15. 私を助ける理由
『ウルちゃん、ウルちゃんおきて』
ワンピースをツンツン引っ張られる感触と泣き出しそうな見知った声に驚いて体を起こそうとしたときに、全身に激痛が走った。
「いっっったー!!うえっ、ゴホッゴホッ!!ほ、埃食べた」
痛みで起こした体を支えられず、もう一度、硬い床に仰向けに寝転ぶと砂埃が舞う。
ペッペッと埃を口から吐き出すと心配そうに覗きこむトロワの顔が目の前に広がる。
『ウルちゃんがおきた!』
「トロワ!?」
トロワは私が目覚めたことに喜び、私の周りをパタパタと飛んでいる。少しずつ暗闇に目が慣れてきて痛みで顔を歪めながらゆっくりと起き上がった。
壁も天井も床も石造りで、あちこちに蜘蛛の巣、床は砂埃が積もっている。点々とついてる小さな足跡は見ないふりをした。天井はすごく高くて、天井に届くくらいに鉄格子のついた空気孔みたいな窓が見えた。一つだけあるドアも錆びているが頑丈な金属で、この部屋を一言で言うと…
「牢屋みたい…」
意識を失う前の出来事を少しずつ思い出す。
ふたりから、なんとか逃げ出したと思ったけど結局捕まってしまったんだ。このままじゃ、自分が売られてしまう。夢の中の自分の姿を思いだし血の気が引いていくと同時に鼓動がどくどくとうるさく響く。
慌てて立ち上がり金属のドアを押すがピクリとも動かず、ドアノブなんて親切なものもなかった。完全に内側から開けられない仕様になっていて、だめもとでドンドン扉を叩くが、外側からドカッと反対に蹴られた。うるせえという野太い怒声と蹴られたドアの衝撃でよろけてしまう。
ということは外に見張りも立っているということだ。見張りは声の様子から乱暴な大男が想像でき、ここから出られたとしても逃げ切れる気がしない。
他に何か脱出する方法はないかと上を見るが、はるか頭上に空気孔があるだけで登るなんて到底無理だし、小さな空気孔の鉄格子をすり抜けることも不可能に近い。
絶望的な状況に汚れるのも気にせずへたり込むと、どうしてこんなひどい目に合わなければならないのかと怒りを通り越して、悲しくなってきた。少しずつ状況は違えど小説のように進んでいくことに、自分の頑張りは無駄なのかと気持ちが沈み後ろ向きになってしまう。
ヒロインだったら…この状況がヒロインなら…
考えても仕方ないことが、頭に浮かんでは消えていく。
『ウルちゃん、よかったー。おきなかったら、どうしようってしんぱいだったんだ』
泣きそうになっているところにトロワが本当に嬉しそうな声で肩へ乗り、頬に体を擦りつけてくる。
「と、トロワー」
じわっと涙が溢れそうになる。
世界中敵しかいないんじゃないかと思っていたところに、小さな温もりが尖った気持ちを穏やかにしてくれる。そうだ、私はもう一人じゃないんだった。小説ではウルリーカが売られてしまうときは、お兄ちゃんはもう孤児院にいなかった。今なら、きっと異変に気付いて探してくれるはず。流行病に罹ったとき以上に大騒ぎになる気がする。
とにかく、今できることをしないと。静かに助けを待ってるだけなんてだめだ。エルマーと約束したじゃないか、最後まで諦めないって。
頬にあたる温もりを存分に味わって気持ちを奮い立たせてから、トロワを両手のひらに乗せる。トロワがいるということは、アンとドゥもきているはずだ。
「トロワ、ここが何処だかわかる?アンとドゥは?」
トロワは頭をプルプルと振る。
『わかんない。アンとドゥはウルちゃんをたすけようとして、たたかれちゃったの。ぼくはこわくて、こわくて、そうしたらクロネコちゃんがきて、ウルちゃんのポケットにはいってなさいって…そしたら、ここにいたの』
「みんなで助けてくれたんだね…」
アンとドゥが私を助けるために傷つけられたことに胸が痛む。今は無事を祈ることしかできないのが歯がゆい。私がピンチになれば身を呈して助けてくれる、こんなにも自分を大切に思って心配してくれる仲間がたくさんいる。絶対に帰らなくちゃ、みんなで。
トロワをそっと床に置く。羽についてる埃をはらってから、私の髪を結っているエメラルドグリーンのリボンをほどきトロワの小さな足に結ぶ。
黒猫はもしかしたら、この状況を見越して、トロワをポケットに忍びこませたのかもしれない。この間の黒猫とのやり取りを思い出す。もしかしたら勘違いかもしれないけれど、今はこの方法に賭けるしかない。黒猫が助けてくれることを不思議に思ったが、今は考えてる暇はない。やれることをやる!これ一択のみだ。
「トロワお願いがあるの」
私の真剣な声にトロワが姿勢をピッと正した。
※※※※※※※※※※※
厚く覆っていた雲が風に吹かれ少しずつ月明かりが出るようになった頃、一匹と二羽は打ち捨てられた砦の前にいた。
『だ、だいぶ町から離れたわね。こんなところに砦があるなんて知らなかったわ』
『見張りも厳重ですね。かなりの人数が出入りしてるところをみると、個人的なものではなく組織的なものを感じますね』
『組織って何してるのよ』
『この状況から言うと人身売買ですかね…』
『じっ!!』
砦の前に止めてある荷馬車の幌の上に座っている黒猫の横に、アンとドゥがゆっくりと降りる。赤毛の男はウルリーカを抱えながら、さっさと砦に入っていった。砦に入る前に飛びかかることもできたが、さっきの二の舞になることは必須だったため悔しいが静かに空から見送った。それよりも、自分たちのせいで激昂した男にウルリーカが傷つけられるのが怖かった。
入り口には見張りの男が二人いるが幌の上に長い時間、猫と鳥がいても何も不思議に思っていないのが幸いだった。
『ここら辺は、国境に近い辺境伯領だからな。昔の戦争で打ち捨てられた砦が多くあるんだ。有事の際は使用できるよう管理しているものがいるはずだが…買収されたか、殺されたか…』
黒猫はなんでもないことのように話し始める。
『ちょっと冷静に恐ろしいこと言わないでよ!ウルリーカは大丈夫なの?』
『国境に近いということは、様々な物が売買されているということですね。国境を超えてしまえば治外法権が発生すると。アン、ウルリーカさんは大丈夫ですよ。大事な商品ですから…まあ商品のうちは…』
黒猫は無言で同意し、砦を静かに見つめている。
『あんたたちの会話は不穏すぎて全然、安心できないのよ!ていうかこれから、どうするのよ。どうやって私達だけで助けるの?』
黒猫とドゥの訳知り顔に苛つきアンが吼える。
『そうですね。黒猫さん、ついてこいと言ったからには何か案があるんですか?』
黒猫は質問に答えず幌から飛び降りると、見張り番の横を通り過ぎて砦の壁伝いを歩き始める。二羽もならって黒猫の後に続く。
『ちょっと、何処に行くのよ。入り口見張ってなくていいの?』
『こういう砦には捕虜を留置しておくところがあるんだ。大抵、地下に造られていて地面近くに空気孔があるはずだ。あいつが馬鹿じゃなければ、そろそろ出てくるはずだ』
『説明不足で何がなんだか、さっぱりよ…』
一匹と二羽で歩き続けると、黒猫の言うように地面すれすれの壁に小さな鉄格子のついた空気孔らしきものが現れた。
『なるほど、ここにウルリーカさんがいるんですね』
『確証はないがな…』
『下が暗くて見えないわね。ここからどうやってウルリーカを助け出すのよ』
『馬鹿か、こんなところから人間が逃げられるわけないだろう。サイズが違いすぎる』
『きー!あんた、今度という今度は許さないわよ!』
黒猫の言葉にアンが羽を膨らませ威嚇のポーズを取ると、やれるものならやってみろと黒猫が距離を取り獲物を狙うように体制を低くし尻尾を高く上げる。一発触発の空気に、やれやれとドゥが仲裁に入ろうとしたとき、赤い塊が空気孔からポテッと飛び出してきた。それを目の端で確認すると黒猫がニヤリと口角を上げる。
『きたかチビ助』
飛び出してきたのは足にエメラルドグリーンのリボンをつけたトロワだった。
『トロワ!!』
『アンとドゥだー!』
『ということは、ウルリーカがいるのね?ウルリーカは無事なのね!』
アンの言葉にトロワが胸を張って足に結ばれたウルリーカのリボンを見せてくる。アンが威嚇のポーズをやめ羽を広げると、トロワがアンに飛び込んでくる。
二羽が感動の再会をしている横で、黒猫が前足を器用に使い地面に円を描きはじめる。円の中に複雑な紋様が器用に描かれていく。ドゥには見覚えがあった。
『魔法陣…ですか?』
『よく知ってるな…転移魔法だ』
『猫なのに人間みたいですね、魔法を使うなんて。気になってたんですが、あなたはなぜウルリーカさんを助けるんですか?そんなに親しい仲ではないですよね?』
『お前も似たようなものだろう』
『…私の何を知ってるんですか』
黒猫は鼻で笑うと最後の紋様を描ききったところで、魔法陣が線に沿って青白く光り始める。
アンとトロワが、青白く光るものに驚いて近づいてくる。
『あんたたち、今度は何やってんのよ』
『あっ、クロネコちゃん!ウルちゃんに頼まれたリボンだよ』
黒猫がトロワの足からリボンを受けとると、躊躇なく魔法陣の中に入っていく。
『お前達、この魔法陣が消されないように見張っとけ』
一言残して、黒猫の姿は一瞬で消えた。
『かっっこいいねえ』
『な、何者なのあいつ…』
トロワが尊敬の眼差しを浮かべ、アンは目の前の光景に言葉を失っていた。
ーアンが驚くのも無理はないか。動物が魔法を使えるなんて聞いたことがない…
ドゥは、これでウルリーカを助けられるかもしれないと思う反面、黒猫の行動に何か明確な目的が感じられ漠然とした不安が拭いきれなかった。




