16. 私が初めて触れる魔法
「トロワ大丈夫かな?」
トロワが空気孔から出ていって、だいぶ時間がたった…と思う。時間を確認するすべもなく、何もない暗い空間では時間感覚もわからなくなり思いの外、そんなに経っていないのかもしれない。
トロワには黒猫に出会えてリボンを渡したら戻ってこないで、みんなと行動するよう言ってあるから、知らせがないのは無事なんだと思いたい。迷子になって泣いてないといいけどな…
祈るように胸の前に組んでいた両手を外し、扉から離れた部屋の角に座った。もう自分でできることはないだろうから、体力的温存のために休んでいるのが得策だろうと考えた。
最悪、売られる途中で逃げ出せるかもしれないし…
もう一度扉に体当たりしても良かったが、怒った見張りの男が入ってくるのも恐ろしいし、自分のなかで扉が開いたら最後のような気がしていたのもあった。死刑執行前の囚人のような気持ちになっていた。
「……ふぁっ」
不謹慎だと思うが、暗闇で長い時間一人で座っていると自然に欠伸が出てくる。もう、暗闇は怖くない。今はオバケより人間の方が怖いことがわかったから…
なんだか、また眠くなってきた。嫌だな、眠って起きたら売られてたなんて。もう一度、お兄ちゃんに会いたい…このまま、さようならなんて嫌だよ…
まだ薬の効果が十分切れてないのか、眠気と共に考えがまとまらなくなっていく。危機感を感じながらも強制的な眠りに抗えず瞼が閉じていった。
「ん……」
大きな物音に目が覚める。
暗い部屋の片隅でうずくまっていた体を起こすと、突然ドアの向こうで男達の怒声やなにかが倒れる音が響いている。それは今まで聞いたことのない恐ろしい音だった。閉鎖された空間では逃げ場はなく、扉から離れた部屋の隅で縮こまることしかできなかった。
扉の向こうでガチャガチャと鍵を扱う音が聞こえると厚い扉がゆっくり開いた。
「ウル…、無事…?」
「お兄ちゃん!」
見知った声に安堵し立ち上がろうとしたが、お兄ちゃんが近づいてくると違和感を感じ、その場で固まってしまう。いつも澄んでるお兄ちゃんの碧眼が灰がかった青緑色へと変化していて、瞳孔も開いていた。隙のない冷たい目が光り、いつもの笑顔はなく表情が消えていた。
「良かった…、無事で… 」
その目に体が凍りつき動けないでいると、思いつめたような顔で私の前にしゃがみこんでくる。
「…お兄ちゃん?」
「体が冷たい」
お兄ちゃんが腕をさすってくれ上着を脱いで私を包みこむと、軽々と抱き上げる。上着で視界を隠されているのもあるが、頭を肩に押さえつけ何も見せないように固定してくる。
お兄ちゃんの鼓動が早鐘を打っていて何かが起こっているのがわかり、不安から首にしがみつく。
「帰ろう…、ウルは見ないで…」
お兄ちゃんが私を抱き上げたまま、歩いてく。不自然なほどまわりが静かで、そっと隙間から床を見ると、大きな男の人達が倒れているのがわかる。
生きてるよね…
恐ろしいものを見てしまったような気がして体が震え出したため、自分から目をつぶって視界を遮った。声を出して疑問を口にしたら、何もかもが終わってしまうような気がして、すべてをシャットアウトして、お兄ちゃんにしがみつくことしかできなかった。
「ウル、もう大丈夫だよ」
顔を上げると頬に冷たい風があたり、外に出たことがわかった。目の前に大きな砦が広がる。門の前に二人の男が倒れているのが見えて、お兄ちゃんの服を握りしめて悲鳴を上げそうになるのをこらえた。
お兄ちゃんは平然と歩き続け、砦から少し離れた大きな樫の木の下に降ろして座らせてくれる。頬に手を滑らせて私の体温を確かめてると、ようやく少し口角があがったが、目は瞳孔が開いたままで色も戻っていなかった。
「お兄ちゃん…、目が…」
震えながら指摘すると、お兄ちゃんは眉をしかめて顔を横にそらして、私に見えないように目を手で覆った。
「ごめん、怯えさせるつもりはないんだ。少したてば戻るから」
私の言葉でお兄ちゃんを傷つけてしまったような気がして、慌てて抱きしめようと手を伸ばしたところで木のまわりに強い風が吹き抜ける。
「キャッ!!」
強い風に手を弾き飛ばされる。風は一瞬で止み恐る恐る目を開けると、お兄ちゃんの後ろには長い漆黒のローブを来てフードを目深に被った人がいた。膝をついたお兄ちゃんの喉元に杖を突き立てている。お兄ちゃんも私も上から見下ろされ圧倒的な威圧感に動けなくなってしまう。
「強い魔力を感じて来てみたが、お前からか?」
フードで顔は見えないが低い男性の声だった。
「くっ…」
お兄ちゃんが口を歪めて意を決したように振り返り立ち上がろうとすると、杖で胸を殴打される。
地面に仰向けに叩きつけられると、胸に杖をめり込ませ押さえつけられる。
「その程度の力で俺をどうにかできると思うなよ。ガキが」
「ぐあっ!!」
「お兄ちゃん!!」
苦痛の声と共にお兄ちゃんの目の色が赤く染まっていく。目の前で起こってることに理解がおいつかないが、お兄ちゃんの今の姿をこの人に見せてはいけないと本能的に感じた。
「やめて、やめてお願い!死んじゃうよ!」
ローブの男の腕にしがみつくと、舌打ちをして杖を離してくれる。
「ゴホッゴホッ」
お兄ちゃんが咳きこみながら起き上がろうとする体を支える。
「まったく面倒だな。出番だぞ騎士団ども」
その言葉と共に、男が杖を一振りすると同時に、私達の周囲に鎧と兜を身につけ帯剣した屈強な男達が整然と現れる。
非現実的な光景に、唖然としていると現れた騎士達にお兄ちゃんは取り押さえられ、私は引き剥がされた。ローブの男は押さえつけられたお兄ちゃんに黒い布で目隠しをする。
どうして私達が犯罪者みたいになってるの?誤解をとかないと。
私は捕まえられている騎士の腕のなかでバタバタと暴れだす。
「おっと、お嬢ちゃん暴れないで。怪我させたくないんだ」
「ちょっと、なんで乱暴されなきゃいけないの!?お兄ちゃんは何もしてない!誘拐された私を助けてくれただけなんだからね!悪い人は砦のなかにいるんだから、その人達を捕まえて!」
騎士達に指示を与えているローブの男に向かって暴力反対!と叫んでいると、ため息をつき目の前まで歩いてくる。杖で軽くポカッと頭を叩かれた。
「イタっ!」
「魔導師殿、子供ですから。お手柔らかに」
魔導師だと?
「うるさい。何もしてないだと、お前は砦のなかを見てないのか?」
「ウルに言うな!!」
押さえつけられながら、お兄ちゃんが叫ぶ。もがいているが大人の力には敵わないようだった。
魔導師は、目線に合わせるように屈んでくる。
「俺達は人身売買の組織を捕まえるために張っていた。この砦で取引があると聞き来てみれば、お前の言う、その人達は全員気絶し精神に異常をきたしているものもいた。状況からいって精神作用系統の魔法を何者かが使ったのは明らかだ。精神に作用する魔法は許可がない限り使用は禁じられている。それだけ危険な魔法をコントロールできないものが乱用したらどうなるか、結果はこの通りだ。これは犯罪だ」
「……つっ、そんな…」
魔法…
そうだアシルは貴族の庶子。魔力を持っているんだった。小説のなかでアシルの得意魔法は確かに精神作用系の魔法だった。その力を使い、貴族の子供を拐っていた。でも、精神に異常をきたすなんて書いてなかった。
砦のなかで男達が倒れている光景を思い出す。そうか、お兄ちゃんはまだ天才魔導師じゃない。コントロールできないんだ。私を助けるためにきっと自覚なく恐ろしい魔法を使ったんだ。私の…、私のせいだ。
私が下を向いて震えそうになる手を握りしめムッツリ黙ると、興味深そうに魔導師がのぞきこんでくる。
「ふむ、魔法と聞いても動揺しないか。庶民には馴染みがない力を、お前のお兄ちゃんとやらが使ったんだぞ、驚かないのか…それとも知ってたか?」
探るような物言いに、動揺を隠しながら言い返す。
「もう十分驚いてます!バカにしないで、魔法だって本で読んで勉強してるんだから!それにお兄ちゃんが魔法を使うなんて知るわけないでしょう!?」
「ふん、大きな声を出して同意してると同じようなものだ」
「なっ!?」
「……魔導師殿、大人げないですよ。それに、ペラペラと機密事項まで喋って」
子供と大人の言い合いに、苦笑いで仲介に入ろうと騎士の手がゆるんだのを見計らって腕のなかから飛び出す。
「あっ、コラっ!」
あっかんべーをして逃げようとしたら、魔導師に足を引っかけられて盛大に転ぶ。
「ぶっ、ペッペッ、土食べちゃったじゃない!」
「全くお前は逃げられるとでも思ってるのか。もう静かにしてろ…」
逃げられるとは思っていなかったが一番辛い思いをしている、お兄ちゃんの側に行きたかった。私のためにごめんなさい、助けてくれてありがとうって伝えかった。どうしても抱きしめたかったんだ。
起き上がろうとしたところで魔導師が聞いたことのない言葉を発して、もう一度頭をポカッと軽く叩かれた瞬間、視界が暗転して深い眠りへと落ちていった。
樫の木の枝に一匹の猫と三羽の鳥が、静かに事の成り行きを見守っていた。
意識を失ったウルリーカと捕らえられたアシルが夜にまぎれられるような色合いの馬車に乗せられていく。騎士の大部分が残り、砦の後処理を行うようだ。
『ちょっと、助けなくていいの?またウルリーカが連れていかれちゃうわよ』
『あれは大丈夫だ。みんな辺境伯爵お抱えの魔導師と騎士団だからな。この状況では保護された方が安全だろう』
『あんた、猫のくせになんでそんなことわかるのよ…』
『お前達は、もう戻れ。ウルリーカは心配ない』
これ以上、喋るつもりはないのか木の枝を伝いながら軽々と地面に飛び降りる。
『またウルちゃんに、ついていったほうがいい?でもウルちゃんには、みんなといろっていわれてるし…』
トロワはどれを優先していいのかわからずオロオロと枝の上で歩き回っている。
『黒猫さんが安全だと言うなら、もう大丈夫でしょう』
『そんなに信頼していいのかしら』
ドゥも半信半疑だが、魔法陣を使って孤児院からアシルを連れてきたのは黒猫だった。そのおかげでウルリーカは助かっている。
ー黒猫はアシルが魔法を使えることを以前から知っていた?
ドゥは黒猫が、なにもかも見越して行動してるように思えた。
アシルが砦のなかを歩いていくだけで、大男が悶えて倒れていくのは、なかなか異様な光景だった。アンとトロワは怖がって外に待機していたくらいだ。その中を平然と黒猫はついていった。自分は気分が悪くなり、ウルリーカに声すらかけられなかったのに。
現に今も黒猫がみゃーんと鳴くと、馬車に乗り込もうとした魔導師が振り返り、頭を下げたのだ。
それは臣下の礼だった。
ー深く関わるべきではないのかもしれない。
それがドゥの結論だった。
『さあ、私達も帰りますよ。明日には、ウルリーカさんも帰ってくるでしょう』
『わーい、ウルちゃんが帰ってくる』
『なんの根拠があるのよ!』
『勘です』
ドゥが羽を広げて飛び立つとトロワも素直についてくる。アンもブツブツと小言を言いながら、三羽で孤児院へと戻っていった。




