第二十四話
「突如として発生したヤマト・プログラムの世界的な機能停止から、今日で二週間が経ちました。この件について、日本帝国工業社は大規模なバグが原因との見解を示しております。その高度な人工知能を売りとしてきた同社ですが、現在リコールの申請を出しております」
壁に映された画面から、ニュースキャスターが平坦な口調で話してくる。午後の暖かい光が降り注ぐアンドロイド修理所で、サニーはテレビをぼんやり見ていた。
外から子ども達が遊ぶ無邪気な声が聞こえてくる。そんな些細な平和さえ少し前までは考えられないことだった。世界は何事も無かったかのように、平常を取り戻しつつあることを実感する。
ヤマト・プログラムを緊急停止させてから今日に至るまで、あの日のことは未だ報道されていない。インターネットで細かく調べても、痕跡すら出てこなかった。
「日本帝国工業は大企業だから、上手く揉み消したんでしょうよ」サニーの隣で鎌原が言う。背中にかかるくらい長かった髪を、首にもかからないくらいのショートカットにしていた。あの女性型アンドロイドとの戦闘で髪を切られたからだ。左目には眼帯をつけている。その時の戦闘で負った怪我だが、その目にはもう光が宿らないかもしれない。外からは見えないが、胴体にも包帯が巻かれているはずだ。「……うん」サニーが呟くと、次のニュースが始まった。
「世界的に急速な高まりのあった開戦機運ですが、熱を冷ましたように消失しました。アメリカ大合衆帝国とメキシコ国で見られた小規模な戦闘も収まり、近々和平条約の締結に向けた二国間会談が開かれる見通しです」アメリカ大合衆帝国のチャーリー大統領が出てくる。汗を拭きながら、今回の一件についての釈明を始めた。
あの日から被害妄想に囚われていた人々は、夢から覚めたように正気に戻っている。治安も回復し、怖い暴徒などはもう何処にもいなかった。サニーがテレビを眺めていると、流れるようにニュースが続いていく。
「新型認知症として突如出現した脳汚染病ですが、先日特効薬の開発に日本帝国の医療チームが成功しました。陳勝試験でも期待以上の効果が認められ、現在承認に向けて手続きが進まれております。開発チームの大木医師と森井医師のコメントです」
画面の中でラグビー選手のように筋骨隆々な大柄の男性医師と、同じく長身だがモデルのように細身の男性医師が何か話し始めた。どうやら血液脳関門を通過できるナノ粒子を利用して薬を開発したようだが、サニーには良く分からなかった。
「このまま世界は平和になっていくと良いわね」鎌原も一緒に画面を見ている。落ち着いた表情をしている。「今までも、平和は平和だったんだ。でも、それは表面的なことで、陰では今まで通り苦しんでいる人達がいた。アランはそういう人達を救おうとしてたんだ」「……そうね」鎌原は伏し目がちに言った。
今アランは、修理所の奥に増設した部屋でベッドに横たわっている。あれからずっと、反応が無いままだ。サニー達が修理所に戻ってきてから、すぐに医者に診せた。診断は遷延性意識障害、いわゆる植物状態、ベジの可能性が高いとのことである。
医学的には自力移動が不可能、自力での食事が不可能、意味のある発語が不可能、意思疎通がほぼ不可能、糞尿失禁がある、眼球で物の認識ができない、といった六つの項目が三か月以上続いた場合に診断されるが、アランが言ったことを考えると植物状態なのはほぼ確定だろう。ただ眠っているようにしか見えないが、その目はもう開かないのか。サニーはこの二週間が二年のようにも感じていた。出来ることならもう一度アランに謝りたい。
「脳死じゃなくて植物状態なら、まだ意識が戻る可能性はあるわ」医者と同じ慰めの言葉を鎌原が言った時、 ガラガラと音を立てて修理所の扉が開いた。大英帝国家に帰ってきてから、修理所は休業したままだ。アンドロイドの修理依頼は以前と同じくらい受けているが、すべて断ってしまっている。まだサニーにはどうしても修理所を開く気にはなれなかった。
大きな人影が修理所内に入り込んでくるが、誰が尋ねてきたかは大体予想がつく。「よっ」声の方を見ると、イリヤが扉の横に立っていた。人間至上主義にいた頃の紺色の制服は身に着けておらず、半袖のシャツにゆったりとしたズボン、履物はスニーカーというラフな格好をしている。シャツから出ている腕や、顔には白い清潔感のあるガーゼが張り付いていた。所々見られる青あざが痛々しい。まだ怪我は完全には治りきっていないようだ。
イリヤは大英帝国家に戻ってきてから、サニーのアンドロイド修理所に良く顔を出す。ペティの淹れた紅茶を飲み、鎌原達と話しをして帰っていく。その度に以前の荒っぽい態度は軟化していった。
「あんた、また来たの?暇ねぇ」鎌原が呆れた声を出す。「べ、別に暇じゃねえよ!」「どうかしらね。ところで、新しい組織の立ち上げは上手くいってるの?」「あぁ、なんとかな。と言っても、まだまだやることはたくさんあるわけだが。」
結局人間至上主義は解体され、元隊員達もほとんど戻ってこなかった。その後、イリヤは人間とアンドロイドの共生関係をもっと良くするための組織を作っているらしい。建物は人間至上主義の物をそのまま使うようだ。新組織設立に向けての事務処理は順調だが、人を集めるのに苦労していると言っていた。もちろん鎌原にも声はかかっていたが、保留にしている。
「こんにちは、イリヤさん。今お茶を淹れますね」ペティが奥から出てきた。何か作業をしていたようで、手には工具を持っている。「よう、ペティ。悪いな、気を遣わせちゃって。調子はどうだ?」ペティに対しても良好な関係を築けているようだ。
「……サニー、辛いのはわかるが、お前がいるまでもそんなだとアランも報われないぜ」イリヤがテレビを見ているサニーに近づいてきて言った。「……そうだね。」イリヤの声かけにもサニーは視線を動かさない。「皆さん、お茶が湧きましたよ」ペティがティーセットを持ってやってきた。
紅茶の快い香りが溶け込むように空中へ広がる。心なしか皆の胸が軽くなった。「先生もいかがですか?」ペティが紅茶を入れた向日葵のティーカップを渡してくれる。並々と注がれた紅茶から、ゆったりと白い湯気が立っていた。
「あぁ、頂くよ。ありがとう、ペティ」ペティは基本的に無表情だが長年一緒にいたサニーには、何んとなく感情が伝わるような気がしている。修理した後も、ペティにはヤマト・プログラムはインストールしていない。そのため、ペティに自我は無いはずだが、あの日から一緒に悲しんでくれていることが分かった。
「相変わらず、良い香りだ」濃い赤褐色の水色で、芳醇な香りが漂う。サニーがゆっくり飲むと、コクが深く強い甘味を感じた。アッサムティーだ。
ふと、サニーの頭に鎌原とイリヤに初めて会った次の日のことが思い出される。アランの心配そうな顔、怒っている顔、色んな表情のアランが浮かんできた。サニーはティーカップを置いて、身体を丸める。
「ちょっと、大丈夫!?」「おい、どうした!」「どうされましたか、先生!?」暫くサニーはその体勢のままだったが、突然立ち上がった。「うわっ!」「うおっ!」鎌原とイリヤが驚いて仰け反る。「僕は生きるよ。もちろん、アランと一緒にね。この世界を導くって約束したから」
サニーの晴々した顔を見て、鎌原、イリヤ、ペティの顔に小さな笑みが浮かぶ。入口のステンドグラスを通る光が、ただただ美しかった。
《新連載のお知らせ》
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