17. 私達の道が別れるとき
「うー、痛いよー」
「全身打ち身と打撲だって。この状態でよく動けたってエインズワース先生が驚いてたよ」
「エルマー、背中さすって…」
「僕は生身の人間を触れないの知ってるでしょう?ほら観念して痛み止めの薬湯を飲みなよ」
「苦いからやだよ…」
あの夜から三日が過ぎた。目が覚めると、流行り病の時にお世話になった孤児院のベッドの上だった。神父様、エインズワース先生の安堵した顔を見たら全部夢だったんじゃないかと錯覚してしまうほどで、ただ日常と違うところは体に残る沢山の傷と、いくら待ってもお兄ちゃんは孤児院へ帰ってくることはなかった。
目が覚めた時、神父様にお兄ちゃんのことを聞いたけれど泣きそうな顔をして怖い思いをさせて悪かった、俺が悪いんだと謝るだけで何も答えてくれなかった。神父様は信頼していたシスター・ヘルマが人身売買に加担していたことにショックを受けていて、その辛そうな顔にそれ以上聞くことはできなかった。エインズワース先生からは、今は体を癒しなさいとしか言われなかった。
シスター・ヘルマは騒ぎの次の日には町に駐在していた騎士達に捕らえられた。最初は抵抗していたが神父様に諭されると涙を流し罪を認めたそうだ。
シスター・ヘルマのことを許す日はこないだろうが、孤独な彼女の叫びを思い出すたびに涙が溢れて仕方なかった。きっと神父様もこんなことが起こる前に何かできたはずだと胸を痛めているに違いない。
小説のような悲劇にはならなかったが誰も幸せにならない悲しい結末だった。
私が落ち込んでいるのがわかるのか昼間はアン、ドゥ、トロワが大騒ぎしながら付き添ってくれて、夜はエルマーが寝るまでつきあってくれていた。今も触れないといいながら背中の痛みでうつ伏せで寝てる私の横に座り、背中を撫でるように手を動かしてくれている。いつも後ろ向きな私の背中を無理矢理押してくれるエルマーも今回は静かにそばで見守ってくれている。
「ねえ、エルマー」
「うん?」
「お兄ちゃんは元気かな?」
「元気なんじゃない。君に会わせろって騒いでると思うよ。なんにせよ、君の話だと貴族の子供らしいから悪いようにはされないさ」
「…そうだね」
「今、君にできることは怪我を治すことだと思うよ。彼がここにいたら無理矢理、薬湯を飲ませてるはずだからね」
「ずるい言い方…、いてて」
痛む体を起こして薬湯を一気に飲んだ。
「っにが!」
「よくできました」
うーっと唸りながら、枕に顔を押しつけて苦味を誤魔化しながらうつ伏せ寝に戻る。
いつもなら、お兄ちゃんが頭を撫でてくれながら飲ませてくれるのに。お兄ちゃんなら、お兄ちゃんだったら…どうしようもないことだけれど、自分の隣が寂しくて仕方ない。みんなが気を使ってそばにいてくれてるのに、私は毎日感謝しながら酷いことを思っている。
慣れなきゃいけないと思う。このまま物語のように進むなら、お兄ちゃんを本当の家族が迎えに来る。だってあの魔導師は、お兄ちゃんの力は危険だと言った。力を持つものは貴族だけ…、きっと小説のアシルも魔力持ちが露見する事件があったんだろう。
また、前世のように孤独になっちゃう…
家族の温かさを知ってから強くなるどころか臆病になってる自分がいる。私のことを助けてくれたお兄ちゃんの心配じゃなくて自分のこれからを考えてしまう最低なヤツだ。私が大人にお兄ちゃんのことを聞かないのは貴族の子供なら傷つけられないというのがわかっているから本当に達が悪い。怖いのはお兄ちゃんの未来に私が不要になることだ。もう未来がわかっていても手出しなんてできない段階にきている。前世の記憶なんてなかったら、こんなに苦しくなかったのかな?
涙がこぼれないように、さらに顔を枕に強く押しつける。
「…っ、……うっ」
「…涙は拭いてあげられないけど、話なら聞けるよ。どんな嫌な感情でも酷い言葉でも受け止めるよ。君以外、だれも喋る人はいないから秘密も守れる」
振り返るとエルマーがベッドに座りながら、窓から月を見上げている。私の泣き顔は見てないよと言うように。その横顔が月明かりに照らされいて、儚くてとても綺麗だった。自分が醜く感じて見ていられず顔を突っ伏した。
「…私が原因でみんなつらい思いをしてる。シスター・ヘルマを追いつめたのも私かもしれない」
「うん…」
「でも悲しいふりして心の中では安心してる。小説のウルリーカのようにならなかった。良かったって、悪いのは全部シスター・ヘルマだ。自業自得だ…私は悪くないって」
「うん……」
「お兄ちゃんのことが心配だって言いながら、心配してるのは自分のこと」
「……」
「これから小説ように進むならお兄ちゃんの幸せはなんなのか答えが出てるのに私は、私は…、本当の家族に会わせたくないって思ってる。お兄ちゃんは自分を犠牲にして私を守ってくれたのに! みんなが優しくしてくれるたびに違うお兄ちゃんじゃない、お兄ちゃんがいなくちゃ嫌だって…、一人になるのが怖い!」
「……」
「私はみんなに守ってもらえる人間じゃない!」
堪えきれず本音がぼろぼろと溢れだす。最後は何を言いたいのかわからなかった。シスター・ヘルマに生まれて初めて自分を否定されて怖かった。全部、自分が悪いんじゃないかって、自分の行動で助けられる人もいたんじゃないかって考えても答えはでなくて… お前のせいだって誰かに責められるのを怯えていた。
ただエルマーに全部吐き出して、君は悪くないって言ってほしかっただけなのかもしれない。この醜い感情を正当化したかっただけなのかもしれない。
「…それでも僕は君が好きだよ。みんな君が大好きなんだ」
エルマーは最後まで話を聞き終えると否定することも諭すことも励ますこともせず、静かな声で私のことが好きだと言って消えた。
防音なんてない小さな孤児院の個室で、私は大きな声を出して泣いた。
私がようやく日常生活に戻れるようになったのは、お兄ちゃんがいなくなって10日たった頃だった。




