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第二章 血の盟約


A.F.666/08/30


 兄の背中を追いかけ自宅を飛び出す。

(約束していたのに置いて行くとは酷いではないか。)

 大股で角に差し掛かった兄を非難を込めて呼び止める。

「兄ちゃん!」

 呼び止められた少年は、足を止める。険しく固まってしまった顔を努力で真顔に戻し、振り返って答える。

「どうした、ミコト?」

「今日は科学技術館に連れて行ってくれる約束だろ!どこ行くんだよ!」

「あ、あー、そうだったな。」

 昨日、寝るまでは覚えていたのだが、朝方に父と進路についてやりやった事ですっかり記憶から追い出してしまっていた。

 弟は駆け寄り、兄の手を握る。思春期ど真ん中の彼は家族と歩くことが若干気恥ずかしく思うのだが、9歳も歳の離れた弟はお構いなしに大声で話しかける。

「新型量子コンピュータのアルゴリズムに関する展示があるんだ。」

「そっか…もっと子供らしい展示に興味はないのか?」

「子供らしい展示ってなんだよ?」

「宇宙航行船とかそんなんだよ。」

「興味ないね。」

「あぁ、そう。ま、別にいいけど。」

 2人はまだ爽やかと言える日差しの中、弟の歩調に合わせてステーションに向かう。

(昼になったら暑くなりそうだ。)

 武装警察のパトロールカーが車道を走っていく。先月から夜間の外出が制限された、市民を護るための措置らしいがどう護るのかはよくわからない。今日行く科学技術館も初等部生徒以下は保護者同伴でないと入館できない、用事のある両親に代わりにちょっと風変わりな弟のお供という訳だ。

(涼むには良い所だけどなぁ、今から向かったら開館前に着いてしまうな。)

 そんなことを考えていた時に、2人の運命を大きく揺さ振る変事が起きたのだった。


 一瞬の振動の後、耳をつんざくような爆音が2人を包み込む。瞬時に弟の体に覆いかぶさりその場にしゃがみ込ませる。何かがパラパラと降ってくる、黒い煙が上がる方向を見る。

「家の方だ。」

 身体の中を冷たい何かが通り抜けた気がする。

 弟が体を起こす。

「バカ!伏せてろ!」

 だが、弟は静止を振り切って走り出した。追って全力で走り出す。


 弟を追い抜く、角を曲がる。車道に、逆さまになり車輪がカラカラと力なく回っている自動車がある、彼らの家の車だ。

「母さん!父さん!」

 叫ぶが返事はない。

 駆け寄り、車の中を覗く。いない。

 振り返り、家を見る。玄関だった場所は深くえぐられたように崩壊していた。ガレキが散乱し所々で煙が上がっている。目がしみて涙が出てくる。

「母さん!父さん!」

 やはり返事はない。周囲を見廻す。

「…ぅ」

(なんだ?何か聞こえた。)

「ぅぅ、、」

(呻き声だ。どこだ?)

 耳を澄ます。サイレンが近づいてくる。

「うるさい!」

 思わず叫ぶ。弟が駆け出す。

 耳を澄ますが聞こえない。サイレンが止んだ、彼の弟は緊急車輌を誘導し、かつサイレンを止めさせたのだ。

(どこだ?)

「ぅぅぅ、」

(こっちだ!)

 ガレキの下に手が見える。男の手だ。

「父さん!父さん!」

 駆け寄り、ガレキを後ろに放り投げる。汗が噴き出る。

 うつ伏せの、人の身体が露わになった。

「父さん!」

 父をあお受けにする。思わず息を飲む、父は頭から出血し顔は血に染まり、胸の数カ所にガラスの破片が突き刺さっている。

「うぅうぅ、」

(よかった、生きてる!)

「父さん!大丈夫!?父さん!」

 警察官が駆け寄ってくる。サイレンは爆発音で引き返してきた武装警察のパトロールカーだったようだ。弟が駆け寄り膝をつく。

「他に人は?」

 警官が尋ねる。

(そうだ、母さんは?母さんはどこだ?)

 周囲を見廻し叫ぶ。

「母さん!母さん!母さん!」

 警官も叫ぶ。

「お母さーん お母さーん」

「ああ!兄ちゃん、あそこ!」

 弟が指差す方向を見る。

(なんだ!何がある!見えない!)

 膝をつき視線の高さを合わせる。ガレキの下から緑色の何かが飛び出している。

(母さんの服だ!)

「母さん!」

 駆け寄ってガレキを掻き分ける。警官や集まってきた近隣住人も協力してガレキを撤去する。2人の住人が大きな板状のガレキを退かした時、小柄な女性の身体が現れた。

(いた!)

「母さん!母さん!わかる?しっかりして!」

 目立つ外傷はない、腕に切り傷が見えるくらいだ。だが、答えない。

「母さん!ねえ、母さん!」

 救急隊がようやく駆けつけてきた。母は答えない。そのまま、担架に乗せられる。

(どうして?なんで答えないの?)

 冷たいモノが身体を駆け抜けていく、それを打ち消すように呼びかけを続ける。

「母さん!わかるだろ、ねえ、目を開けて。母さん…」

 1台目に父と弟、2台目に母と兄を乗せ、救急車は病院へ急行した。



 少年は、母方祖父の姉の娘と向かい合って腰掛けている。緊急連絡先の記載を求められると名が登場する、アソウ夫人が文字通り飛んできてくれた。会ったことが有ったか無かったか、その記憶すらなかったが父母を知る大人の存在は心強かった

「マコトくん、大変だったわねぇ。」

 心ここにあらずな彼を気遣い、涙ながらに色々と話しかけてくれているが、このフレーズは何回目だろう。

(爺ちゃんの姉ってことは母さんの伯母さんか、その娘ってことは母さんの従姉妹?そう思うと近いような気がするな…)

 曖昧に返事をしながら、そんなことを考えていた。

 弟は寝てしまった、兄の膝に頭がある。

 医師が近づいてくる。歩調からその目的がわかってしまった。

 弟の頭に置いた右手の感覚だけははっきりしている、だが、どこか別世界にいるような酷く頼りない感覚の中、母の死が告げられるのを聞いた。



 事件の2日後、実行者は拍子抜けするほどあっさりと見つかった。いや、見つかったのではなく、自ら現れた。そして、『投降』を主張した。彼が『投降』先に選んだのは警察でも軍でもなく、ビジョンネットワーク局であった。ニュース番組のカメラを前にして、軍服を着た若者はイザナ共和國大気圏内軍 第1師団特科所属 ジョージ・モガ中尉と名乗った。そして、自分を犯罪者ではなく戦争捕虜として扱うよう要求した。彼の主張は次のようなものである。


・目標はトシハル・カイ技術少将である。

・彼は高エネルギー応用物理の分野において様々な研究を行い、かつ成果を上げていた。

・イザナ軍は、近年彼が都市を目標にした兵器開発に当たっているとの情報を掴んでいる。

・都市を目標とした兵器は保有のみならず、開発行為自体が戦時条約に抵触するものである。

・軍人を攻撃する事は戦時条約に認められた合法的な行為である。

・本作戦において目標外の民間人に犠牲者を出した事は誠に遺憾ではあるが、作戦上の過失であり一個人に責任を帰すべき事案ではない。

 以上から、戦時条約に基づく戦争捕虜の扱いを受けるのが妥当である。


 当然、即座に公安警察がモガの身柄確保に動いた。モガ中尉の主張を放送した局は、身柄引き渡し拒否の構えを見せたが、最終的には警官隊の強行突入によって彼は捕縛された。

 マスメディアはこの件について、政府及び軍に見解を求めた。政府の回答は以下の通りである。


・トシハル・カイ氏は『少将待遇』ではあったが民間人であり、軍人ではない。

・都市攻撃兵器の開発を行なっていた事実はない。

・個人邸宅に於いて殺傷事件が発生したとの認識で捜査中である。

・自称ジョージ・モガなる人物を重要参考人として事情聴取中である。


 アテラス側としては至極当然の主張であったが、大量破壊兵器の開発を認める訳はない、と言う穿った見方をされるのみであった。

 アテラス國と交戦中のイザナ共和國は、國力・経済力ではアテラスに勝るものの、工業力特に先端科学分野においては若干劣位に立たされている自覚があった。國際的にも著名な研究者であったカイ氏を標的とすることで、技術格差を埋め、科学者の軍や政府に対する協力を消極的にする効果を狙ったものと推察された。

 一方のイザナ軍は『作戦に関してコメントはしない。当国の軍人は交戦国での捕縛に関して人道的な扱いを受ける権利を有する。』との声明を発し、事実上彼の主張を擁護した。

 アテラス政府は彼の処遇について頭を悩ませることとなる。



A.F.666/09/15


 母を失い、家を失い、父までも失ってしまいそうな17歳と8歳の兄弟は、政府が用意した官舎に身を寄せていた。父は2週間たった今も意識が戻っていない。父母を2人の息子たちが救出した時、母は美しく、父は痛々しかった。が、美しいまま母は逝ってしまった、痛々しかった父は今も痛々しい。

 両親は彼らに全てを与えてくれた、生命、健康、生活、知識、忍耐、何よりも底無しの愛情。唯一与えられなかったのは、叔父や叔母、従兄弟といった広義の家族だ。不仲だったわけでは無い。兄弟の無い者同士の婚姻で祖父母は既に亡くなっていただけだ。狭義の家族の絆が極めて強かった反面、親類と言うものは知識としての概念でしかなかった。

「マコトくんもミコトくんも家にいらっしゃい。」

 病院で共に、母の旅立ちを見送ってくれたアソウ夫人はそう言ってくれたが、兄弟はその申し出を断った。彼女に対して負の感情などなかったが、母の知人という感覚しか持てずにいたのは当然のことだった。また、彼女の住む街は地方都市であり、父の入院している首都の病院から離れる訳にはいかなかった。

「じゃあ、マコトくんは残ってミコトくんだけでも。」

 この申し出に弟は即座に断り、兄は僅かな時間考えはしたが、やはり断った。弟を父と引き離すに忍びなく、また8歳に過ぎない弟ではあるが、折れない芯の強さを感じていた。なにより自分が1人になると想像し、とても耐えられるものではないと感じたのであった。弟には言えない心の内であった。

 政府や慈善団体の協力もあり、2人はなんとか生活を立て直していった。夕食や家事の何割かはそうした団体の支援を受けることができた。彼ら自身、自分で出来ることは自分ですると言う、健全で前向きな考えが身に付いていたおかげでもある。

 健気な2人の営みをサポートしてくれる大人も、もちろん存在していたが、土足で踏み荒らす輩もやはり存在していた。不躾なマスコミの取材に対し、兄弟は一切のコメントを拒否した。学校や慈善団体による再三の抗議にも関わらず、取材攻勢は継続され、兄とモガ中尉を対談させると言う恥知らずな申し出まで為された。

 時には哀れな被害者遺族、時には戦争犯罪人の家族、彼らに対する視線はその都度変わった。また、そのどちらの視線も彼らが望むものとは程遠いものだった。2人は、特に人生で最も感受性の高い時期にいる兄の希望は、ただそっとしておいて欲しい、それだけだった。周囲が騒がしく、関心を持たれれば持たれるほど、自分が何者でもない、何者にもなり得ない感覚に陥ってしまうのであった。



A.F.666/12/06


 事件から3ヶ月が経過し、弟は9歳になる日を迎えた。生活は一応の安定を取り戻し、少年たちが笑顔を見せることも多くなってきた。

 2人は父の入院している病院を訪れる。両脇に植えられた、街路樹の葉が舞い散るメインストリートを抜け、巨大な白亜のビルに吸い込まれる。

 ベットの側に腰掛け、兄はいつものように最近の生活の様子を父に報告する。弟は朝プレゼントされた情報端末機を、父に自慢する。『そうか。』と返してくれる日がきっと来ると信じて。

 普段、面会は15分程で済ますが、今日は長めの滞在になった。どちらが言い出す訳でもないが、何かが起きる、起こしてくれるのではないかと、期待があったのかもしれない。だが、父はあいかわらず目を閉じたままで、手を握り返してくれることもなかった。

 病室を出て、兄は待ち合いのベンチに弟を待たせ、来訪者カードの返却を済ます。戻った時、所在なげに人々の往来を眺めていた弟がポツリと呟く。

「車椅子、押してみたいな。」

「、そうだな。押せるといいな。」

弟の慎ましい願いが叶うよう、天に願う。

(母さん、父さんを助けて。)


 今日の夕食サービスは事前キャンセルしておいた。せっかくの誕生日だからと外食を提案したら、弟の希望はチェーンの家族向けレストランだった。

(もっと良いところでも)

言いかけて、やめた。家族でよく行ったあのレストランこそ、ふさわしい気がしたからだ。

 子供らしいメニューを選び、ジュースで乾杯をして食事をする。不意に、この場に彼ら2人しかいないことに叫びたくなるが、料理を口に詰め込み一緒に呑みこむ。

 食事を終えた後、兄はおまけの玩具をいじっている、9歳になったばかりの弟に、姿勢を正してから告げた。

「ミコト、兄ちゃんは軍人になる。」

 弟は兄を見つめる、だが、驚く様子はなく返事をする。

「ふーん、そう、ボクもなるよ。」

 意外な返答に兄は唖然とした。

「いや、お前はこれからゆっくり決めればいいよ。で、士官学校って所に行くつもりなんだ。」

「知ってるよ。軍人になるための学校なんでしょ。」

(9歳で何で知ってるんだ?)

 どうも、調子が狂う。

「で、お前はアソウのおばさんの所に行くんだ。」

「やだよ、行かない。」

 即座に答える。

「行くんだ。士官学校は全寮制なんだ、全寮制ってのはな、」

「知ってる。学校に家みたいな所があってそこで暮らすんでしょ。」

「…なんで知ってんだ?そんなこと。」

「調べた。僕も軍人になるためにその学校に行くんだ。」

「いやいや、18歳に、」

 ミコトが遮って答える。

「知ってるって、まだ入れないことくらい。18歳になったら入るってこと。」

「…まあ、ミコトが士官学校に入るかは先の話として。兄ちゃんは寮で暮らす事になるんだよ。だから、」

「おばさんの所には行かないって」

「そう言ったって、1人でどうすんだよ?」

「福祉施設に入るよ。ちゃんとそういう子供のための家があるんだ。お父さんの病院の近くだよ。」

「…ミコト、お前、自分で調べたの?」

(こいつ、凄いな…)

 兄は心底、自分の弟に感心していた。

「うん、だから大丈夫。…大丈夫だよ。…お父さんの近くに居たいよ。兄ちゃんだって休みには病院に来れるだろ?お父さんと兄ちゃんの近くに居たい。それに、お父さんもうじき良くなるよ。」

 ミコトは訴える、たまらず涙が滲む。

「…わかった。ここに居られるように頼んでみるよ。」

 兄は折れた。そして、弟が望む様にと、心に決めた。

(ミコトは強い。俺なんかより何倍も強い。)

 

 2人はレストランを出る、夜風がひんやりとして気持ち良い。外出禁止時間にはまだ余裕がある、2人は星空の下、官舎に向かい歩き始めた。

「兄ちゃんはなんで軍人になることにしたの?」

 弟は前を向いたまま、兄に尋ねる。

「前から考えていたんだけどな。父さんは反対していたんだ。」

 兄もやはり、前を向いたまま答える。

「知ってるよ、ケンカしてたもんね。寝てる間に決めちゃって、お父さん怒るかな?」

(父さん…)

 父を思い浮かべる。ベットに横たわる父ではなく、厳しく優しく、温かく彼を育ててくれた父を。父は仕事に誇りを持っていた。自分の仕事は生命を護り発展に寄与する技術だと。

「…怒るだろうな。でも、父さん母さんがあんな事になって、俺は絶対に軍人になるって決めたんだ。軍人になって復讐するんだ。」

「ふくしゅう?」

「母さんの仇をとるってことだ。」

「モガって人?」

「違う。彼は命令されただけだ。イザナ軍を叩き潰す、その上でアテラス軍も解体する。そして戦争を終わらせるんだ。」

 マコトは父母を攻撃したイザナ軍を憎み、父母を護れなかったアテラス軍をも憎んだ。その上で軍人になると言うのだ。

「ニュースで戦争が終わるかもとか言っていたよ。話し合いをしているとか。」

「一旦止めても、また、起きるさ。問題はみんな棚上げだ。そうやって60年以上だ。」

「たなあげ?」

「決めずにとりあえず置いておくってこと。」

「そっか、じゃあ、終わらせるには全部決めないといけないね。」

「そうだな、大変だ。だけどやるんだ。」

「うん、絶対にやろうね。」

「ああ、絶対にだ。」


 兄弟の盟約はこうして結ばれた。



 A.F.667/01/25 アテラス軍及びイザナ軍は停戦協定に調印、第4次ミズホナ戦役は停戦した。しかし、大規模戦闘は停止したものの互いの敵視政策に変化はなく、また、衝突する利権についての合意もない本協定は、恒久平和の第一歩どころか、より大規模な衝突に向けた準備期間の始まりに過ぎない、との見解が支配的であった。

 協定には、今次戦役で双方の軍が得た戦争捕虜についての記載もあった。捕虜の交換が両軍の間で行われたが、そこにモガ中尉の姿はなかった。

 彼は結局、アテナス國内の刑法で裁判にかけられたが、罪状は不法入国及び騒乱準備罪、判決は『有罪、禁固刑6ヶ月の後、国外退去』であった。爆破事件に関しては、証拠不十分で不起訴。拘留期間の禁固刑期間充当が認められ、捕虜交換に1ヶ月程遅れて送還された。



 A.F.667/04/01  マコト・カイはアテラス軍士官学校に入学、ミコト・カイは児童福祉施設に入所した。

 士官学校におけるマコト・カイは傑出していた。生来の機転の速さに加え、他者の10倍の苦労をも厭わない努力により、学業成績は2位以下を大きく引き離して常に首位にいた。射撃や機器操作系の科目であっても、機敏な動きと抜群の状況判断、また機材の特性を活かし限界まで能力を引き出すことに長けた彼は、他の追随を許さなかった。それでいて、成績優秀者にありがちな傲慢さとは無縁で、誰とでも気さくに接するマコトは同輩からの信頼も厚かった。彼を超えられるのは彼のみ、と言うのが彼に対する周囲の評価であった。

 当の本人はと言えば、周囲ほどには自分を評価してはいなかった。自分に大した才能などない、原理から答えを導き出しているだけであって、天才などと言うものではない、と考えていた。彼の身近に、より天才的な者がいたからこその評価だったのであろう。



 A.F.667/08/20 兄弟において忘れられない、そして願い続けた日が訪れる。事件から約1年が経過したこの日、彼らの父、トシハル・カイの意識が戻ったのである。

 その日、うだる様な暑さの中、病院を訪れた息子たちは、汗を拭きつつ病室に入ってきた。父の傍らの椅子に腰かけた時、ミコトが異変に気がつく。父が目を開けていたのだ。慌てて2人が呼びかける。

「父さん!わかる?ミコトだよ!」

 ほんの少し、本当にわずかにうなずいた。兄弟は父の手を握りしめ、泣いた。18のマコトも周囲をはばからず泣き続けた。

 だが、辛いこともある。父は息子たちを優しい眼差しで見つめた後、いるべき姿を探す。動かない首を必死に動かそうとして周囲に視線を向けようとする。兄は察する、そして、意を決して、父に告げる。

「父さん、母さんは亡くなったんだ。」

 父は天井に視線を戻し、目尻から涙を流した。兄弟は何も言わず、ただ父の姿を目に焼き付けた。

 その後、トシハル・カイはゆっくりとしたペースではあるが徐々に回復し、自身の救出が息子たちによるものだったこと、長男が軍士官学校に入学したこと、次男が児童福祉施設に入所していることなどを聞くたびに、涙を流した。



 A.F.676/04/01 にミコト・カイはアテラス軍士官学校に入学した、兄に遅れること9年であった。

 彼もまた周囲の注目を集めたが、兄とは大分趣きが異なったタイプであった。

 情報系技術分野については抜群の成績であり、講師陣よりも深い知識・独創的なアイディアを発揮した。

 下記の逸話がミコト・カイの情報処理分野においての天才を物語っている。

 毎年、ITメガ企業主催の『全星サイバーコンペ』と称されるネットワーク上の大会が存在する。ルールは次の通り

・参加者は攻撃・防御の部門を選択する。両方にエントリーすることも可能。

・防御選択者は、サイバー空間の戦場に自己の工夫を凝らした防壁を構築し、主催者から配布されるキーコードを護る。

・攻撃選択者は、空間内に点在する防御拠点に格納されたキーコードを奪うため、攻撃を行う。

・対戦者の組み合わせはランダムに決められる。但し、同一アカウント同士の対戦は組まれない。

・キーコードを奪うことに成功したら、攻撃側の勝利、防御側の敗北。

・一定時間キーコードを守り切ったら、防御側の勝利、攻撃側の敗北。

・対戦を繰り返し、最終的に生き残ったものが優勝者。2位以下の順位はつけない。

 A.F.670大会は史上初の攻撃1防御1の生き残りが発生した、即ち、攻撃・防御が同一人物の作成したシステムであった。更に驚くべき事に、この完全優勝者はミコト・カイと言う12歳の中等部生徒だったのである。

 その後、いくつかのコンペティションやイベントでも無敵の強さを見せ、替え玉説やまぐれに過ぎないという、僻み嫉みに満ちた希望的予想を完膚なきまでに打ち崩した。

 しかし、彼の活躍は1年程度の期間のみで、その後は表舞台に全く立たなくなってしまった。3年前、世に衝撃を与えたカイ夫妻爆破事件(別称モガ中尉事件)、そのカイ氏の子息であること、また児童福祉施設に入所していることをマスコミが騒ぎたてた。そのことに嫌気がさしてしまったのだと噂され、また、事実そうであった。

 表舞台から去ったミコトであったが、その才能に目をつけた研究者や企業からの依頼には応えることが多く、常識に囚われない独創性に富んだシステムをいくつも構築した。これらの協力は、自分の名を一切公開しないという条件で行われていたため、公には明らかになっていない。しかし、この分野のトップ企業や研究者層に、ミコト・カイの名は知れ渡っていたのである。


 一方で、彼が興味を持っていない科目については落第点ギリギリであった。また、努力の跡というものを示せば可愛げも有るのだが、まったくもって努力していないことが見え見えの答案を提出し続けた。それでも、再試・落第にならない程度の点数を取るあたりが、更に可愛げがないと言われ、講師陣の評価は決して芳しいものではなかった。

 人物的にも、限られた気心しれた仲間内で過ごすことを好み、兄と異なり人気者といった風ではなかった。

 軍は当然の対応として、彼の情報戦における類いまれな能力の有効活用を考え、士官学校卒業後は諜報部隊への配属を決めたのであった。



A.F.681/12/27


 年の瀬に迫ったこの日、惑星アテラスの首都アマノイは雨であった。アマノイは比較的温暖な気候で、雪になることは滅多にないが、冬はそれなりに冷え込む。加えて雨で寒々しく、人々は足早に家路に向かうのであった。

 アテラス軍軍令部の1室にマコト・カイの姿がある。彼は総合作戦課に所属しており、課長であるスルギ・パク少将に向かい起立の姿勢で敬礼をする。

「カイ少佐、参りました。」

 座ったまま答礼し、パクは手元の情報端末に目を落としながら、目の前の若者に話し始める。

「貴官の情報分析報告書と作戦案を読んだ。なかなか興味深い内容だった。」

「はっ」

 パクは多少困惑しているように見える。

「しかし、敵、ではない、敵性勢力を我が國の勢力圏に引きずり混むのは良いとして、タイミングを誤れば一方的に奇襲を受けて終わりではないのか。」

「おっしゃる通りです。敵性勢力が攻撃を開始する一瞬前にこちらが気付く。これが本作戦の要点です。」

「まぁ、わかるが…スエツミからの情報をそこまで真に受けて大丈夫か?敵が出てくるのであれば、侵入軌道上で待ち受けた方が確実ではないか?」

「それでは、索敵段階で発見され、逃げられて終わりです。スエツミの集める情報の量と質は、この2年間で飛躍的に向上しております。」

『スエツミ』アテラス軍軍令部作戦部に設置された、諜報部隊の名である。各國政府や軍をはじめとした、あらゆる機関の動向について、情報を収集し作戦部に提供するのが主任務である。また、作戦課と協力し虚偽情報を敵性組織に流す、敵性組織内の情報を操作し分裂・混乱を誘発するなどの、より攻撃的かつ非公式の情報活動についても指揮をとる組織である。当然、軍内でも秘匿事項が多く、一般将兵には存在すら明らかになっていない。

「2年間か…天才が入ったからな。」

 パクの口調が若干、嫌味を含んだものになる。

「スエツミの能力向上は、課員全員の努力によるものと考えます。ですが、カイ中尉の情報管制能力に、疑念を挟む余地は無いと考えております。」

 マコトは形式張って答える。『天才』と言えば彼の弟を指す。作戦部では既に共通認識になっている。

「カイ中尉の能力に疑念などないさ。あれは正真正銘の天才だ。旧来の課員が束になっても対抗できないだろう。いや、できなかった。」

 パクは続ける。

「だが、戦場は装備や情報だけで動くものでもない。将兵の士気や指揮官の性格…も分析済みか、まったく。」

 パクは形容し難い表情で情報端末を閉じる。そして、視線をあげマコトの顔を見る。

「では、提案の作戦は却下でしょうか。」

「いや、採用する方向で進める。研究を続けろ。」

 マコトは敬礼をしつつ答える。

「承知致しました。作戦について研究を続けます。」

 マコト・カイ少佐は部屋を退室する。組んだ手を口元に当てて、閉まるドアを見つめパクは思う。

(弟だけじゃない。お前の方も相当だ。いずれは総長か…)



 アテナス軍軍令部ビルの正面、傘をさし白い息を吐きながら兄は立っている。

「兄さん、お待たせ。」

 まだあどけない顔つきの若い士官が、右脇にコートと傘を抱えて小走りで近づいてくる。

「今日は散歩は無理だね。タイヤが(はま)っちゃう。」

「そうだな。いつも行ってるから今日はいいだろ。見舞いの後は食事に行こう。」

「いいね。」

 2人は病院に向かって歩き始めた。他愛のない家族の会話をしながら。


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