゃんのお兄さんが王位にいたことは事実よ。でも、そのことのせいで、私が思ったことも言えなくなるなんて御免だわ。」
ミコトが問う。
「では、アズリアの戦争責任について、あなたの主張は本心だと?」
「もちろん!私はやりたいようにやって、言いたいように言うの。絶対に負けないわ。」
ティアナ・サーンは眼に強い意志の炎を宿して、答えた。
「今日はありがとうございました。」
ナオミとミコトが礼を言う。
「ええ、私も楽しかったわ。また、会うことも…きっと、あるでしょう。じゃあね。」
ティアナ・サーンは敬礼をして去っていった。
「…バレたね。」
「えぇ。バレましたね。」
「いつからかな?」
「最初から、ミコト・カイの名前を聞いた時からじゃないですか?」
「そっか。でも、あの人が諜報員?ありえない気がする。」
ミコトは本心を告白する。
「違うでしょうね。」
予想に反して、ナオミもあっさりと同意する。
「あれ?じゃあ、なんで?」
ミコトは訳がわからない。諜報員に接触し、偽情報をつかませる。また可能であれば、アズリアの秘密情報を引き出す。さらに可能であれば、アズリア内のネットワークを乗っ取る。それがミッションではなかったのか。
ナオミが答える。
「課長は『分析班は諜報員のリストだと踏んでいる』と言ってましたけど、自分もそう思っているとは言ってなかったですね。いや、私も考えたんです。なぜ、接触なんてやったこともない私たちに、こんなことやらせるんだろうって。課長は、私たちがスーンさんに接触して、正体が露見しても別に困らないんですよ。」
ミコトは言葉が出ない。
「なぜなら、彼女は諜報員でも何でもないから。私たちが何か情報を与えちゃっても、どこにも繋がらないから関係ないわけですね。」
ミコトが声を絞り出す。
「なんと…」
ミコトは課長の人の悪さを恨むと共に、ナオミが心配になった。指揮を取れと言っておいて、実態のないターゲットに、そうとわかって当てがったのだ。だが、ナオミ・ヴァルバドスは
「あー、くやしい。」
と、一向にくやしくなさそうな口調で呟いた。
ミコトは『くやしそうじゃないね。』と言おうと、ナオミの方を向き言葉を詰まらせた。ナオミは唇を噛みしめ、拳を握りしめていた。初めて見る表情であった。
ティアナ・サーンと大学院生2名が会談した2日後、ミコトがハッキングした文書の解析報告が届いた。そこには『有益情報なし』のスタンプが大きく押されていた。過去に行われたある晩餐会の招待者リストだったらしい、厳重に防御されたサーバーの中にも無価値な情報が含まれると言う教訓であった。
イザナ共和國は活気に満ちていた。
前作戦は、奇襲を企図して返り討ちに会うという、不名誉極まりない敗北であった。しかし、今作戦は秘匿する必要もない、堂々と正面から戦いを挑むのだ。軍事ロマン主義者にとっては、これ以上ないほどの状況に、陶酔している者は多かった。その最たるものが統合艦隊司令長官のクラフトマン大将である。
「出撃命令は?」
副官に尋ねる。
「まだです。」
副官は、簡潔かつ明確に答える。
このやりとりを1日に数十回、繰り返している。尋ねる方も答える方も賞賛すべき胆力である。
そんな彼が遂に解放される日がやって来た。
A.F.682 07/06 出撃命令が発令された。
惑星イザナより星系外縁までに1週間、超光速移動に1週間、フソー星系外縁の亜空間跳躍可能域到達は07/20前後の予定である。